ルーマニア第4降下ライフル大隊

Potez650/651輸送機の前でポーズをとるルーマニア降下猟兵たち。中央の女性は落下傘降下の高度記録を次々と樹立したSmaranda Brăescu女史ではないかと思うが確証はない。ルーマニア降下猟兵は国産装備に身を固め、精鋭部隊として温存されて実戦降下することはなかったが、政変時にはブカレストでドイツ軍と闘った。
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

ルーマニア王国空軍での降下猟兵部隊の研究はドイツ降下猟兵の活躍やソ連軍空挺部隊の情報に刺激されて非公式に開始され、1941年6月10日には正式に降下部隊の編成が開始された。ルーマニア空軍はドイツ軍のような大規模作戦は不可能であり、個人戦闘と特殊戦術に優れた精鋭部隊の設立が主眼とされた。

2020-12-11 22:06:33
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

1941年以前の非公式訓練の時点で兵員は約180名で、全員が28歳以下の志願兵で兵員の訓練は通常の歩兵訓練の他に格闘戦、個人戦闘、トラックや戦車の操縦など各種車両の運転技術、機関銃など各種小火器、対戦車砲などの射撃訓練、水泳、痕跡の発見技術、追跡技術、擬態、偽装などの技術が含まれていた。

2020-12-11 22:08:59
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

さらに外国語(ロシア語、ハンガリー語、ブルガリア語、ポーランド語)のどれか一つが話せることが必要とされた。ハンガリー語?実はハンガリーには「北トランシルバニア」譲渡を余儀なくされた領土問題を抱えており、時節到来の暁には降下部隊を先頭に領土奪還のために進撃する構えであった。

2020-12-11 22:11:57
消印所沢 @KCin_Tokorozawa

@noricksakurai 一方,ハンガリー側では1942年の段階でルーマニアの侵攻に備え,国境地域のセーケイ人民兵(未成年から40代まで)や地元警察を糾合して郷土防衛隊を組織.同盟国同士の内ゲバワロ…えない.

2020-12-12 02:07:44
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

Potez650/651輸送機の前でポーズをとるルーマニア降下猟兵たち。中央の女性は落下傘降下の高度記録を次々と樹立したSmaranda Brăescu女史ではないかと思うが確証はない。 pic.twitter.com/wUrur8F6Ew

2021-12-30 22:46:13
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マーノシュ @Nasikandar_

ルーマニアの「白い飛行隊」、女性パイロットの中にアメリカ帰りでルーマニア空挺部隊の教官もやってた女性パラシュート専門家もいて、ほんとに凄いメンツばかりだ ro.wikipedia.org/wiki/Smaranda_…

2020-06-01 23:12:53
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

最初に設立されたのは「第8降下ライフル中隊」であり、1942年には「第9降下ライフル中隊」が、1943年には「第10重火器中隊」が編成され、これらをまとめて「第4降下ライフル大隊」が設立された。また降下学校の訓練施設と補充兵中隊もブカレスト近郊のポペシュティ=レオルデニ飛行場に開設された。

2020-12-11 22:14:49
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

1943年10月の時点で大隊兵力は215名であり、2つ目の大隊の編成も計画されましたが、定数を充足できない状況であった。原因はもともと定員割れの原隊が志願兵に受験させたくないという事情もあり、書類の遅れや不備、受験に必要な休暇の拒否などさまざまな妨害が行われた。

2020-12-11 22:20:36
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

のちに2個大隊による降下連隊に拡大が命令された際でも降下訓練を受けたのは約1,300名程度であったらしく定員の2,877名まで拡大は見込みがなく、1944年に陸軍の空輸大隊との混成により連隊規模に拡大される計画もあったが、これも完了することはなかった。

2020-12-11 22:21:38
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

降下ライフル中隊の装備火器はZR24ライフル、MP40及びZB30軽機関銃を主力としており、機関銃小隊にはZB53重機関銃、迫撃砲小隊はBrandt 60mm迫撃砲、工兵小隊は火炎放射器と集束手榴弾を装備した。また第10重火器中隊はBohlerd 47mm対戦車砲とBrandt 81.4mm迫撃砲を装備した。

2020-12-11 22:24:23
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

パラシュートはアーバインパラシュート(Irving Air Chute Ltd)のライセンスによる国産パラシュートで、降下服も独自開発の国産品であった。1943年以降はドイツから輸入された最新装備の受け取りも始まり、ヘルメットはドイツ製降下猟兵用ヘルメット、携帯火器はMP40サブマシンガンが主力兵器となった。 pic.twitter.com/I2zI0Mdl4L

2020-12-11 22:31:12
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大隊の輸送は「第105重輸送飛行隊」、「第107重輸送飛行隊」の輸送機及び「第109グライダー輸送飛行隊」のグライダーが充当され、このうち重輸送飛行隊はそれまでのロッキード10AやPotez650/651輸送機にかわり、1942年からはJu52輸送機が導入された。

2020-12-11 22:37:03
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

大隊の重装備と降下訓練を受けていない兵員は「第109グライダー輸送飛行隊」のDFS230 グライダー等で空輸される計画であった。グライダーはIAR39で牽引されたが、牽引機は12機程度であったようだが、この機体は偵察、哨戒、連絡などをこなす万能機であった。 pic.twitter.com/23Id76uVeu

2020-12-11 22:39:09
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Drisine @Drisine3601

ヘルメットのせいでドイツの降下猟兵っぽいけどこれはルーマニアの空挺部隊らしい。ブルガリアやルーマニア、ハンガリーはドイツからの支援や教育の下で空挺隊を育成してたみたいね pic.twitter.com/MyxhewLjl4

2018-11-03 13:25:57
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

@Drisine3601 1944年8月19日空軍大尉Alexandru Serbanescuの葬儀で儀仗兵として参加したルーマニア降下猟兵。1939年型のドイツ降下兵用ヘルメットを着用しています。

2021-12-30 16:05:23
リンク Wikipedia Alexandru Șerbănescu Căpitanul aviator Alexandru Șerbănescu, cunoscut ca „Alecu”, (n. 17 mai 1912, Colonești, Olt, România – d. 18 august 1944, Viperești, Buzău, România) a fost un ofițer de vânători de munte și pilot de vânătoare din România, as al aviației de vânătoare româ 770
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

#いいねの数だけ自分の本棚にある本を記載する見た人もする 11冊目 「第二次大戦のルーマニア空軍エース」は空ものに宗旨替えしたわけでなく、スターリングラードでのカルポフカ飛行場からの脱出エピソードを調べた。この時の指揮官がシェルバネスク中尉でルーマニア降下猟兵が後に葬儀に参列した。 pic.twitter.com/7YfrgjAAPT

2022-01-01 18:28:31
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

「第4降下ライフル大隊」は東部戦線に送られず首都防衛用の精鋭部隊として温存され、1944年8月23日以降の対独戦でも使用されなかった。大隊の唯一の作戦行動は1944年8月23日にブカレスト北郊外のオトペニ飛行場と隣接のバネアサ地区などのドイツ軍拠点への攻撃であり、大隊の兵力は861名であった。

2020-12-11 22:42:19
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

ドイツ軍はオトペニ飛行場の守備隊にJu52やMe323ギガントにより増援部隊を空輸したが、多くの輸送機がブルガリア軍の対空砲火と戦闘機の迎撃により撃墜された。この時空輸されたのは「ブランデンブルク」降下猟兵大隊と少数ながらSS第500降下猟兵大隊の一部も含まれていたようだ。

2020-12-11 22:46:17
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

ドイツ軍増援部隊の生き残りはプロエシュチ油田防衛の空軍部隊と合流したがその後降伏した。 「第4降下ライフル大隊」は首都ブカレストの警護部隊として維持されたが、1945年2月にソ連軍の「要求」により解隊された。ルーマニア軍の空挺部隊は1950年11月1日に再建されたが完全なソ連式部隊となった。

2020-12-11 22:53:15