呉智英『つぎはぎ仏教入門』を読むー 仏教の「愛の否定」と「小乗」という呼称について

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書店で見かけて、パラパラ中身を覗いているうち、これはスゴイかもと思って購入する。呉智英『つぎはぎ仏教入門』http://t.co/EzmFKrB また仏教入門書かよ、と思いつつもやはり語りなおされる価値はある。

2011-08-01 11:33:33
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呉智英『つぎはぎ仏教入門』を立ち読みしているときに、気になった部分、同意したくなった部分、ちゃんと読んでみようと私に思わせた部分。---まず大乗非仏説を認めよ。しかるのちに大乗と小乗の位置づけをする。小乗は「釈迦の本心」を受け継ぐ。大乗とは「釈迦の決断」を受け継ぐ。

2011-08-01 11:36:05
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呉智英『つぎはぎ仏教入門』 -- 小乗こそ「釈迦の本心」を受け継ぐ仏教である。大乗とは、その経典は「偽経」ではある。-- が、位置づけするならば、釈迦の教えの中核となる慈悲を選び取った、つまり「釈迦の決断」を受け継ぐ仏教である。

2011-08-01 11:37:20
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呉智英『つぎはぎ仏教入門』 -- 仏教は愛を否定している。「愛」が良いものとされている現代で、ここを明確にすると人気が出ない。いまの仏教はその点でごまかしがあるのではないか。仏教とは「慈悲」である。「愛」を執着として否定する。愛は人類を救わないのだ。

2011-08-01 11:38:59
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呉智英『つぎはぎ仏教入門』 -- 「愛」と比べて「慈悲」は分が悪い。近頃は「憐れみ」は「上から目線」だとして批判されるほどだ。ここ十年ほどの新語で嫌な言葉の筆頭がこの「上から目線」。「上から目線」だと言えばそれで何かを批判できたと思う怠惰な精神が醜悪だ。(-ここが一番の共感)  

2011-08-01 11:43:19
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呉智英『つぎはぎ仏教入門』(あとがき) -- 私は仏教を信仰していない。ただ、釈迦は人類史上最古最高の思想家の一人であり、宗教者としても極めてすぐれた人物であると思う。このような人物がいたことはやはり一つの奇跡であり、釈迦に畏敬の念を抱く。・・・

2011-08-01 11:43:55
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呉智英の『つぎはぎ仏教入門』を読んでいて、「小乗」=小さな乗物、という呼称について新しい見方があった。この本では「上座部仏教」ではなく、「大乗」「小乗」と対比するときの「小乗」という呼称を採用している。小さな乗物だから「劣っている」という考え方自体が疑わしいというのだ。なるほど。

2011-08-02 16:37:38
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呉智英氏によると、こうである。『この「小乗」は大乗の側から投げつけられた一種の蔑称であるから、最近では小乗と呼ばず「上座部仏教」とか「部派仏教」と呼ぶことが多い。しかし、自ら覚った者をまず済度する小さな乗物がそれ故に劣ったものであるとすること自体、大乗側の価値観によるものである。

2011-08-02 16:38:17
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そもそも小乗の側では、覚った者だけが乗れる小さな乗物で一向にかまわないと考えているのだから「小乗」と呼んで差し支えない。』 -- なるほど、たしかに100人が乗れる「大きな船」を作ることと、1人乗りの小さな救命ボートをたくさん作ることとの優劣は、ケース・バイ・ケースのはずだ。

2011-08-02 16:39:33
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1人乗りの小さな救命ボートをたくさん配ることで、「むこうぎし」に渡れる人が増えれば、それで構わないじゃないか、という考え方。もっと言えば「1人乗り」でさえなく「0.5人乗り」とか「0.01人乗り」の「乗り物」だってムダではないはず。ナノレベルの「小さな乗り物」による「済度」。

2011-08-02 16:41:29
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ある人に腰痛があって、ヨガのポーズを取ったら腰痛が治ったとする。そのとき、そのヨガのポーズは、その人の身体や心の、腰痛に関連した部分、神経系や細胞群の一部を「むこうぎし」に渡して「済度」したことになる。個人の一部でも助けられたのだから、それは有効な乗り物だったのだ。

2011-08-02 16:43:11
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トライアスロンのように、ここでは自転車に乗って行くけど、山のふもとでは乗り捨てて徒歩で行ったり、湖は素手で泳いだり、という乗り物の乗り換えもあるはずで、仏教が有効なコースとそうでないコースというものもありそうだ。

2011-08-02 16:44:42
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乗り物といえば、最近、小学生くらいの子が履いている、ローラーのついたスニーカーhttp://t.co/LCKqA6B というのも一つの「乗り物」だ。その場合の速度の切り替えは「大きさ」「小ささ」だけではない、モードの違いがあるように思われる。

2011-08-02 16:46:15
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ドーキンスの利己的遺伝子や「ミーム」という概念みたいに考えると、仏教の経典のある一節が、人々の口の端に何度ものぼるとして、多くの人にはその章節の意味が理解できないとして、それでもミームのように広がっていくとしたら、人間自体が仏教の教えの「乗り物」になっている。そんなこと考えたり。

2011-08-02 16:49:05