- tebasaki_s
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例の朝日新聞の「アジア的やさしさ」。まず産経が見逃さないと思うので、今後の両紙のバトルに期待したい
2011-08-04 21:48:09ポル・ポト時代の「アジア的優しさ」の実際の紙面を、朝日のオンラインジャーナルで読んでいる。この紙面に他にアイタタ記事があるか読んでみよう
2011-08-04 21:51:50凄いな。「アジア的優しさ」の同じ紙面に、英国の南極探検対が基地閉鎖に伴いエスキモー犬を百匹殺した、というニュースがあるんだが、犬の餌はクジラの肉だそうだ。時代だなあ
2011-08-04 21:55:38ちなみに、基地閉鎖で犬百匹殺した英国を非難する内容だが、それを言ったら日本は南極撤退時に犬殺さないで置き去りにしたがな、と
2011-08-04 21:58:38「アジア的優しさ」の時の新聞面白いわ。プノンペン陥落直後の動きが伝わってくる。金日成が訪中して、それを駅でシアヌークが出迎えて、毛沢東と会談。で、我らが池田大作創価学会会長がシアヌークと会見。カオスやわ…
2011-08-04 22:20:01@atkyoudan @dragoner_JP あ、そうか、成田新幹線が成田スカイアクセス線という形で復活したから、そのついでにアジア的優しさも復活させようという腹だったんだよ>素粒子…って何でですかー
2011-08-04 22:20:06シアヌークも苦労人だな。プノンペン陥落後の池田大作との会見では、ソ連と毛沢東を絶賛し、米帝と日本を非難。この後、彼に振りかかる災難を思うと泣ける
2011-08-04 22:23:02RT @asasio: 帰宅して朝日新聞を読んだら一神教がdisられて挙句に「アジア的やさしさ」なる文字列が見えた。ここまで露骨に多神教優越主義を主張するとは驚きであるし、カンボジアのアレを思い出さざるをえない。 http://p.twipple.jp/aFFaW http://j.mp/o2zQYE
2011-08-04 22:28:49@miduse 当時の新聞読んでますが、少なくともあの記者は見て書いてますね。駐留経験の話も書いていたし
2011-08-04 22:30:24社会党と共産党による、日本のカンボジア外交を批判声明が、それから起こる大虐殺のことを思うと、不思議な気分にさせる
2011-08-04 22:37:34RT @tsukasafumio: 大乗賊の乱とか弥勒信仰系の仏教叛乱は「十人殺せば十善菩薩」とか言ってさんざん虐殺しまくってるんだが。
2011-08-04 22:38:004/20の朝日を読むと、ル・モンドの記事を引用し「ロロン・ノン将軍は捕虜になりくつろいでいた。ロン・ポレ首相は自ら投降し、歓迎された」としている。その直後にAFP配信記事で小さく「処刑のうわさも」と紹介しているが、「信ぴょう性を疑問視する声も少なくない」と否定的。真相はAFP通り
2011-08-04 22:51:00? 75年4月20日の朝日に意味のわからない記事が。エリザベス女王が訪日するにあたって、伊勢神宮を参拝する方針に対して、「憲法の政教分離に反する」とした反対意見が多いという記事。なんで外国の女王が日本の憲法の制約受けるのん
2011-08-04 22:56:13@dragoner_jp シアヌークさんご自身も、気に入らないと投げ出すような部分もあったと伺いますが、ままならないことも多かったのでしょうね
2011-08-04 23:09:35( @H@)y-~~あまり高宗disるなよなw RT @dragoner_JP: シアヌークの生涯って、小国の王様の惨めさがよく分かる例だよなあ。
2011-08-04 23:10:10大院君とかも?RT @nobuo_kimura: ( @H@)y-~~あまり高宗disるなよなw RT @dragoner_JP: シアヌークの生涯って、小国の王様の惨めさがよく分かる例だよなあ。
2011-08-04 23:14:52@dragoner_JP しかもついには国連に担がれ「王の帰還」を果たしましたから。カンボジア半世紀の動乱で、最初に立っていたのがシアヌークであり、最後に立っていたのがシアヌークだった。しぶとさでは世界史有数の王ですね。
2011-08-04 23:25:06@tsukasafumio いやほんと、親族側近国民問わず、あんなに殺されたのに、よくぞ生き残ったもんです。王位継承も済ませましたし、悔いはないでしょうね
2011-08-04 23:29:49RT @antonianjp: 奄美では戦時下にキリスト教徒迫害があって20世紀なのに踏み絵、つまり棄教させられた人も沢山いたんだがそれを後押ししたのがマスメディアだった。メディアに煽られた島人がカトリック教徒の島民を迫害して島外に逃げざるをえなくなっていったんだな。
2011-08-04 23:29:5320世紀の東アジア地域の君主はわりと賢明というか、あからさまな暴君や暗君が少なかった印象。ネパール最後の王が一番ひどかったか。中近東は国が王家の所有物という感覚が強いせいか、ありゃりゃという感じの王様や首長がちらほらいる印象。
2011-08-05 00:19:15