「佐竹氏と武田氏の嫡流論争」に関する私的考察

あるツイートのリプで佐竹氏を甲斐源氏とした方がいらっしゃったので、「それは違うのではないか」ということを、佐竹義重と武田晴信の嫡流論争も交えて考察したものをまとめてみました。
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城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

佐竹義重と武田晴信の間で本家論争があったけど、そもそも佐竹氏は甲斐源氏とは言わないんじゃないか? 武田氏は常陸出身だけど常陸源氏とは言わないように。

2021-09-27 12:51:40
城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

一応、源義光の嫡男は佐竹氏の祖義業となっています。実際に義光が得た常陸国での利権を、在地の武将と婚姻しながら受け継ぎ子孫に繋げたことから見ても、実質的に義光の跡を継承したと見て良いでしょう。

2021-09-27 18:16:58
城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

一方、武田義清は義光と常陸平氏の娘から生まれており、その勢力圏内の地名を苗字としますが、国司や母系と折り合わず、甲斐に流されてしまいます。 武田氏は鎧「楯無」を所持していることから、義光流の「名」の部分を受け継いだことになります。

2021-09-27 18:26:37
城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

ただし義光が甲斐国に利権を所持していたことは現在否定されているようです。 そうなると、佐竹氏は義光の領地を継承し、武田氏は義光の名跡を継承したことになります。

2021-09-27 18:30:20
城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

ここから佐竹義重と武田晴信の論争を考えると、 ・武家の間で、貴族に倣って家宝を直径子孫に相伝する習慣があったこと ・必ずしも長子相続ではなかったこと この点から「名」を重視して、武田氏が嫡流とみるべきでしょう。

2021-09-27 18:36:52
城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

佐竹氏の場合は、義光の領地を「在地勢力と結び、それらを従え」ながら所持し続けたため、義光の経営戦略の成功事例と言えるでしょう。所領という面で見れば嫡流になるかもしれません。

2021-09-27 18:41:46
城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

佐竹・武田氏は戦国期まで疎遠の状態であるため、 佐竹氏を甲斐源氏=武田氏の分家、武田氏を常陸源氏=佐竹氏の分家とするのは当たらないと思います。 彼らは別々な場所で独自の勢力を築いており、互いに先祖を同じくするだけの別系の存在と言えるでしょう。

2021-09-27 18:50:58
城郭🏯右京大夫 @SatakeYoshikiyo

まあ、実際のところ、お互いに「無礼な手紙を送るな」と言い合ってるだけなんですけどね。 個人的には、内容からしてどうせ後世の創作では?って思うんですけど。 そこらへん、皆様はどうお考えなんでしょうね。 twitter.com/SatakeYoshikiy…

2021-09-27 23:08:58