2000年代にアメリカにうつったひとの話

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Tsunehisa Nakajima @carlostsune

日本語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って、上手くいってる人の話が多いから底辺に近いエリアの話って全然伝わってないと思うんですよね。 その層で生きている人たちって情報発信しないし。 だから、今日こそはその辺を話したいと思います。

2021-05-04 17:19:10
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

不法滞在や不法就労の状態の人がなし崩し的にグリーンカードが取れたのは昔の話で、2001年の同時多発テロ以降アメリカに合法的に在住するということは非常に難しくなった。だから、2001年以降にアメリカに渡って暮らしている人たちは結構高いハードルを超えた人達と言っていいと思う

2021-05-04 17:23:10
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

就労ビザを取って優良な米国企業で働いている人達っていうのは、その中でも凄く優秀な人達だ。発信力のある彼らの言葉の影響力が強いのは当然なのだけど、同じアメリカ国内にも彼らとは全然違う世界で生きている日本人が沢山いる。そして、底辺に近いところで何とか生きている人も一定数いる、という話

2021-05-04 17:26:55
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

アメリカに渡った日本人の歴史を話しだすと長くなるけど、今日は戦後、特に80年代以降にアメリカに渡り居着いてしまった日本人の話を中心に書きたいと思う。つまり、なし崩し的にグリーンカードが取れた朗らかな時代に渡米した「一世」達だ

2021-05-04 17:31:12
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

「アメリカに来れば何かがある」と思う人は多い。というか世界中からアメリカンドリームを求めて沢山の人がやってくる。80年代であれば日本は豊かになっていたから過去の日系移民達とも他のアジアの国の人達とも違い経済移民ではなかった。モラトリアム移民と言ってもいいかもしれない

2021-05-04 17:35:59
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

「何となくアメリカに来て、何となく居着いてしまった」と表現したら言い過ぎだろうか?でも、実際僕自身もこういう心境だった。偶然グリーンカードに当選した僕は何となくアメリカに来てしまったから彼らの気持ちがとてもよくわかる気がするのだ

2021-05-04 17:39:37
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

僕が渡米したのは2004年。モラトリアムな先輩達から遅れること20年。ビザ要件が厳しくなってからというもの、留学でもなく、就職でもなく、結婚でもなく、なにも決まっていない状態で永住権だけもってフラフラしている若い日本人なんて超レアな存在で、80年代からタイムスリップしてきた若者の様だった

2021-05-04 17:43:16
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

多くの日本人と同様にサンフランシスコ(隣のバークレーだけど)に住み着いた僕は英語が一言も話せなかった。アダルトスクールという無料の学校では移民向けに英語を教えてくれると聞き、2、3回は通ったけど詰まらなくて続かなかった。住んでいれば、いつか英語が話せる様になるだろうと楽観的に考えた

2021-05-04 17:48:17
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

貯金は生活費2ヶ月分だったから、すぐに仕事を探し始めた。ジャズクラブと日本食レストランで有名なYoshi'sのキッチンヘルパーの面接に行ったのだけど、英語がさっぱりわからずに不合格。キッチンで働きながら、あわよくばライブが聞けるかも!と超甘い考えだった。

2021-05-04 17:53:52
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

日本に住んでいた時、バイトの面接で不合格になったことがなかったから結構ショックだった。ただ、若いっていうのは何事もどこか他人事というか、焦りを感じないというか仕事が見つからないことを「怖い」とは全く思っていなかった。漠然と何とかなるだろう、と思いながら過ごしていた、ある日

2021-05-04 17:56:59
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

近所の日本食レストランのシェフと知り合い即採用。英語の確認もされず、料理の経験も聞かれずに「日本人の若者」というポテンシャルのみで仕事を得る事に成功した。時給7.5ドルに加えてチップが一晩10ドルから30ドル。朝9時から夜10時までの通し勤務で、休みは週2回。福利厚生は無しという条件だった

2021-05-04 18:00:19
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

普通カリフォルニアのレストランのキッチンはメキシカンに占められていて、そのお店も例に漏れずだった。フェアなオーナーの方針で僕は序列ではメキシカン達の下になった。彼らは初めて日本人の下っ端を手に入れた!そして英語よりもスペイン語を浴び続けるキッチンでの日々が始まった

2021-05-04 18:04:12
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

飲食店という客商売だし、肉体労働でもあるのでストレスが高い。そういう環境では人々の本性が曝け出されてしまいがちだ。小さなお店でも職種や人種による序列、過去の経歴によるマウンティングなど人間臭いやりとりが沢山あった。僕は仕事の要領が悪く、メキシカンのリーダーからよく怒られた。

2021-05-04 18:08:22
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

何をしても怒られた。スペイン語で色々言われても意味はわからないけど罵倒されてるのはわかるし、バカにされてるのもわかる。正直仕事中に泣いたこともあったと思う。後から入ってきたチベット人の若者には英語を馬鹿にされて、とにかく悔しかったし、その状況を変えられる気もしなかった

2021-05-04 18:11:50
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

それが渡米1年目の日々。日本人の寿司シェフやウェイトレスさん達には良くしてもらった。多分、不器用で何も出来ない若者だと同情されていたと思う(苦笑)その店で20年以上働いている高齢の女性には一度真剣に説教をされたを覚えてる。「この仕事が出来なかったら、どこでも通用しないよ」と

2021-05-04 18:14:09
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

ヒッピーあがりや、遊び人が多かった寿司シェフ達。彼らは80年代にアメリカに渡ってきて生きるために寿司を握った。その店は人気店だったからシェフ達は成功者だった。結構いい車に乗り、皆家も買っていた。皆が寿司シェフになりたがっていた。「ツネも寿司を覚えればちゃんとした暮らしが出来るぞ」

2021-05-04 18:18:27
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

ウェイトレスやウェイターは週末の夜は一晩で100ドルから200ドルのチップももらっていた。それを羨望の眼差しで見ていた僕の月給は1000ドルいかなかった。彼女達は言った「キッチンをやめて良い店のウェイターになった方が良いんじゃない?」

2021-05-04 18:21:30
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

毎日ひたすら野菜と肉を刻み続けていた。店のヒエラルキーの一番下っ端だったから、ウェイトレス達からの扱いも軽かったし雑用は全部回ってきた。こんなことをやるためにアメリカに来たのか?と考え続ける日々だった。こんなはずじゃないと思いながら、どうすれば何が変わるかわからなかった

2021-05-04 18:23:49
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

ある日、日本の友人からダイエットサプリを買って送って欲しいというメールが来た。ヤフオクで転売したいとのことだったのだけど、そこで初めて自分で商売するということを考えた。どうせレストランの仕事を頑張っても浮き上がれるかわからないし、リスクを取ってでも自分でビジネスをした方が良い、と

2021-05-04 18:27:48
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

それからはキッチンの仕事の間も常にメモ帳を持ち歩き、思いついたことを全部メモする様にした。キッカケはヤフオクだったけど、絶対にもっと良い方法があるはずだと確信していた。で、転売で少量を売るよりも、アメリカのサプリの卸業者と組んで日本向けの直販サイトを作って運営すれば良いのでは?と

2021-05-04 18:29:47
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

思いついた。上手いこと卸をやっている日本人社長を見つけ企画書を持って直談判をしに行った。生まれて初めて書いた企画書はポンコツだった筈だけど社長の答えはYesだった。そして、僕はキッチンで働きながら、自分の会社を設立した。個人事業主でも良かったが社長になりたかった。27歳の時だった。

2021-05-04 18:32:25
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

自己資金ゼロで始めたから書類も全部自分で書いたし、サクラメントの役所にも自分で持って行って登記した。契約書も見積書もインボイスも何も知らなかった。ベンダーへの支払いが先で、顧客からの入金が後だということも知らなかったから早々にショートしかけた

2021-05-04 18:35:01
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

親からお金を借りて何とかやり過ごし、レストランの仕事をやめて自分の会社の仕事に専念することにした。実際はキツい下っ端の仕事を一刻も早く辞めたかったからで、自分の会社の展望は何も見えていなかった。ただ手に入れた社長という響きは多少は心の隙間を埋めてくれた

2021-05-04 18:38:05
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

社長をやると社長と知り合うことが多くなるということをこの頃に知る。そして、社長には色んな種類がいることや、癖の強い人が多いということも知った。そして、何より追い込まれ過ぎると人は逃げるというか、飛ぶということを身をもって知った

2021-05-04 18:40:22
Tsunehisa Nakajima @carlostsune

そう、飛んだのは僕だった。自分の会社を経営するには若すぎたし、甘すぎた。すぐに資金的に行き詰まってしまった僕がお客さんを協業先のベンダーさんに託して会社を畳む。アパートも維持できなくなり、知人の家の一部屋に転がり込んだ。そこにも居られなくなり一発逆転を狙った

2021-05-04 18:42:36
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