@Taroupho カオスラウンジの場合は東氏がそういう役割をできるはずだったんでしょうが。あの、遅い時間ですので、もしあれなら止めていただいて大丈夫です。
2011-08-08 01:04:23@lie_____ いえいえ、当方もアート(というか芸術一般)の役割と射程とには関心があり、だからこそこうした話をさせて戴いているわけですが。親切なお答え、有難うございました。まあ、当方としては、基本的には傍観することしか出来ないです。彼らに何らかの可能性はある筈と思いたいです。
2011-08-08 01:09:15@Taroupho こちらこそ有り難うございました。お話させて頂いて大分スッキリしました。カオスラウンジに残されている可能性は、彼らが今固執しているアートの文脈を飛躍できるかにかかってくるでしょう…。僕も傍観していこうと思います。ではではまた。
2011-08-08 01:14:14おそらくこの騒動の議論でふつーのひとが分かんなくなっているのは、ここで出ているアートという言葉において、アート本来の概念と、プロダクトとしてのアートの概念がこっちゃになっているからだろう。カオスラウンジ宣言自体にそれがみえて、余計それを引っ張っちゃっているんだろう。
2011-08-08 01:51:35なるほど、カオスラウンジのしていることは、何も語らず何も示さない「非表現行為」(「反表現行為」ではない)なのだと考えると、確かに筋は通るね。それは「アート」ではありえないと思うけども。随分殺伐とした、というか絶望的な風景に見えるが、時代を体現していることは間違いない。
2011-08-08 16:02:04@Taroupho 先日おはなしさせて頂いたあとでハッとしたことは、今回の騒動における議論で一番混乱しているのはアートという言葉が、アートそのものとしての概念とマーケットに流通している商品としてのアート、それが混在しているのでは?ということです。
2011-08-09 02:03:45@Taroupho おっしゃられているとおり、彼らのやっていることが「非・表現」、先のアート本来の概念としてのアートではもう決してないと思います。
2011-08-09 02:04:17@Taroupho この混乱は、村上隆が爆発的に売れた後によけい深まって見えずらいものになり、カオス・ラウンジ宣言にもよく現れています。
2011-08-09 02:04:38@Taroupho 批評家の方々の歯切れの悪さ、その根はここにあると思います。「マーケットにおけるアート(商品)としてカオス・ラウンジは優れているけど、アートそのものとしての意味は決してそれに比例するわけではないんだよ」という簡単な言葉がほしいですね。
2011-08-09 02:05:07@Taroupho 彼らの活動と作品の稚拙さは、藤城嘘氏の発言(最近の沈黙とディス・コミュニケーションも含めて)から推測するに、結局いわゆる「同人活動」の感覚を脱してきれていないのではと思います。
2011-08-09 02:05:42@Taroupho 私は、彼らの作品から何の批評もよみとることができません。冗談みたいな言い方ですが、ネット・コミュニティにあるうま味をかすめとった、それ以上でも以下でもないと思います。
2011-08-09 02:06:12@Taroupho そういう身体感覚はコンテンポラリー・アートのコミュニティにおいて異質なもので、そこに村上隆が注目してきたのは自然理解が及びます。
2011-08-09 02:06:58@Taroupho 思うのは彼らが自分たちを正当化すること、論理の空間における正誤と社会的立場における勝ち負けに執拗にこだわっていること、これは彼らがたたかっているネット・コミュニティの人々と同じ方向性だと思います。
2011-08-09 02:07:58@Taroupho ちょうどタイムリーに発言してくださった内田先生のブログをちょっと引きつつ… http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php
2011-08-09 02:08:53@Taroupho 自分が正しいと主張しつづける人々だけの社会はもう本当に殺伐として、さみしいものだと思います。そして日本の社会はおそらくそういう方角に向かっています。
2011-08-09 02:09:24@Taroupho 他者への想像力が減退している。「あの人はあんなこといっているけど、実はそれには理由があって、根っこのところで実は違うことを考えたり、苦しんでいるのでは?」などと皆もう思わない。
2011-08-09 02:10:26@Taroupho 私がデリダのforgivenessが好きなのは、彼が最後のページで、それが論理的に「ありえないこと」であっても純粋なforgivenessを夢見る(dream of)ところです。
2011-08-09 02:11:01@Taroupho いってみればこういう三次元の発想がドコマデモ、ドコマデモ、カオス・ラウンジの作品、発言、またとりまく騒動にまで欠如している。彼らが震災のモチーフを商品ではない別の仕方で具現化できることを私は想像できません。
2011-08-09 02:11:56@Taroupho 今回の騒動で私が一番興味を持っているのは「許されないよ」という言葉です。これはまさにデリダがいうthe unforgiveableです。すごい鋭さです。
2011-08-09 02:12:27@Taroupho 深入りはさけますが、the unforgiveableを主要なポイントとして、太平洋戦争をおえたアジア諸国の人々と日本国民である私たちがあゆんできた道のりが与えてくれたものは、経済と正義の論理だけではないはずです。
2011-08-09 02:12:55