@schizoophrenieさんによる、綾屋紗月氏の著作における「つながりの作法」の語の使用に関する問題提起とその後の議論。
無難なところでは坂本龍一の発言《…著作権は自明にあって、それがネット上で侵害されている、という議論…それには「ちょっと待って」といいたい。…自分の曲があるとすると、たぶん僕のオリジナリティは5パーセントあればいい方じゃないか。…だから、僕はそんなものはないと思っている…》
2011-08-23 14:33:51「つながりの作法」の問題で「著作権なんてものはディスクールの網の目にあるもので,作者という主体はそもそも消滅している」というエアリプライをもらったけれども,これには積極的に意義を唱えたい.これは,フーコーの「作者とは誰か?」とい講演と,それに対するラカンのコメントの議論でもある.
2011-08-23 16:43:37たしかにバルトが「作者の死」で言うように,一方でテクストは織物(texture)であって色んな糸が寄り集まったものである.普及版の構造主義のクリシェである「主体の死」だ.しかし,ラカンはフーコーの「作者とは誰か?」について次のようにコメントしている.
2011-08-23 16:46:55「構造主義というラベルによって括られた領域において,主体の否定が問題となっているわけでは全くない.問題となるのは基本的な何ものかに対する主体の従属の問題である.それを私たちは「シニフィアン」という名の下に見極める.「構造は巷に繰り出しはしない」ということは公正であるとは思えない」
2011-08-23 16:49:55主人のシニフィアンと読んでもいいが,ここでは「創出するシニフィアン」と呼んだほうがいいだろう.ある革新的な新しいシニフィアン(S1)が世界に創出されたとき,そのシニフィアンは運動する.まずそのシニフィアンが何か別のシニフィアン(S2)によって論及されることによって言説が紡がれる.
2011-08-23 16:53:04このS1-S2の連鎖は,そこに必ず主体を生産する.そして同時に,剰余享楽(a)をもたらす.これが主人のディスクールS1/$→S2/aの構造をとっていることは言うまでもない.
2011-08-23 16:55:54ラカンがこの箇所で論及したのはおそらく大学のディスクールであろうが,ディスクールが一般に「運動する主体」を生産するということを言っているのである.
2011-08-23 16:56:24「つながりの作法」というシニフィアンが現れたとき,それまで見えていなかった領域が一気に開き,そのシニフィアンの正確な定義が決まっていないにもかかわらず,そのシニフィアンのもとに様々な言説が紡がれていく,という事態が重要なのである.シニフィアンを編み出すことは極めて作家的な作業だ.
2011-08-23 16:58:26あるいはこう言い換える.「創出するシニフィアン」は無意味であり,内容を持たない.しかし,そのシニフィアンを目の前にしたとき,人はその言葉に対して意味を紡ぐ作業をおこなわざるをえないほど,創出するシニフィアンは極めて触発的なものなのである.
2011-08-23 17:02:06先日も書いたけど,ラカンが「パス」を創案したとき,またミレールが「普通の精神病」を創案したとき生じていたのはこの創出するシニフィアンの機能である.そのシニフィアンの意味は不明瞭である.しかし,皆がそのシニフィアンに対して「語らずにはいられない」 理論はこのようにして形成される.
2011-08-23 17:03:30フーコー・コレクション〈2〉文学・侵犯 :ミシェル・フーコー http://t.co/XfczSbj フーコーの「作者とは何か?」とそれに対するラカンのコメントはこの巻に入っています.
2011-08-23 17:05:51「つながりの作法」という言葉が「創出するシニフィアン」となる可能性には大きく期待している.だからこそ,この言葉にはケチがついてほしくない.そして,もしこの言葉が二つの当事者研究において独立に生まれた言葉であれば,それはそれだけこのシニフィアンのもつ内在的な力の証になるはずだ.
2011-08-23 17:17:59@schizoophrenie そうですね。私も今までの「関係」とか「関わり」とかより「つながり」の方が何か大事なことに近づいているように思うのです >この言葉が二つの当事者研究において独立に生まれた言葉であれば,それはそれだけこのシニフィアンのもつ内在的な力の証になるはずだ.
2011-08-23 17:21:30.@schizoophrenie さんのお話は(素人による単純化を許して頂ければ)、「つながりの作法」という言葉は創造的な力を持った言葉であって大きな可能性がある、好ましくないトラブルによってこの言葉の可能性を閉じてはいけない、と理解しました。
2011-08-23 17:41:02@schizoophrenie 熊谷です。「つながりの作法」についてのご感想、誠にありがとうございます。大変刺激を受けました。リムは何かの間違いで、今、あらためてフォローさせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。
2011-08-24 11:15:33@skumagaya ご返信ありがとうございます.当方の勘違いだったようで,大変ご迷惑をおかけいたしました.ご活躍を興味深く拝見させていただいておりました.今後ともよろしくお願いいたします.
2011-08-24 11:22:22@ueyamakzk 上山さま、熊谷です。貴ブログで今はじめて状況を知りました。ご心配をおかけし、申し訳ありません。まずは経緯を説明する責任があると感じ、コメントしたいと思います。
2011-08-24 11:48:52@ueyamakzk 拙著出版の時点で「つながりの作法」という言葉を上山さまが使われていると知らずにおりました。出版直後に、貴ブログで意をくんでいただいた素晴らしい感想を読み、嬉しく思うと同時に、上山さまが「つながりの作法」という言葉をこれまで使ってこられた事実を知りました。
2011-08-24 12:05:58@ueyamakzk その語、上山さまの書かれたもののいくつかを拝読し、大変勉強になりました。今後この言葉を使う際には、先行研究として、上山さまのお仕事を明記するようにしたいと思います。
2011-08-24 12:11:04@skumagaya レスポンスを頂き、ありがとうございます。今回の顛末を、新しい展開へのゲートにできるよう、努力を続けるつもりです。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
2011-08-25 00:10:50@ishikawakz 双方を細かく読んでくださったことが伝わり、励みを頂きました。ありがとうございます。まさに引用くださった部分をこそ、これから展開するつもりです。
2011-08-25 00:17:15@nagasek お忙しい中、まとめを作っていただき、ありがとうございました。実は私も、編集者がどういうおつもりだったかが気になっています。
2011-08-25 00:25:27「つながりの作法」について、著者のお一人である熊谷氏からレスポンスを頂いたことを受け、ブログに追記を行ないました。 http://t.co/fZKI3xV
2011-08-25 00:30:03.@ueyamakzk 論点はエディターシップに移ったと思います。題が決まった段階でその語が過去使われていないか調べるのは基本でしょうし、今ならばまずネットで検索するのではないでしょうか。活字になってるかで判断を分けたのか、調べなかったか…。担当編集者の意見が知りたいですね。
2011-08-25 01:25:19