Megumi Ezuka( @nana4_chick )さんによる「Atomic Wounds」(原爆被害に関するドキュメンタリ)紹介
- icchan0000
- 3420
- 0
- 0
- 2
これから、8月6日、 #広島 #原爆 の日にちなんで、連投ツイートさせて頂きます。色々間違いなどあると思います。ご指摘くだされば嬉しいです。
2011-08-06 21:10:32“核兵器反対!と言っていても時代遅れになるよ。核はもっと先の方に行っちゃってて、それに我々は苦しめられる世の中が来る……もっと怖い世の中になる…” 肥田舜太郎医師、2006年の言葉です。悲しい事に現在、先生の予感は的中してしまったと言えるのではないでしょうか?
2011-08-06 21:13:59先の言葉は、“Atomic Wound” http://t.co/n83cenn フランス人により制作され、08年に公開されたドキュメンタリーの最後に出てきます。番組の大半は、広島で自らも被爆しながら、その半生を被爆者救済に捧げてきた肥田医師へのインタビューで構成されています。
2011-08-06 21:15:41被曝者数を抑える為に認定範囲を狭めたり(日)、原発付近での許容線量を大幅に上げたり(米)……。歴史は繰り返すと言いますが、作中のエピソードには、今の日本の同じような事象が見受けられます。
2011-08-06 21:23:36より多くの方に見て頂きたいと思い、稚拙ですが、英語ナレーションの部分などを訳してみました。一部どうしても解らない所があり、誤訳も含めご指導頂ければ幸いです。では、以下に訳文を続けます。
2011-08-06 21:24:38広島では、地上戦はなかった。たった一つの原子爆弾が、たった一秒で5万人の命を奪ったのだ。 攻撃の後、アメリカ当局は、謎めいた宣言をした。「放射線を浴び、負傷してもなお生き残った者達は、人類史上極めて重要な役割を果たすであろう」
2011-08-06 21:28:26学校では、原爆が投下されたという事実は学ぶが、何故投下されたのか本当の理由は知らされない。残念なことに広島や長崎について、教科書の記載個所はどんどん少なくなっている。
2011-08-06 21:30:47肥田医師は、原爆投下された1945年8月6日当時、28歳(軍医)だった。私は彼に東京でのコンファレンスで出会った。私が知り限り、この悲劇の責任は日本政府やアメリカにあると、公の場で非難した人物は彼が最初だった。25万人が今なお後遺症に悩まされていると訴えていた。
2011-08-06 21:37:33機密解除されたアメリカの公文書によると、投下数週間後には、数十人に及ぶ専門家、研究者そして軍人が現場検証に訪れている。生き残った人達が彼らを目の当たりにし、どのような感情を抱いたか…想像に難くない。
2011-08-06 21:43:30彼らは、慎重に爆弾の影響を追った。4000度の熱は屋根瓦を溶かし、強烈な衝撃波はビルを倒壊させ、放射線は全てを撃破した。
2011-08-06 21:46:03合衆国では、既にハエやネズミそして囚人に対してまでも放射線実験を行っていた。そして今度は、広島と長崎の何万もの人々から、原爆の効果を査定する機会を得たわけだ。 1946年、時の大統領トルーマンは、原爆傷害調査委員会(通称 ABCC)を設立する。
2011-08-06 21:47:29翌年、広島市中心部に急設された列車の車両を利用した事務所は、1950年になると放射線の影響から十分に離れ、市一帯を見渡せる高台の超近代的な施設に発展していた。
2011-08-06 21:48:57施設では、沢山のアメリカ人医師や研究者が様々なプログラムを考案・追加する一方、被曝者の家庭訪問など日々の作業は現地で採用された日本人が対応した。1951年、1000人いた従業員のうち920人が日本人だった。
2011-08-06 21:51:481947年から50年までの間、実に十二万人もの生存者が検査され、白血病、癌、不妊症そして加齢の経過など遺伝子研究の一次資料となっている。
2011-08-06 21:53:15被曝者達は、ABCCに調査・研究の対象として招かれたのであって、治療やケアされることは一切ない。原爆投下について、アメリカ側に後悔あるいは謝罪の意があるとして受け止められることがあってはならない…というのが彼らの考えだからだ。
2011-08-06 21:55:17科学者らにしてみれば、被曝者は病気であるからこそ価値があるという事なのだろう。 (治癒してしまったら調査の対象ではなくなってしまう)
2011-08-06 21:56:50原爆投下時、肥田医師は直ちに中心部の彼が勤めていた病院に駆けつけようとする。しかし町中燃え盛り、人々皆は郊外へ逃げようとしていた。川の中、ある士官から6キロ先の仮設診療所へ向かうよう指示される。
2011-08-06 21:58:18診療所へ到着後間もなく、彼は恐ろしい疫病を目撃する。 40度以上の高熱にうなされる者。 皮膚に紫色の斑点が出ている者。 扁桃腺が崩れ落ちてしまった者。 粘膜は出血し、口が腐り始め、髪の毛が束となって抜け落ちる。 大量に吐血してあっという間に死んでいく人々…
2011-08-06 22:01:28アメリカ軍広島占領までの6週間、日本の科学者は現地で大量の情報を収集している。しかし、これら臓器のサンプルや写真などの資料は、全てアメリカ軍に没収された。 注: この点については、日本側が進んで資料を提供した。投下後の調査は日米合同の作業だったという報告あり。←多分こちらが正しい
2011-08-06 22:06:12占領下、アメリカはABCCで得た情報を日本の医師や研究者に伝えることを拒否した。1951年まで、日本では誰一人原爆について記事にすることを禁じられている。 それ故、肥田医師は長い間この恐るべき疾患の原因について理解することが出来なかった。
2011-08-06 22:08:25--補足-- 肥田医師は、約30年後に出版されたアメリカのスタングラス博士の本によって「長年の謎が解けた」とインタビューに答えています。
2011-08-06 22:14:09スタングラス博士は、国内の放射線降下物の影響を研究する為、1952年から67年まで勤めたウェスティン研究所(核技術と関連が深いとされている)を辞職している。
2011-08-06 22:17:09以下、S博士のインタビュー: そもそも、広島や長崎の郊外にいた人々が受けた放射線降下物にこれ程大きな威力があるとは、誰一人予測していなかったのですよ。
2011-08-06 22:19:23爆風から直接ガンマ線を浴びた人と、郊外にいた人との(被害の)比較をすると大きな差がない。これが悲劇だ。Segi医師が指摘するように爆撃周辺部だけでなく日本中で癌の罹患率が上がった。70年代後半、私がこの本を出版するまで少量の核活動の影響は低く見積もられていた。
2011-08-06 22:20:09