【超悲報】白饅頭さん無知を晒して自爆!「人権は西欧キリスト教ローカル道徳」と連呼するも「人間社会が【法の支配】と【罪刑法定主義】を求めた」と矛盾した自説を振りかざす!

あれれ〜?おかしいよ〜!!
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白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

小学校で男の子が女の子の服にカレーをこぼしてしまったら、女の子の親もその子も「被害者」ポジションから微動だにせず、延々と許さずに「報復」を仕掛け続けている――というツイートが話題になったのですが、その件についての答え合わせ的な、お役立ち情報共有的な光属性テキストです。

2021-08-16 17:06:24
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

「被害者ポジションから動かずに『被害者である自分には自由に報復してもよい権利がある』と考えたがる人」――まさに典型的なヤクザ・メソッドの使い手なのですが、それを小学生から身に着けてしまっては、本当に将来が危ぶまれる。現実ではめったに遭うことはないが、ツイッターにはウジャウジャいる。

2021-08-16 17:07:18
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

「被害者である私が完全に納得して許すまで、私はおまえに制裁できる権利を持っている」という人治主義的な社会が機能するのは「ここらで手打ちにしましょう」という、ある種の《わきまえ》の規範を共有している人びとの場合のみだ。際限なく被害者意識を昂らせる人間が現れれば、その前提は崩壊する。

2021-08-16 17:08:22
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

「許さない被害者」であり「許さないかぎりはいくらでも報復してもよい」――などというルールは、被害者意識の強い人間が現れればすぐにバグる。そのような人間が「被害」を受けたとき、永久に他人への加害行為をやめなくなり、しかもその加害行為が際限なく免責されてしまうからだ。

2021-08-16 17:09:33
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

なぜ人間社会が「法の支配」や「罪刑法定主義」を求めるようになったのかがよくわかる一幕だ。やはり小学校は学びが深い。実生活でこうした人と(できれば出会わないに越したことはないが)運悪く出会ってしまったとき、どうすればよいのかについて書きました。

2021-08-16 17:10:34
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

「加害者は一発アウトで仕事も人生も壊れればいい」という「被害者」への共感が拡大していく状況だからこそ、知っておくべき大事な話を書きました。ぜひ読んでみてください。

2021-08-16 17:13:45
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

「被害者ポジから微動だにせず、際限なく『私的制裁』を正当化しようとする異常者」に出会ってしまったとき、そうした人に対処するための「心構え」と「思考の整理法」これを知っておかないと、そういう人の暴力や恫喝に甘んじることになる。

2021-08-16 17:12:10
databeing1357 @databeing1357

あれれ〜?おかしいよ〜!! 人権は西欧のローカル道徳に過ぎないとか言っている白饅頭さんが同じ日に「人間社会が「法の支配」や「罪刑法定主義」を求めるようになった」って言っているよ〜!! twitter.com/terrakei07/sta…

2021-08-19 20:00:43

あれ?「法の支配」も「罪刑法定主義」も人権の手続き保障の根幹ですよね?

Wikipediaの罪刑法定主義の解説

罪刑法定主義と日本語訳されるこの概念はローマ法に原典をもつものではなく、近代刑法学の父といわれるドイツ刑法学者フォイエルバッハにより1801年に提唱されたものである[1]。

この原則の淵源は、1215年のマグナ・カルタに遡り、そこで謳われた法定手続の保証がイギリス帝国で再三確認されたのち、アメリカ合衆国に渡り、1776年ヴァージニア州権利章典8条に、1788年アメリカ合衆国憲法に、またヨーロッパに戻り、1789年フランス革命人権宣言8条がこれを宣言し、1791年のフランス憲法に盛り込まれ、全ヨーロッパ諸国の刑法に採用されることで罪刑法定主義は「近代刑法の大原則」として承認されるに至った[2]。

罪刑法定主義の根拠は、以下のように自由主義・民主主義の原理にこれを求めることができる。

どのような行為が犯罪に当たるかを国民にあらかじめ知らせることによって、それ以外の活動が自由であることを保障することが、自由主義の原理から要請される。

何を罪とし、その罪に対しどのような刑を科すかについては、国民の代表者で組織される国会によって定め、国民の意思を反映させることが、民主主義の原理から要請される。

コトバンクの罪刑法定主義の解説

いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるかということを、あらかじめ法律で定めておかなければ人を処罰することはできないとする主義。 人権保障のあらわれで、近代自由主義刑法の基本原則。 日本の憲法もこれを採用している。

wikipediaの法の支配の解説

法の支配(ほうのしはい、英語: rule of law)は、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である。法治主義とは異なる概念である。

「法の支配」とは、統治される物だけでなく統治する側もまた、より高次の法によって拘束されなければならないという考え方である[1]。大陸法的な法治主義とは異なり、法の支配では法律をもってしても犯しえない権利があり、これを自然法や憲法などが規定していると考える[1]。]

法の支配における「法」[注釈 1]とは、全法秩序のうち、「根本法」ないし「基本法」のことを指す[2]。

法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である[3]。

法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義とも密接に結びついている[3]。

meta-utopian @MinarchyMeta

「法の支配」や「罪刑法定主義」ってあなたが西欧のローカル道徳に過ぎないと言っている「人権」の手続き的権利の最たるものなんですけど。 twitter.com/terrakei07/sta…

2021-08-16 23:15:30

 自己所有権にはローカル道徳はないとリバタリアンから砲火される白饅頭さん

meta-utopian @MinarchyMeta

@LP_JPN さて、リバタリアンや自己所有権はローカル道徳でない根拠ってなんかあるんでしょうか?ノージックだと、無政府状態→保護協会(民営軍事警察)→支配的保護協会(独占化)→最小国家なのですが。 twitter.com/terrakei07/sta…

2021-08-16 23:54:59
白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07

そもそもとして、「人権思想」は人類普遍の道徳律でもなんでもなく、西欧キリスト教を発祥にしたローカルな道徳でしかないという。

2021-08-16 16:40:04
リバタリアン協会@アカウント移行 @Libertarian_JPN

@MinarchyMeta 哲学的にはカント的な定言命法であるとか、無知のヴェールによる社会契約論で、普遍的な道徳ですよ感を出していますが、言語ゲーム論など、文化相対主義につながる哲学や道徳の認識論、つまりローカル道徳という捉え方もありますね。(続く)

2021-08-17 00:45:44
リバタリアン協会@アカウント移行 @Libertarian_JPN

@MinarchyMeta ローカル道徳のためのプラットホーム…という感じでしょうか? その他の正義論はローカル道徳(やその道徳の目指す美徳)を受け入れない場合がありますね。たとえば、リバの言う「婚姻制度の廃止」は、リベラルの同性婚を認めるという主張よりも、真に価値相対主義だと思います。

2021-08-17 00:49:41
リバタリアン協会@アカウント移行 @Libertarian_JPN

@MinarchyMeta 個人的には、リバの前提が自己所有権からスタートするというのが、他にも色々と公理を持ち出す他の正義論に比べて、価値相対主義の度合いが最も高いような気がします。そのため、最小国家論なら、その最小国家内部にローカル道徳は十分存在できるはず。

2021-08-17 00:47:09
meta-utopian @MinarchyMeta

@LP_JPN ありがとうございます!もし、自己所有権が「西欧キリスト教を発祥にした」と言われたら「自分で実行する自殺も成人同士の多重婚も自己所有権から導出されます」と反論すれば良いわけですよね。(多重婚とは法律婚ではなく多夫多妻での生活

2021-08-17 13:29:10

「デュー・プロセス」 -「人権保障の歴史は、手続き保障の歴史であった」-

【升永】主権者意識から統治論に発想が至るまでにはまだなっていません。違憲状態の選挙で当選した民主的正統性のない国会議員が法律を作ったり、総理大臣を選んだり、憲法の国会発議を行うなんて、憲法上全く信じられない馬鹿げたことです。私はアメリカで「デュー・プロセス」を学んできたから、何の余地もなくストレートにそう反応します。しかし、実は昭和30年代、東大法学部にいた時、私は、「デュー・プロセス」の意味がよく分かっていませんでした。例えば、人を殺したかどうかが大事で、捜査方法に違法性があれば、それは無罪だ、という理屈がよくわからなかった。捜査方法が違法であったとしても殺した人は悪いのではないのか、という考えが頭の中に残っていました。そこには「デュー・プロセス」という発想はありませんでした。徳川時代の日本と同じでした。

【伊藤】ないです。

【升永】明治時代の憲法も同じ。刑法も同じ。要するに、殺したかどうかが問題であって、どのように(拷問などにより)自白させたかは問題視しない。片時も拷問したら無罪だという厳しさがないですね。もちろん、拷問がいかんという意識はありましたが、片時でも、これっぽっちでも拷問があったらもう全部無し、という発想は、私は法学部の学生の時はありませんでした。

【伊藤】いや、ないです。そういう発想はないし、今でも検察官の中にその発想がない人もいると思います。拷問は悪い。だから、拷問した人を処罰すればいい。それと犯罪を犯した人の処罰とは別だと考えるんです。だから拷問の手続きがあったにせよ、悪いことやった人は処罰しなさい、有罪は有罪ですよ、という発想です。捜査や取り調べの手続きが判決に影響するという発想は全くないんです。

【升永】アメリカでは一点の拷問、一点の違法な取り調べがあれば無罪になるのがプラクティスです。なぜそれをやるかと言うと、そういうことをやれば拷問がなくなるからです。拷問を世の中からなくさなければいけない。そのためには、一点でも拷問という汚れがあればそれはもう無罪にする、というルールを作ってしまえば拷問する警察官はいなくなる。拷問する検察官もいなくなる。だから、「デュー・プロセス」を最も重要視するんだと、割り切っているんですよね。この発想が素晴らしいんです。このことを私はアメリカ行くまで知りませんでした。

【久保利】昭和40年、芦部教授はまだ若手の学者だった頃ですが、ゼミでの憲法の議論はほとんど「デュー・プロセス」の話ばかりでしたよ。国家統治論の話は別にして、人権論は、告知・聴聞の機会の保障だとかを芦部さんはずーっとおっしゃっていました。彼はある意味でアメリカ帰りの憲法学者の先駆けだと思います。僕は授業にもゼミにも出ていましたら、そのことはずーっと聞いて知っていましたよ。升永さんはアメリカ行くまで知らなかったらしいですが。(笑)

【升永】時代が違うでしょう、あなたとは。(笑)私は昭和30年代だもの。芦部さんはまだ助手の時代の筈です。

【伊藤】私が最初に見た芦部先生の教科書には、「人権保障の歴史は、手続き保障の歴史であった」と書いてありました。刑事訴訟法をしっかり学ぶまでは、その意味がよく分かりませんでした。

【升永】手続き保障だというのは芦部さんが言うから何となくそうかな、と思っているだけで芦部さんの言うような心底から分かるというのは、久保利さんのような本物しか分からない。せいぜい言われても何となく「そうかいなぁ」という程度で腹の底までとはなかなかいかないでしょう。

【伊藤】はい、そうなんです。日本と世界の立憲主義の歴史、刑事訴訟の歴史を知って初めて納得できるようになりました。

【升永】日本の刑事裁判の問題は、いまだして殺したかどうか、自白したからいいじゃないか、間違いなく殺している、という実体法主義で、「デュー・プロセス」になっていないところです。

【久保利】裁判官が無罪にすればいいんです。ただ、刑訴(刑事訴訟法)を取っていない裁判官が当然たくさんいたわけですよね。あの頃は、民訴(民事訴訟法)か刑訴の選択でしたから。

【伊藤】選択でしたからね。

【久保利】刑訴は本当に難しいので、司法試験通ろうと思ったら、まず民訴を選択しますよね。そうすると、刑訴を取ってない人が検事になったり裁判官になったり弁護士になることになります。「人権とは手続きなり」などとは露ほども考えないままに。

【升永】アメリカのロースクールに行って知ったのですが、アメリカのロースクールの学生にとっては、「デュー・プロセス」のあることが議論の大前提でした。

【伊藤】そういう教育を受けた人が社会のいろいろなところに散らばっていきますから。政界、財界、法曹界、それから一般企業にも。

【久保利】だから弁護士が政治に対しても多分に貢献ができるんですよ。

【伊藤】ジャーナリストになったりですとか。
【久保利】打撃の錯誤と言われる間違えて誰かを撃っちゃたりとか、実体法の関係で殺人罪が成立するかしないかということより、拷問したらみんな無罪になってしまう、というほうが法の支配として意味を持ちますよね。

【伊藤】そうすることにより国民性ができるんですよ。

【升永】私は、アメリカのやり方、「デュー・プロセス」により無罪とするアメリカのやり方は正しいと考えます。なぜならば、拷問はやってはいけないのだから、一点でも拷問があれば、有罪な人も無罪にするという厳しさを裁判所がやれば拷問はなくなる。

升永英俊 @masunaga_hide

選挙権は手続き保障。手続き保障は、結果の平等ではなく行為の平等故、手続きそれ自体の「一対一」のしかあり得ません。「「デュー・プロセス」 -「人権保障の歴史は、手続き保障の歴史であった」-」参照 www2.ippyo.org/?p=1314 #ippyo #法の支配 #デュー・プロセス #芦部信喜 #刑法 #最高裁

2021-08-15 22:10:16

翌日もひたすらに同じことを連呼する白饅頭さん

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