茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第2618回「手塚治虫さんが大阪の焼け野原で漫画家を志した人類の星の時間」

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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート2618回をお届けします。文章は即興で書いています。本日は、感想です。

2021-11-10 07:12:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

今朝、TLで手塚治虫さんが『鉄腕アトム』の主題歌を歌うというお宝映像が流れてきたので、この漫画の神様のことを思い出した。手塚さんの生涯をふりかえるとき、心に残るエピソードの一つは、漫画家を志したきっっかけだ。

2021-11-10 07:13:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

戦争中、手塚治虫さんは焼け野原になった大阪の街から家のある宝塚まで歩いた。空腹に耐えかねて、かろうじて焼け残っていた民家をたずねると、親切な家の方々がおにぎりをくださったという。この家も数日後に焼けてしまった。

2021-11-10 07:14:19
茂木健一郎 @kenichiromogi

医学生だった手塚治虫さんが漫画家になろうと思われたのは、この、大阪の焼け野原を歩いた時だったという。当時は漫画は今ほど社会的に認知されておらず、大きな決断だったと思う。手塚治虫さんの脳の中で、いったい、何が起きたのだろうか。

2021-11-10 07:15:32
茂木健一郎 @kenichiromogi

戦争で焼けた大阪の街を歩いていたときに漫画家を志したということを、通常の文脈で言えば回復力(resilience)と説明できるのだろうけれども、この時、手塚治虫さんの脳の中で起こったことは、より深い、一回性の出来事だったように思う。

2021-11-10 07:17:05
茂木健一郎 @kenichiromogi

手塚治虫さんが漫画家にならなかったら、トキワ荘もなかったし、そこから巣立った赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄さんもなかったかもしれない。「人類の星の時間」として、時折、大阪の焼け野原で手塚さんが漫画家を志したその瞬間のことを考えてみる。

2021-11-10 07:18:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート2618回「手塚治虫さんが大阪の焼け野原で漫画家を志した人類の星の時間」をテーマに5つのツイートをお届けしました。

2021-11-10 07:18:48