小金井石器時代人骨
[小金井石器時代人骨] 医学部解剖学教室で人類学の研究を推進した小金井良精は,明治・大正期における古人骨研究の第一人者でした.この標本は,1907年に坪井らが千葉県・加曾利貝塚で発見し,小金井に託されました. #UMUTCG http://t.co/CZk9qGY
2011-08-31 15:25:00[小金井石器時代人骨] 手元に集まった古人骨について,小金井は石器時代人骨標本として通し番号を付けていました.全148番まである標本のうち,加曾利貝塚の人骨は第1号.木箱の側面には「Nr.1」の墨字が見えます. #UMUTCG http://t.co/Z4D0qtZ
2011-08-31 15:28:21[古人骨] 考古学は主に,人工遺物や遺構など古代人が製作したモノを研究対象とします.その一方で人類学は,それを製作した当事者の遺骸である古人骨に焦点を当て,彼らの人物像や生活 (生業,社会,文化,習慣など) を復元しようとする点に特色があります. #UMUTCG
2011-08-31 16:31:01[古人骨] はじめに (日本人類学会 骨考古学分科会) http://t.co/Awg79Ld 片山一道 『古人骨は語る 骨考古学ことはじめ』 同朋舎 1990年 #UMUTCG
2011-08-31 16:31:12[坪井正五郎] 日本の人類学や考古学の創設にもっとも大きく貢献した人類学者 (1863-1913).学部生のとき,日本人類学会の前身である「じんるいがくのとも」を設立し,以降,雑誌の発行と学会運営に中心的な役割を果たします. #UMUTCG
2011-08-31 16:31:21[坪井正五郎] 学科はおろか人類学の教員もいなかった時代に,ひとり人類学専攻のために大学院入学を許可されました.卒業後はそのまま助手となり,3年間の英国留学の後,人類学教室の教授となります. #UMUTCG
2011-08-31 16:31:29[坪井正五郎] 日本石器時代人はコロボックルであるとするコロボックル説を提唱したことでも有名です.盛んに研究を行ない,人類学の普及教育にも努めますが,50歳のとき,万国学士院連合大会に出席するため訪れたペテルブルグにて客死してしまいます, #UMUTCG
2011-08-31 16:31:39[坪井正五郎] - (Wikipedia) http://t.co/44kv5Zl - (はてなキーワード) http://t.co/DsFUTX5 - (kotobank) http://t.co/l0SCkjV #UMUTCG
2011-08-31 16:31:47[小金井良精] 明治から昭和にかけて,日本の人類学の発展に貢献した解剖学・人類学者 (1859-1944).帝国大学医学部を卒業後にドイツへ留学し,国内に限らず,国外に対しても広く研究報告を行ないました. #UMUTCG
2011-08-31 16:32:38[小金井良精] 坪井正五郎のコロボックル説に対し,日本石器時代人はアイヌであるとしたアイヌ説を唱えたことでも有名.幼少期には戊辰戦争に巻き込まれ苦労したようです.作家 星新一の祖父にあたる人で,結婚相手は森鴎外の妹でもあります. #UMUTCG
2011-08-31 16:39:38[小金井良精] 星新一『祖父・小金井良精の記』 河出文庫 1974年 - (Wikipedia) http://t.co/DOUkSdo #UMUTCG
2011-08-31 16:39:49[加曾利貝塚] 千葉県千葉市にある縄文時代中期から晩期に形成された巨大な貝塚.出土した加曽利式土器は,編年の指標となる土器として重要です. #UMUTCG
2011-08-31 17:03:32[加曾利貝塚] - (Wikipedia) http://t.co/tjGZKtc - (東京大学総合研究博物館) http://t.co/4A4eL9A - (千葉市) http://t.co/P6qUKhO #UMUTCG
2011-08-31 17:03:41