2021五代十国の日まとめ
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#五代十国の日 十一カ国目、みんな大好き「後晋」だ〜! 石敬瑭は萌えキャラ。 pic.twitter.com/4nxmcDoJrU
2021-05-10 17:30:00#五代十国の日 燕雲十六州。コーエー三國志のマップに見慣れたあと水滸伝のマップを見ると「あれれえ? このマップなんかおかしいぞ~?」と感じる原因はコレ(だけじゃないけど)。 北辺防衛の要地から転じて征服王朝の足場となり、ふたたび漢人の手に戻るのは明王朝まで待つことになる。石敬瑭くん…
2021-05-10 07:00:18燕雲十六州のことは言ってはいけない
十三ヵ国目は「後漢」です! 「ごかん」じゃないよ「こうかん」だよ。 pic.twitter.com/aHG2g3NnHu
2021-05-10 21:00:00"後漢"の劉知遠さんも、石敬瑭の後晋が行った舵取りに悩まされながらも頑張ったなぁと思いますねぇ!思う思う #五代十国の日 pic.twitter.com/PlIfFLpSq1
2021-05-10 07:40:18石敬瑭と劉知遠はセットで覚えてね
#五代十国の日 十四ヵ国目が「後周」で、これにて五代はコンプです。 きっと後周が天下統一するんやろなって……。 pic.twitter.com/TBhLxVnVfj
2021-05-10 22:45:00#五代十国の日 おめでとうございます〜!過去のもので申し訳ないのですが、賑やかしに置いていきます。後周〜宋初のドタバタ実力継承劇が好きです。なんだかんだで優秀な人物につなぐ優秀な人々……… pic.twitter.com/d3WornhR1R
2021-05-10 13:13:57#五代十国の日 賑やかしで郭威と柴栄。後周の太祖と世宗。二人とも在位期間が短いのが悔やまれる…。 一族皆殺しにされ、一緒に行動していた義理の甥・柴栄が後継者となるのが面白いですね。 pic.twitter.com/z1nnuaQuPk
2021-05-10 04:58:18#五代十国の日 ちな中国史の推しは柴栄です。 この人が長生きしてれば明くらいの版図の後周作れた気も。 pic.twitter.com/Zgrf6s4mRU
2021-05-10 08:41:05後周の柴榮は北周の宇文邕に似てるよね、という過去ツイートでもどうぞ(ネタ切れ、五代史も宋史も読んでないんだ、、、 #五代十国の日 twitter.com/rivereastbambo…
2021-05-10 09:41:17それにしてもこの2人、転生したんかってくらい似てる、、、 北周高祖武帝=宇文邕 ・享年36歳 ・三武一宗の法難の二回目 ・突厥出征中に重態となり病没 ・後継はアホの子→楊堅が簒奪 後周世宗=柴榮 ・享年39歳 ・三武一宗の法難の四回目 ・幽州方面に出征中に病没 ・後継は幼な子→趙匡胤に禅譲
2021-02-19 18:20:03#五代十国の日 「五代十国」時代について多少まとまった知識を得たのは 栗原益男『乱世の皇帝ー“後周”の世宗とその時代』(桃源社、1979) を読んで。 それまで『水滸伝』の小旋風・柴進が「周の皇胤」とあってもその「周」が北宋に禅譲した「後周」であること、「後周」の存在自体を知らなかった。
2021-05-10 10:11:25#五代十国の日 ハッシュタグになっとる… やっぱり掉尾を飾る柴栄と飛龍趙匡胤よ ほのぼの乱世
2021-05-10 08:11:28柴栄サマをすこれ
開催おめでとうございますっ 色んな国を渡り歩いた馮道さんが一番好きです #五代十国の日 pic.twitter.com/dv2P4Nlmwr
2021-05-10 05:35:50かなり前に『馮道―乱世の宰相』を読んで馮道さんかっこいいなぁ、と思ったのだが、今は新刊では入手できないのか……。図書館にあればどうぞ。 amazon.co.jp/dp/4122042828 #五代十国の日
2021-05-10 00:01:41#五代十国の日 馮道 五朝八姓十一君に宰相として仕えるという凄まじい生涯を送った、耶律楚材の先駆者みたいな方。 こんな人生は送りたくないが、こんなふうに生きてみたい…
2021-05-10 07:29:01馮道さんは五朝八姓十一君に仕えましたが、その1500年程前に重耳さんはなんと晋を出発してから白狄→衛→斉→曹→宋→鄭→楚→秦→晋とぐるっと当時の中華ほぼ全土を……あれ全然関係ないな…… #五代十国の日 #五代十国と春秋を繋ごうチャレンジ
2021-05-10 08:27:40馮道が最晩年に柴栄の対北漢戦への出撃に反対するも禁軍の強さを見誤り、柴栄が北漢を撃破して天下が急激に統一に向かう中で死んだ運命は死ぬまで乱世の宰相を通した感がある。 #五代十国の日
2021-05-10 11:07:15後唐の宰相馮道は、儒家経典類の印刷で知られます。 後唐宰相馮道・李愚、重經學、因言、漢時崇儒有三字石經。唐朝亦於國學刋刻。今朝廷日不暇給、無能別有刋立。嘗見、呉蜀之人鬻印板文字、色類絶多、終不及經典。如經典校定、雕摹流行、深益於文教矣。乃奏聞。(『冊府元亀』巻608) #五代十国の日 pic.twitter.com/dnRzPrE6VW
2021-05-10 12:24:26(訳)後唐の宰相馮道と李愚は経学を重視し、次のように述べた。 「漢代では儒家を尊んで、三字の石経を建造しました。唐朝でも国子監が石経を刻みました。現在の朝廷は日々余裕が無く、石経を建てることはできません。(続く)」 #五代十国の日
2021-05-10 12:24:27「(訳続き)既に呉・蜀の人々が文章を刊行・販売しており、種類は非常に多いのですが、経典には結局印刷が及んでおりません。もし経典を校定して出版し、世に広めれば、教化に非常に有益でしょう」 そしてこの上奏は認可された。 #五代十国の日
2021-05-10 12:24:27印刷技術自体は唐代に始まっていますが、どうやら儒家の経典の印刷はあまり行われておらず、そこで馮道は国家事業として経典の印刷を行ったようです。 #五代十国の日
2021-05-10 12:25:23面白いのは、次善の事業として出版を行うという主張です。国家事業としては石経を立てるのがベストだが、その余裕は無いので印刷でそれに代えたというようです。あるいは国家事業として経典の印刷・配布に前例がないので、前例のある石経建立を口実に用いたのかもしれません。 #五代十国の日
2021-05-10 12:25:24なお、「三字石経(三種類の字体の石経)」というのは魏の正始石経、唐代の石経というのは開成石経を指していると思われます。 これらは石に経文を刻んでいるので、拓本を取ることによって複製ができます。いわば、印刷技術発明以前の複製技術といえるでしょう。
2021-05-10 12:25:58