ソ連では企業の競争がなくて、という決まり文句はあくまで建前。実際には何らかの理由で競合する製品が存在する場合がしばしばあった。これらはソ連が同じ時期に同じようなサイズと排気量の車を作っていた例 pic.twitter.com/vvW0nyfl7o
2021-03-31 23:20:04ちなみに消費者たるソ連国民からはジグリが最も人気が高かったらしい。不人気だったモスクビッチはというと「待たずに買えた」時期もあったそうな。そして結局はニッチだったCセグに格上げしてラーダとの競争を避けようとしたんだとか。競争社会だなあ pic.twitter.com/LBMpWU03jL
2021-03-31 23:27:30ちなみに商用車でも似たような事例は存在する。KamAZ 5320とZIL 133は同じ積載量でどちらも6×4、さらにエンジンまで同じであった。それどころかKamAZ 5320の試作車を設計したのは当のZILだったのである pic.twitter.com/b7sjr3rVx1
2021-04-06 23:59:59日本自動車博物館にZILが展示されているとwikipediaにあったので調べてみたんですが、ZILじゃなくてZIMですね… 市民は買えないソ連唯一の高級乗用車 ジム 4ドア・セダン(ソ連) 1951年型 mmj-car.com/2019/01/12/%e5… @kurupakuより
2021-04-05 23:19:321940年のソ連の自動車生産数は14.5万台。そのうち乗用車は0.5万台にすぎない。国民に乗用車を買う経済力はなく、軍事的にも重要な商用車を国家主導で導入した、と書けばまるでどこかの島国のよう pic.twitter.com/rHICyipL5M
2021-04-10 20:39:52さらに当時は自動車工場と呼べるものはZiS、GAZ、YaAZの三か所しかなかった。有名なUAZとUralAZは戦時中にモスクワのZiSが東方へ疎開したことが由来であり、そのほかの自動車工場は戦後になって建設された pic.twitter.com/488mse7BGE
2021-04-10 20:48:39したがってソ連の乗用車専業の工場は戦後開業なのだが、ひとつだけ例外があった。それがモスクヴィッチを製造していたモスクワ小型自動車工場。同工場は戦前からGAZのノックダウン生産を行っており、自主設計の小型車も量産目前だったが戦争でお流れとなった pic.twitter.com/uEvmCmr3uh
2021-04-10 20:55:05ロシアで最初に製造された自動車が何かについては微妙に政治的な問題があり断言できない。ただし現在のロシア領の範囲では1924年のAMO F-15が最初。ソ連建国時点では自動車産業はほぼ存在しなかったと言っていい pic.twitter.com/KeCoKsydFs
2021-04-11 17:25:001991年にZILが日本のIHIから自動プレスライン購入したときの映像とか残っててすげえなってyoutu.be/bK8MFForMjM
2021-04-17 16:33:10これは1988年のZILの映像なんですが、AIDAのプレス機が写ってるんですよね youtu.be/e0S75IgXV8M @YouTubeより
2021-04-18 17:21:522002年のニーヴァのフェイスリフト検討モック ロシア企業はモックやデザイン画のようなこれ見て大丈夫なやつ?と言いたくなるようなのが平然とネットの海に放流されているから困る pic.twitter.com/odiqcbldjR
2021-04-24 18:12:12ホンダの初代HR-Vはラーダのデザインからの盗作だ!と主張する人がいるんだとか pic.twitter.com/tJvBVpS7l2
2021-04-24 18:15:50ちなみに:cuba lada なんかで画像検索するとジグリの画像がずらっと出てくるわけですが、たまにモスクビッチが混ざります pic.twitter.com/UPzVxlCi15
2021-04-27 22:52:10