『リレーション・トーク・プロジェクト』(対談:神戸新聞宮沢さん / 河北新報寺島さん)(1995年, 2011年の大震災)

『リレーション・トーク・プロジェクト』 (対談:神戸新聞宮沢さん / 河北新報寺島さん) (1995年, 2011年の大震災) Miho Namba(@orcajump)さんの連続ツイートをまとめています。
0
orcajump @orcajump

『リレーション・トーク・プロジェクト」始まりました。神戸新聞宮沢さんと河北新報寺島さんが、1995年と2011年の大震災について対談します。

2011-08-06 16:21:55
orcajump @orcajump

「今日、仙台を出てくるとき、七夕祭りでにぎわっていた。しかし、海の方へ行ってみれば、がれきはなくなったけど風景はほとんど変わっていない」寺島さん

2011-08-06 16:23:54
orcajump @orcajump

「今回地震があって、神戸は復興がうまくいってよかったと引き合いに出される事が多いけど、現場にいるものとしては違和感がある。うまくいかなかった事がいっぱいあったのに」宮沢さん

2011-08-06 16:25:34
orcajump @orcajump

「相馬にボランティアに行って、気になる人ができた。あのおじいちゃんおばあちゃんどうしているかなと思う人ができたのが、よかった」宮沢さん

2011-08-06 16:26:52
orcajump @orcajump

「阪神淡路大震災から5ヶ月後、神戸を走っている鉄道はすべて復旧した。早い段階でインフラは回復した。どこかの国で電車が埋められたのは事故隠しだと言われたけど、倒れた高速道路もすぐに取り壊されて、検証する証拠は残らなかった」宮沢さん

2011-08-06 16:32:21
orcajump @orcajump

「高速道路のない街のあり方もちょっとだけ話されたけど、復旧・復興のあり方を十分議論する暇はなかった。あっという間に復旧された」宮沢さん

2011-08-06 16:33:14
orcajump @orcajump

「長田は下町だったけど、大きなビルが30も建つ計画が立って、今頓挫しているけど、ずいぶん街が変わった。でも復興したんかと言うと商店街にはシャッターが下りている」宮沢さん

2011-08-06 16:35:08
orcajump @orcajump

「神戸で震災で燃えた所は、戦争で焼け残った所が多い。復興して道幅広くなって、公園もできて、ゆったりした街になったけど、元々住んでいた人は家賃が7、8倍になって戻れていない。そういう人たちは復興住宅に移っていった」宮沢さん

2011-08-06 16:37:08
orcajump @orcajump

「避難所の体育館の様子は、神戸の時から16年経ってもちっとも変わってない。体育館はすごく寒い」宮沢さん

2011-08-06 16:39:26
orcajump @orcajump

「震災の7ヶ月後に48300の仮設住宅が全部できあがった」「抽選が何回もあって、若い人はなかなか当選しない。郊外の仮設住宅にお年寄りが集まった」宮沢さん

2011-08-06 16:42:28
orcajump @orcajump

仮設住宅では「人が集まれる仕組みとしての餅つきがあちこちで行われて、人生であんなに餅をついたことがないほど餅をついた」「お葬式もたくさんあって、ずいぶん出かけた」宮沢さん

2011-08-06 16:44:04
orcajump @orcajump

「人が亡くなったんだ。命を守らなくてはいけないということを前提に街作りをしていかなくてはいけない」「風化します。必ず。忘れられていくという事は考えなくちゃいけない」宮沢さん

2011-08-06 16:46:33
orcajump @orcajump

「都市計画決定がされたのが2ヶ月後。怒号の中で決定された。行政対住民の構図だった。半年、1年後は決まったんだから早くしようと言う住民と、反対の住民の対立になった。賃貸と持家の人の対立もあった。街はきれいになったけど、そのときのしこりは今も残っている」宮沢さん

2011-08-06 16:49:26
orcajump @orcajump

「弱者優先は大事だけど、結果として仮設住宅に高齢者が集まった。孤独死が200もあった。復興住宅にも高齢者が集中している」宮沢さん

2011-08-06 16:50:58
orcajump @orcajump

「復興構想会議で高台移転の話が出ている。津波を上回る場所に団地を造成しよう。山を崩して団地を住宅メーカー、ディベロッパーが開発すると言う話。」寺島さん

2011-08-06 16:57:13
orcajump @orcajump

「女川町で町長が復興に10年かかると言ったら、浜で働く人は、津波は怖いが、高台に住んでは浜で仕事ができない。街で働く人は20年も待てない、2年で復興できなければ出て行かざるを得ない。人の歴史的地理的な条件の違いで、様々な意見が出る。なかなか合意はできない」寺島さん

2011-08-06 16:58:50
orcajump @orcajump

「神戸に比べれば、東北は復興がゆっくりしていると感じる。ゆっくりしているから、議論する場を作ることができれば、みんなの意見をくんだ復興ができるのじゃないか」宮沢さん

2011-08-06 17:00:45
orcajump @orcajump

「田舎の町、役所、外のボランティアの人とどうつきあったらいいかわからないというのもあると思う」寺島さん

2011-08-06 17:07:31
orcajump @orcajump

「被災地で出会うボランティの方の中には、ボランティアセンターなどを通さずに、直に被災者の人と知り合って、そこで関係を作って入り込んでとけ込んでいる人もいました」寺島さん

2011-08-06 17:08:53
orcajump @orcajump

「過去の津波の際にいかに復旧したかを語られる事が少ない。お金でいうととても復旧なんかできないときに行政の力は弱まっていて、住民と行政のやり取り、被災地と他の地域のつながり、人のつながりを生かして」寺島さん

2011-08-06 17:15:46
orcajump @orcajump

被災地の外の人ができること…「住んでいる人のことを知らないと難しい。現地を知ることが関わるためのエネルギーになる」「加古川に宮城県の中学生が来た。来る前に震災のことは聞かないようにしようとい先生がいた。でも、聞いてほしいこともある。自分が関心あることを伝え、話を聞こう」宮沢さん

2011-08-06 17:25:53
orcajump @orcajump

「距離を埋めるのに当事者からの発信も大事だと思う」寺島さん

2011-08-06 17:27:36
orcajump @orcajump

「被災した後に目標をもたないとやっていけない。自分と同じ目にもいっかいあわせたくないという気持ちが神戸にはあった。被災者支援法が現在あるが、これは阪神・淡路の被災者の運動。最初は100万円制限があったが、声を上げて300万円になった」宮沢さん

2011-08-06 17:29:00
orcajump @orcajump

「家がつぶれたら誰かがなんとかしてくれるやろうと、思ってた。ところが、誰もなんもしてくれないとわかった時に驚きや悔しさがあった。それが運動につながった」宮沢さん

2011-08-06 17:30:00
orcajump @orcajump

「神戸には全壊住居について共助の仕組みができたが、全国には広がっていない。声をあげて制度として残していかなくては」宮沢さん

2011-08-06 17:32:02