「犬が6本足ならば、犬の足は5本以上」は論理的に正しい

僕の個人的な論理感覚についてまとめたものです。 ツイッター上での議論の参考材料としてお役に立てたら嬉しいです。 本まとめの第二弾として、下記のまとめも作成しました。 続きを読む
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ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

23)あと「ソースが示されていない」という反論もありそうだが、この文章は僕が「論理」というものに対して独自に勉強した成果なので、ソースはありません。大学で数学の整数論を勉強し、その後、三浦俊彦さんの本を読んでこのような論理感覚を持つようになりました。ネット上の知識じゃないです。

2011-08-14 17:22:09
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

24)来そうな反論をもう一つ。「論理的考察プロセスの正しさだけでなく、採用した前提が現実世界に合っている事も含めて『論理的に正しい』と言うんだ」というもの。実際、ツィッター上の議論ではこっちの「論理的に正しい」の用法の方が多そう。

2011-08-14 17:22:19
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

25)だとしても「採用している前提が現実世界に合っているかどうか」と「前提が合っているかどうかに関わらず論理的考察プロセスの部分は合っているかどうか」は全然別の問題なので、後者を言い表す名前を付けた方が便利だと思います。

2011-08-14 17:22:59
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

26)僕は後者を「論理的に正しい」と呼んでいるのですが、他に適している呼び方があれば教えて下さい。以上の事を踏まえた上でのご意見・反論をお待ちしています。どうぞよろしくお願いいたします。【終】

2011-08-14 17:23:10
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

@daikeiAZP 「犬が6本足ならば、犬の足は5本以上」は記号論理的に間違っています。なぜならこの導出は、形式論理(記号論理)でなく、意味論理の導出であるからです。「5本以上」の意味を数理の知識で解釈しているからです。記号論理なら、同じ言葉を使うべきです。意味解釈は違反です。

2011-08-14 19:07:52
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

@rakue_katsuhiro 指摘ありがとうございます。そうですね。「5」「6」「以上」という用語の定義とその関係性を決めておかないとダメですね。こういう文章を書くときは正確性を取るか、読みやすさ(省略、比喩)を取るか悩みますが、後者の方を採用してしまいます。

2011-08-20 15:17:16
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

@daikeiAZP 意味論理(意味解釈)が正しい場合を「健全」と言い、形式論理(論理演算)が正しい場合を「妥当」と言います。「論理的に正しい」と言う言い方は、曖昧な言い方になります。意味論理と形式論理とを明確に分けて考えた方が良いです。形式論理とは、記号論理で記述可能な形です。

2011-08-20 15:58:43
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

前提が正しいかどうかを問うのは意味論理である。前提から結論を導く手続きが正しいかどうかを問うのが形式論理である。意味論理が正しければ「健全」と評価され、形式論理が正しければ「妥当」と評価される。それだけのことだ。「健全」で「妥当」な時だけ、有益な論理になる。何も難しいことはない。

2011-08-20 20:51:40
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

前提が間違っている場合、前提で述べられた内容に間違いがあり、それは意味解釈が間違っている、と言うことである。だからそれは、意味論理の間違いであり、不健全な意味解釈と評価される。それだけのことだ。意味論理の解釈は、帰納法に基づくものであって、形式論理(演繹法)ではない。それだけだ。

2011-08-20 20:59:28
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

@rakue_katsuhiro なるほど。言葉は正確な方がいいですね。こういう事の入門的な内容の本とかっておススメありますか?できればamazonで中古で安く手に入るのがいいですが・・・

2011-08-20 21:10:54
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

@daikeiAZP 残念ながら、意味論理に関する良い本がありません。今、私がそれを書いています。印刷本として発売はできませんので、電子書籍として年内に発売します。代わりに下記を参照下さい。 http://t.co/TgCkequ

2011-08-20 21:19:49
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

@rakue_katsuhiro 「意味論理」というのは誰の用語なのでしょうか?学者の間では一般的であるが、世間には広まっていないという感じですか?外国では一般的だが日本には広まっていない?あるいは、ラクエさんが初めて提唱している概念?

2011-08-20 22:33:03
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

@daikeiAZP ジル・ドゥルーズ著、小泉義之訳『意味の論理学』(河出文庫)と言う本があります。これは、意味論理の本ですが、難解すぎて、全く意味不明の本です。日本語で読める本で、これ以外に意味論理の本はないみたいです。

2011-08-20 22:44:36
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

@rakue_katsuhiro なるほど。日本でも「意味論理」の概念が広まれば色んな議論が円滑に進むかもしれませんね。でもそれまでは「論理的に正しい」という言葉を「形式論理的に妥当」という意味で使った方が分かりやすいかもしれません。

2011-08-20 23:09:22
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

@rakue_katsuhiro 意味論理という新しい言葉を使っても、それにひもづく概念を読者が思い起こす事ができないのであれば、あまり意味がないのかなとも思っていまいます。もちろん、それでも「意味論理」を使うことでその概念を世間に広めていくという一面もあるのでしょうが。

2011-08-20 23:13:48
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

@rakue_katsuhiro という事で、僕は今後「論理的に正しい」という曖昧な言葉を「形式論理として妥当」という狭義の意味で使いながら、「論理には意味論理と形式論理の2種類ある」という広義の意味も参考資料程度に認める、という立場を取ろうかなと思っています。

2011-08-20 23:20:07
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

@daikeiAZP 意味論理とは、形式論理以外の論理のことです。人間は、日常的には形式論理で考えていません。日常的に考えているのは、意味論理です。意味を思い浮かべ、その意味が指し示すイメージで物事を考えています。記号論理とは、意味を完全に取り除いて記号化したものです。

2011-08-20 23:18:49
ソモソモロン(短歌×論理) @daikeiAZP

@rakue_katsuhiro なるほど。論理を辞書で引くと「思考の形式」と出て来るから、演繹以外の論理も考えうるのですね。僕は数学から入っているのでどうしても論理は記号論理的なものしか認めたくないんですよね。違和感がある。ただ単に狭義/広義の違いだと思うのですが。

2011-08-20 23:27:17
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

@daikeiAZP 「論理」を広義と狭義とで区別することは正解です。 狭義の論理は、形式論理(記号論理を含む)であり、広義の論理は、意味論理と形式論理とを合わせたものです。

2011-08-20 23:33:06
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

三浦俊彦 著『論理学入門』(NHKブックス)によれば、演繹法と帰納法とは、互いに変換できる関係であるように記述されている。だが、この意見には賛成できない。演繹法と帰納法とは、全く違うものだ。三浦氏の本は、演繹法の概念を不当に広げているのである。だから、賛成できない。

2011-08-20 23:41:19
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

形式論理と演繹法とは、完全に同じものと定義したい。しかし、論理学の本によって、両者に違いがあると論じているものがある。演繹法の中に形式論理が包含され、演繹法の方が概念範囲が広いと定義するものがあるのだ。こうなると、演繹法の概念が明確でなくなり、曖昧な概念になってしまう。

2011-08-20 23:52:27
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

人が物事を考えるに当たって、絶対的真理がなければ何も考えられない、ということはない。経験的に知り得た知識を元にして、法則仮説を立て、それに基づいて演繹的に何かを考え、結果を見て、もし法則仮説が間違っていたら、仮説を修正する。昔から、このやり方は変わっていないし、今後も変わらない。

2011-08-21 03:37:19
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

絶対的真理と言う知り得ないものを求めてはいけない。人間は全知全能ではないのだから、知り得ることは常に断片であり不完全である。井の中の蛙なのだ。限られた知識の中で、もっとも確からしいものを選んで、仮にそれを真理であろうと仮定するだけなのだ。そして、仮定のもとに何かを考えるのだ。

2011-08-21 03:45:20
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

意味論理と言うものは、現実に合っている命題を定立することである。つまり、現実を正しく反映した命題を立てること、現実を正しく解釈すること、現実と合致した用語解釈をすること、現実と合致した意味定義をすること、現実に即した前提をたてること、現実に合致した結論を導くこと、以上である。

2011-08-21 11:00:33
樂得勝宏/RakueKatsuhiro @rakue_katsuhiro

意味論理が健全であると言うことは、正しい意味が定義されていること、正しい意味に解釈していること、正しい意味がそこに示されていること、などである。そして意味論理での正しさとは、現実に合致しているということだ。形式論理が妥当と言うことは、単に、形式論理の規則に合致していることだ。

2011-08-21 11:07:01