IT先駆者の在宅勤務黎明期の話

アマチュア無線家でパソコン通信のユーザでもあったすがやみつる先生の四半世紀先を行く先進機器の導入記です。 ファクシミリ、タブレット、GIF、PDFという今の創作活動では欠かせないものの最初が記されています。
7
すがやみつる @msugaya

「在宅勤務」の概念は、『第三の波』(アルビン・トフラー、1980)の影響によるものです。「夢物語」と片づけていた人も多かったようですが、マイコンやパソコンに親しみ、アマチュア無線もやっていたため、「在宅勤務」の時代が来ることは実感できました。 amazon.co.jp/dp/B000J84WBQ/ twitter.com/koukix/status/…

2020-12-28 10:22:36
kouki家のQueue太郎 @koukix

コロナ禍の副産物と言ったら問題あるかもしれないけど、今年一番大きかったのは「テレワークという働き方」が定着してた事。テレワークそのものは1980年代半ばに既にすがやみつる先生が「こんにちはマイコン」で描いていたが、それがリアルになるまでに35年近い時間を費やしている。

2020-12-27 21:36:13
すがやみつる @msugaya

情報社会を実体験したくて、『こんにちはマイコン』(1982)を出した直後には、ファクシミリ(FAX)も導入しました。マンガ家では最初だったかもしれません。小学館にも広告部にしかFAXがない頃で、テストに40ページほどのネームを送ったのですが、用紙が高額だったこともあり1回で終了となりました。 twitter.com/msugaya/status…

2020-12-28 10:32:26
すがやみつる @msugaya

RT 当時のFAXは高額で会社でのリースになりました。リース契約を結ぶために経営者の個人資産まで調査される時代でした。その後FAXは急速に普及し、FAXでマンガの原稿も送るようになりますが、解像度の関係で描き込みの多い絵を送るのは無理。それでFAXで送るのはシンプルな絵柄のものだけでした。 pic.twitter.com/IiEHu5Hqu1

2020-12-28 10:42:01
拡大
すがやみつる @msugaya

1982年、『こんにちはマイコン』を執筆していた頃、PC-6001用の「タッチパネル」も購入して、画面に絵を描く実験もしてました。幅が320dpiくらいだったかな? 当然ですが、マンガの仕事には使えませんでした。 pic.twitter.com/GfTCXiNvYr

2020-12-28 11:52:06
拡大
拡大
すがやみつる @msugaya

RT 1985年にパソコン通信を始め、ポケットサイズのFAXモデムを入手すると、これをパソコンに接続。これでFAXがスキャナーになりましたが、150dpiくらいだったので、やはり細かい絵のやりとりは無理。この絵はMac Plusでマウスだけで描いたもの。これをレーザープリンターで印刷しFAXで送ってました。 pic.twitter.com/kChwONI37F

2020-12-28 10:50:50
拡大
すがやみつる @msugaya

RT 1985年から会員になっていたアメリカのCompuServeというパソコンネットでは、87年からCompuServe GIFという画像プロトコルを採用。このGIFでマンガの送受信ができないかと実験していたら、この年の国際通信費(主に回線代)が480万円に。翌年、税務調査が入って、この点を問い詰められました。

2020-12-28 10:54:50
すがやみつる @msugaya

RT 税務署の調査員さんには、「将来、マンガも電話回線で原稿を送り、読者もパソコンやテレビの画面でマンガを読む時代が来るので、その先行実験をしています」と話し、お咎めなしになりました。その調査員の方から「そんな時代は何年くらいで来ますか?」と訊ねられ「5年くらい」と答えたのですが……

2020-12-28 10:59:21
すがやみつる @msugaya

RT マンガの原稿を送るまでに20年、マンガをネットで読むのは30年かかりました。ちなみに画像フォーマットのGIFは、私がSysOpをしていたニフティサーブ・オートレーシング・フォーラムのメンバーにPC-9801用のデコーダーを開発してもらい、紹介しました。たぶんこれが日本でGIFが紹介された最初です。

2020-12-28 11:05:03
すがやみつる @msugaya

RT 1994年に小説家として再デビューした後は、当時、おつき合いのあった出版社に、余っていたノートパソコンとモデムを持ち込み、ニフティサーブ経由で原稿のやりとりができるようにしました。でもゲラは紙に印刷されたものを宅配便でやりとりする時代が長く、不合理さを感じていました。

2020-12-28 11:13:40
タイニーP/四寺儀けんぞう @Kenzoo6601

@msugaya 僭越ながら補足しますと1981年秋には電電公社が「テレビの受像機並みの価格で買える(日経産業新聞同年8月12日付)」「ミニファクス」を発売しヒット商品になっています ただこれはA5判までだったので、漫画家のすがや先生の視野には入っていなかったということかと思います

2020-12-28 11:15:59
すがやみつる @msugaya

@Kenzoo6601 これは覚えてます。でも、こちらの目的はマンガの原稿を送ることでしたので、最低でもA4サイズが欲しかったのです。実際にはA4でもサイズが足りませんでした。

2020-12-28 11:34:35
タイニーP/四寺儀けんぞう @Kenzoo6601

@msugaya やはり原稿送信が目的なら最低でもA4、本当はそれ以上ということになりますよね^^; 当方の先のツイートはそのあたりちょっと言葉足らずでした、恐縮です

2020-12-28 11:38:09
すがやみつる @msugaya

RT 1994年頃からCompuServe経由でインターネットにもつなぐようになり、1996年1月からは「ホームページ」も始めたのですが、そのうちにアメリカ海軍のWebサイトに絶版になった書籍がAdobe Acrobatで作成したPDFで載るように。当初は画像の解像度も低かったのですが、出版の未来が見えた気がしました。

2020-12-28 11:17:53
すがやみつる @msugaya

RT これが抜けてました。  **** 1997年に発売されたAcrobat Ver.3から日本語にも対応し、すぐに秋葉原のぷらっとホームで購入。小説のゲラをPDFにしましょうと出版社に提案するが、理解してもらえませんでした。  →インプレスからPDFのゲラが来た話題に続く。

2020-12-28 12:11:30
すがやみつる @msugaya

RT はじめて「マンガのゲラ」が送られてきたのは2000年12月発売の『インターネットデータセンター完全ガイド』(インプレス)に『データセンターあらし』というマンガを描いたとき。やっとAcrobatで赤入れできるようになって感激でした。あ、赤入れで思い出した。論文のチェックに戻ります。

2020-12-28 11:38:44
すがやみつる @msugaya

@Kenzoo6601 「日経パソコン」(A4サイズ)にマンガを連載していたときは、A4レーザープリンターで印刷したものを原寸で載せると荒くて見られたものではないので、A4で4枚を印刷して送信し、A3になったものをA4に縮小して掲載してもらっていました。4P連載で原稿は16枚。でも当然、原稿料は4P分でした(泣)。

2020-12-28 11:41:38