巖谷國士★『戦争』をめぐるツイート
ダリアはフォトジェニックな花だ。写真のなかではすこしこわいくらい壮麗で、輝かしく見えるけれど、じつはこれも路傍の小さな株。核汚染水の放出をやめよ。ガザを解放せよ。★ pic.twitter.com/GIqxjgJJfd
2023-11-23 21:36:35小諸の骨董屋で手間どったけれど、展示されている骨董品たち以上に惹きつけられたオブジェは、店の前に立つ一本の老木の姿だった。木は生きている。森は生きている。ガザを救え。★ pic.twitter.com/FMcERNTnP1
2023-11-15 10:42:57以前からつづく《魑魅魍魎》連作のうち2人。かなり大きいがダイナミックでユーモラスで、踊っている。ガザを解放せよ。★ twitter.com/papi188920/sta… pic.twitter.com/p9ykE6uPRe
2023-11-06 20:51:15伊勢崎淳さんの備前焼による陶芸作品《炎の記憶》2022年。今回の展示は数が少ないけれど、精選されている。これなどはへんてこな顔のあらわれた大きなオブジェで、森の樹木を思わせる。★ pic.twitter.com/qFLZQSPzJZ
2023-11-06 20:40:02森に多いアナベルやノリウツギ(糊空木)の花はふつう純白だが、秋にはほんのりピンクに変るものもある。そのままドライフラワーになってもなお生きつづける。それからがじつは美しいともいえる。ガザを解放せよ。★ pic.twitter.com/xthJwMOKOn
2023-11-06 09:26:05ここは信州の高原なのに、下野草(シモツケソウ)が咲いている。小さくても集まって声をあげ、無数のアンテナで発信しているようだ。ガザを解放せよ。★ pic.twitter.com/6LoFK5sWbr
2023-11-06 09:17:03そう、このプンワカ菊なんか、プンワカ熊に似ていました。ガザを救え。★ twitter.com/ComfortXyz1224… pic.twitter.com/qMvpYsl25h
2023-11-05 23:33:38驚いたことに、ツツジ(躑躅)まで咲いていた。春に遅れたのか、早すぎたのか。ガザを救え。★ twitter.com/papi188920/sta… pic.twitter.com/CKGUEb1aCO
2023-11-05 18:14:15なんとこの季節に、紅葉のなかでなお赤く、ボケ(木瓜)が咲いているではないか。ガザを救え。★ pic.twitter.com/YNEsAztm3Z
2023-11-05 17:35:24なんとこの季節に、紅葉のなかでなお赤く、ボケ(木瓜)が咲いているではないか。ガザを救え。★ pic.twitter.com/YNEsAztm3Z
2023-11-05 17:35:24この人たちもみんな野菊だろうか。じつにさまざまな色と形が集まって、呼びかけているようで、すばらしい。ガザを救え。★ pic.twitter.com/eLDPAOtBq2
2023-11-05 16:36:23こんなにいろんな色のコスモス。コスモスがそこにいるといだけでなんだか嬉しく、切ない。ガザを救え。★ pic.twitter.com/wbgDSU2oKp
2023-11-05 15:46:26紅葉のなかに群れ咲く真っ白な菊。こういうのをポンポン菊と呼ぶのだろうが、むしろプンワカしているのでプンワカ菊。ガザを救え。★ pic.twitter.com/yn4YFaGd8x
2023-11-05 14:51:16太陽の光にわきたつ無数の小さな星たち。ガザを救え。あれほどの虐殺と破壊の現実を刻々と知らされていながら、他の国々も、国連も、それを止めることができないままでいる。まず個人ひとりひとり起って、運動をさらに大きくすることが先決だろう。★ pic.twitter.com/CSpNj7z4Mx
2023-11-04 17:40:01ガザ地区の問題については、やはり長年の戦争研究を前提にした、西谷修のこの強いコメントを読んでおくべきだろう。★ fushinohito.asablo.jp/blog/
2023-10-20 20:48:40まだ若いレモンたちも、陽光をうけて輝いていた。下方で赤い新芽を出している薔薇の木との関係も変らない。植物どうしの向きあいかた、さりげない距離とバランスのとりかたは、いま人間に欠けているものだろう。当然のことだが戦争は自然に反する。植物という自然から感受できるものは大きい。★ twitter.com/papi188920/sta… pic.twitter.com/bm83oo9xc2
2023-10-19 16:30:11柿の実も元気らしい。金木犀の花と向いあううちに、色も濃くなってきた。距離を保ちながら、対話している。つながっている。★ twitter.com/papi188920/sta… pic.twitter.com/fHdQ6tH7eM
2023-10-19 14:59:58偶然の一致ですね。「〜いつも変る〜女ごころ〜」。母は戦争中に育って、オペラなんか観たこともないはずなのに、けっこうアリアを歌ったりしました。不思議。もう100歳で、認知症の進んだいまでも、憶えているかな。こんど試してみましょう。★ twitter.com/AntjeGummels/s…
2023-10-03 00:33:46@papi188920 父が一番よく歌っていたのは、リゴレットからの「風のなかの〜羽根のように〜」でした。父がなくなりましたが、いまだにでも、彼の歌声が聞こえてきます。お母様のバーションも、聞きたかったな~。 お母様に、自分の歌っていた歌の演奏を聞かせてあげれば、きっと思い出されるでしょう。
2023-10-03 00:23:52戦前の女学校からそのまま戦争、疎開、そして戦後の窮乏生活に追われて、母は日本のいわゆる「大人」になる暇がなかったのでしょう。ただし敗戦の現実は直視して、戦後の「民主主義」を体現したいと熱望していた節はあります。思ったことをズバズバ言い、「大人」の男性たちから煙たがられていた。★ twitter.com/AntjeGummels/s…
2023-10-02 01:28:33@papi188920 お母様は一般的な意見に染まらず、なんて素晴らしい方でしょう。
2023-10-02 00:36:58朝鮮戦争が始まったころ、東京にはまだ焼跡もあった。たまに家族で銀座へ行くと、屋台が並び、夜は異臭を発するアセチレン灯に照らされて、人や物のうかぶ光の島が美しかった。新橋の小川軒でとる夕食も懐しい。石炭ストーブのある店内は暖かで、タン・シチューなどを食べる母は生き生きしていた。★ twitter.com/papi188920/sta…
2023-09-29 17:34:00父は若く明るい母に一目惚れしたまま、信頼しきっていたようだ。復員後に女学校に職を得て、文筆と研究からやや離れたのは、軍隊生活以来、心身ともに不振だったためか。母と★にしてくれる物語はおもしろかったが、酒好きなくせに弱く、呑んで先に寝てしまうので、父子の対話はあまりなかった。★ twitter.com/papi188920/sta…
2023-09-29 12:51:21@mochimochineko1 負担というか、悪夢だったのかもしれません。帰ってから障害児が生まれたことも。いまから考えると、戦争の後遺症は長くつづいた。★
2023-09-29 17:29:00