@U_saishu
偽善とは「他人に対して何らかの見返りを求めること」である。偽善は通常、不道徳な行為として疎まれるものであるが、偽善が目指すところが「自分に対する見返り」であることから、偽善は「自分を肯定する」行為であり、偽善を肯定することはかえって道徳的でありえる。
2010-04-30 21:54:40
@U_saishu
なぜなら、偽善を肯定し、自らを肯定することによって、初めて「無償の行為」すなわち「愛」による行為が可能となるからである。自らが否定された上での「無償の行為」は無償であり得るはずがない。
2010-04-30 21:57:06
@U_saishu
人間は欲望を絶つことが出来ず、その「空虚な無償の行為」は、「そのような行為を行っている」という評価を「欲する」ことになる。「無償の行為」は自らが肯定され、その上で「余った見返りを他人に分ける」作業である。
2010-04-30 21:59:26
@U_saishu
偽善が自らを肯定する行為であり、愛が自らが肯定された状態ではなくては成り立たず、道徳が愛による無償の行為を奨励するならば、結果として道徳は偽善を否定することが出来ない。むしろ道徳は偽善を奨励せざるを得ない。
2010-04-30 22:00:57