蓮實重彦『見るレッスン』読書メモ

映画評論家、フランス文学者、第26代東大教授の蓮實重彦による映画史特別講義。
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かんた @0sak1_m1d0r1

私は映画を見る時は、脚本家というものにあまり興味がわきません。やはりどんな装置の中でどう撮られているかとか、その装置にどのような照明を当てたとか、それをどんなキャメラ・アングルで収めたとか、どうしてもそっちのほうに関心が向きます。 (蓮實重彦『見るレッスン』162)

2021-03-23 13:00:19
かんた @0sak1_m1d0r1

ただ、現在はほとんどの作品が製作委員会方式で撮られていますから、複数の人間が関わらないと映画が作れない。一人のプロデューサーが「こうだ」と決断することができなくなりました。だから、変わったものら新しいものがなかなか生まれません。 (蓮實重彦『見るレッスン』174)

2021-03-23 13:16:23
かんた @0sak1_m1d0r1

すなわち、複製技術なるものは、視覚的なものと聴覚的なものが両者全く無関係に進歩してゆきました。エジソンは録音機なども作りましたが、なぜか「音」の部分の同調が遅れたというところが、映画史上に大きな意味を持つことになります。 (蓮實重彦『見るレッスン』176)

2021-03-23 13:35:35
かんた @0sak1_m1d0r1

ここで考えてみると、物語がある娯楽というのは、小説と映画しかありません。もちろん舞台芸術としての演劇というのもありますが、舞台を見るというのは同じ空間を占有するわけで、それはどこかで見世物になる。 (蓮實重彦『見るレッスン』183)

2021-03-23 13:42:34
かんた @0sak1_m1d0r1

驚きというのは安心とは逆のものであり、こんなもの見たことがないというような不思議な世界に連れていかれることですが、同時に、不思議な世界というのがことによったらどこかの何かに似ているかもしれないと思わされるのが映画です。 (蓮實重彦『見るレッスン』189)

2021-03-23 13:49:15
かんた @0sak1_m1d0r1

さらに『アナと雪の女王2』や『スターウォーズ』の席捲が続いている。しかし、わたくしは、ディズニーなどなくなったほうが、世の中にとって健全だと本当に思います。作られるものがどうしても似通ってくるし、単調さが生まれます。 (蓮實重彦『見るレッスン』193)

2021-03-23 13:58:32