- KCin_Tokorozawa
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「検証の結果,昇降舵に問題があることが分かりました. 飛行機に作用する空気力,エンジン出力などを全て釣り合わせて操舵力をゼロにする事を,「トリムをとる」といいます」
2021-08-07 09:30:17「例えば,ある速度・ある高度で水平飛行したいとき,操縦桿を少し手前に引かなければならない飛行機があったとします. この姿勢を保ち続けるには,ずっと操縦桿を同じ力で引いていなければならないことになり,これは面倒ですし精度も良くありません」
2021-08-07 09:30:45このようなとき,トリムをうまく調整すれば,操縦桿から手を放してもずっと一定の力で引き続けているのと同じような状態にすることができます. しかしE-102では昇降舵のトリムタブが機能していませんでした. 結果,操舵力の釣り合いがとれず,右に大きく傾いたと推測されます」
2021-08-07 09:31:03「パラシュート部隊では元々,実戦のための輸送機としてユンカースJu-52の調達を考えていました. しかしドイツは輸出を拒否. そのため,ハンガリー航空株式会社(MALERT)が旅客機として使用していたサヴォイア・マルケッティSM.75が輸送機に改造されることになりました」
2021-08-07 09:37:41「MALERTはトリアノン条約における軍備制限下において,秘密空軍として活動する任務を負っています. よって,サヴォイア・マルケッティSM.75も軍事転用を考慮して輸入されています」
2021-08-07 09:38:04「しかし問題が一つありました. この機体はユンカースJu-52のような金属製ではなく,鋼管フレームを羽布と合板で覆ったものでした. ところが空挺部隊が駐屯していたパーパ飛行場には,当初この機体用の格納庫が無く,防水シートをかけて露天駐機しての運用が続きました」
2021-08-07 09:38:54「そのため腐食が早く,1942年には残る全機がリタイアしています. 油圧システムでの故障も頻発. 飛行機がこのような状態であったことが,事故を招いたのかもしれません」
2021-08-07 09:39:21「また,空挺大隊自体,急造されたものでした. 大隊としての編制が完結したのが1940年11月. 実戦参加の僅か5ヶ月前のことです. その装備も間に合わせのものが多く,たとえばショルダーバッグや銃剣は第一次大戦時代のお下がりでした」
2021-08-07 09:44:35「サヴォイア機にしても部隊への到着は1940年5月. それまでは,より旧式なカプローニCa.101輸送機を使って練習していました. このような,お世辞にも優先順位が高いとは到底言えない装備調達状況が,機材整備にも影響したのかもしれません」
2021-08-07 09:44:52「ユーゴスラヴィアでの空挺部隊の作戦は順調に進み,作戦全体での死者は24名. そのうち半数以上の17名がこの事故によるものでした」
2021-08-07 09:45:51「ベルタラン少佐は死後,大佐に名誉昇進. 1941年4月17日には,第1空挺大隊は「ヴィテーズ(勇爵)・ベルタラン・アールパード大隊」と命名されました. そして現在でも,その名は第2特殊作戦旅団に引き継がれています」
2021-08-07 09:46:04【参考ページ Referencia Oldal】 acta.bibl.u-szeged.hu/37397/1/belved… real.mtak.hu/98367/1/HT_201… facebook.com/magyarfelderit… facebook.com/magyarfelderit… arcanum.com/hu/online-kiad… felderitokblogja.blog.hu/2018/04/12/ejt… skyart-japan.tokyo/2020/12/20/202… wikiwiki.jp/flightsim/%E5%…
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