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2011年7月19日から20日にかけてのツイート

意図的な誇張を作らないために修飾を廃して時系列を優先しています。
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Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@highok @hangium 言文一致運動が起こる前だから、それはそれで(今の感覚でいると)難しそう。

2011-07-19 22:45:24
Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@ynabe39 化学については川本幸民の造語らしいですし、最早収拾がつきませんね。後は、明治初頭に西洋の学問に関して、専門的科学が次々と流入した後、哲学、宗教学などの文系学問が入ってきた事も、日本の特徴らしいです。

2011-07-19 22:52:56
はいおくたん @highok

謹んで訂正。国語国文学が邦語で教授されていたと書いたけど、明治10年代にはまだ「国語」という言葉自体が一般的に使われていなかったりするなどするから、不安になって調べてみた。案の定、「和漢文学科」では明治16年まで英語で授業が行われていた、と言っている人がいた。

2011-07-19 22:55:56
はいおくたん @highok

日本語に文法があることに学生が驚いていたのは、「国文学科」ができた後の話だったようだ。明治10年代の「和文学科」と「和漢文学科」の頃とは、どうやらぜんぜん違うらしい。

2011-07-19 22:57:48
Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@ynabe39 今参考にしている本の同じ著者の方が作ったpdf http://t.co/S7DPOwE によると、板倉先生辺りがもっと研究してそうですね。明治期の初等教育だと、理系と文系双方やっている模様ですが…。

2011-07-19 23:10:06
某月 亡日 @sakemubi

@highok 「国語」を教えるということは、学制が敷かれた当初から、混乱困惑したと読んだ事があります。自国語を教える教え、学ぶと云うのが理解できなかった、というか、新しい、新鮮な事だったそうですね。

2011-07-19 23:18:27
はいおくたん @highok

「読む」と「書く」は理解できても、「話す」が理解されなかったようです。文部省が「国文」ではなく「国語」と言ったとき、明らかに「話す」ことの教育を意識しているのですが、現場はなかなかピンと来なかったみたいですね。方言撲滅と絡んでくる話になりますけど。 @sakemubi

2011-07-19 23:23:37
Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@ynabe39 @TOGO_Masanaga 当時の日本だと、明治以前からある学問だと日本語や漢語でやっていたのですが、科学、哲学、宗教学の様なの新しい学問は専ら海外から(本や留学で)得られたものだった為、英語だった模様ですね。

2011-07-19 23:29:06
某月 亡日 @sakemubi

@highok 些細な事も、手紙でやりとりしていたと、司馬遼太郎のエッセイで読んだ記憶があります。都合の良い話し言葉が、無かったので、話す時は狂言、浄瑠璃の言葉を使っていたとか、これか方言撲滅の動機になったのでしょうか?ちなみに私も方言撲滅運動の教育受けていますw

2011-07-19 23:31:13
はいおくたん @highok

あと明治5年の学制当初は、教科書がショボくて、あれでは混乱も必至だったと思います。英語の教科書をそのまま翻訳しただけの直訳教科書で、たとえば「私はトムです」「あなたはペンを持っていますか」「はい私はペンを持っています」という感じ。先生も困っただろうなあ。 @sakemubi

2011-07-19 23:34:12
はいおくたん @highok

明治20年ごろまでは、むしろ方言には涵養だったように見えています。言文一致運動を経てから「話し言葉」に対する意識が変わって、日清戦争前後に「標準語」の概念が登場してから、方言が悪いものになっていったという印象です。 @sakemubi

2011-07-19 23:36:05
某月 亡日 @sakemubi

@highok なるほど、そうなんですか、網野さんの文章だと記憶するのですが、日本中何処でも古文書が同じように読めるのを、当たり前のようにしている事にふと気がついて驚く話を思い出しました。言文一致運動の流れからくると云うのは納得しやすいですね。

2011-07-19 23:52:42
Τακäħjrö Ιŋøüé @inotti_ele

@highok @ynabe39 「和漢文学科」…どうも、「史学哲学及政治学科」のお雇い外国人四名が見ていた模様。和漢学の後継者不足が生じてその養成が説かれだし、十五年に古典講習科(甲部)と支那古典講習科(乙部)とが設置されたみたいですね。井上氏も、乙部の助教授だったようですね。

2011-07-20 00:41:13
Saussure @mamiyac330

@inotti_ele 外部からの眼差しが病を規定する、というのは精神医学の分野では目新しい話ではありません。常に時代に要請される形で病はどぎつい言い方をすれば捏造されてきた、という考えです。所謂、反精神医学。

2011-07-20 05:54:35
Saussure @mamiyac330

@inotti_ele 新自由主義が発達障害を炙り出した、と高岡先生は述べられましたが、文脈から推察すると新自由主義の日本的受容ということでしょう。小さな政府を目指すなら包摂性の高い大きな社会が論じられて然るべきなのに見事に無視された。自殺率の増加も正比例してますね。

2011-07-20 06:04:22
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