『リレーション・トーク・プロジェクト』(対談:神戸新聞宮沢さん / 河北新報寺島さん)(1995年, 2011年の大震災)

『リレーション・トーク・プロジェクト』 (対談:神戸新聞宮沢さん / 河北新報寺島さん) (1995年, 2011年の大震災) Miho Namba(@orcajump)さんの連続ツイートをまとめています。
0
orcajump @orcajump

「津波の歴史のきろくはあるが、復興の資料がない。記録を残していくことが、次の備えになる。当事者たちから残す方法を見つけていってほしいし、聞く人がいないと伝わらないから、外の人がうまく聞き取っていってほしい」宮沢さん

2011-08-06 17:33:15
orcajump @orcajump

「花巻から江差まで被災地をまわって苗を配り、時々再訪して育て方をアドバイスしてまわっている人がいる。その人は阪神・淡路にボランティアに行った時に、弱者ばかり集めた仮設住宅で話を聞いてまわることの大切さを痛感して、その活動をしている」寺島さん

2011-08-06 17:39:36
orcajump @orcajump

「神戸に138万人ボランティが来たと言われているが、そのほとんどは特別な技術はなかったと思う。個人が被災地にボランティアに行くのは、来ること帰ることがメッセージ」宮沢さん

2011-08-06 17:43:20
orcajump @orcajump

「新聞社的には自分は被災しないんだと思っていた。備えができていなかった。記者の生活の面でも取材をするのはオッケーでも、家族のケアができなくて問題になったケースもあった」宮沢さん

2011-08-06 17:54:11
orcajump @orcajump

お二人の記者が何を大事に思っていて、それぞれそれをどう表現す​るかの違いが見えて、非常におもしろい。僕がどうしたではなく、​二人とも、町と人を語り続けている。武勇伝じゃない記者の対談、​有意義。

2011-08-06 17:59:00
orcajump @orcajump

客観というのは、こういうことを言うんだ。

2011-08-06 17:59:22
orcajump @orcajump

被災地で今、足りないものは…「今は、ものは足りていて、生活再建、個人の自立が問題になっている。石巻は16万人の町ですが、産業のベースは水産業。漁船は損壊、港も地盤沈下。8千個の仮設住宅を造って間もなく入れる。しかし、それは箱もの復旧で、ハローワークにも求人はない」寺島さん

2011-08-06 18:03:24
orcajump @orcajump

「同じことがいろんなところに言える。人々が10年、仕事もなく生きられるのか。現状の塩かぶったところには住めないというのが前提だとすれば、いったい何の仕事をしてどこに住めばいいのか」寺島さん

2011-08-06 18:04:12
orcajump @orcajump

「地方紙ならばこそというのは、元々その町を知っているのが大きい。地震当日はどこに行っても、「何しに来たんや、救援物資持って来たんか」と怒鳴られた。それで、自分が知っている所に行ったらいいんだと気づいた。」宮沢さん

2011-08-06 18:06:48
orcajump @orcajump

「僕たちはずっといる。10年経って15年経って、やっとはなせる人もいる。ぼくたちはずっと同じ所にいるから、そういう人の話を聞くことができる。待つことができる」宮沢さん

2011-08-06 18:07:47
orcajump @orcajump

「地震の被害の大きさについて、すごい記事を書こうなんて地方紙の記者は思ってもいない。あの場所で、あの人ががんばってやって来た村作り、あの人の夢をどうやってこれから受け継いでいくのかを、書きたい。」僕は書き足りなくてブログでも書いています」寺島さん

2011-08-06 18:10:22
orcajump @orcajump

「空からの津波の映像は被害の大きさを伝えるのに、とても役に立った。しかしミクロの被害は俯瞰映像からは伝わらない。阪神・淡路の一ヶ月後に、毎日放送が、ナレーションもなく、車で町を走らせて淡々と映像を流しているのを見てよかった。被害の中の人に向けての報道もテレビに期待したい」宮沢さん

2011-08-06 18:15:55
orcajump @orcajump

@yagiyagiosaka うれしい!寺島さん、新聞には伝えきれない取材の跡を字数制限なしで書けるからと、ブログに綴っています。長さも臭さも感じさせない。土地の人を同じ土地に住む記者として伝え。しみじみよい記事です。

2011-08-06 18:20:53