ハンガリー王国第1降下猟兵大隊

ハンガリー王国では1936年後半に破壊工作を任務とする小部隊の検討開始を皮切りに、1939年9月に「降下猟兵中隊」が編成され、1940年には「第1降下猟兵大隊」に拡大されました。1940年4月にはユーゴスラヴィア攻撃で実戦降下を実施し、戦争末期には連隊規模に拡大されて「セント・ラースロー師団」に編入されましたが、最後は英軍に降伏しました。
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

まず1号機から離陸を開始したが、高度50~60メートルで突然失速し右主翼から浅い角度で墜落した。プロペラとエンジンが吹き飛び、たちまちガソリンに引火した。飛行場の地上要員と待機中の降下猟兵が駆け付けたが、燃料と弾薬による大火災のために17時01分の墜落後、機体はわずか2分間で全焼した。 pic.twitter.com/BSk91wrdVo

2020-12-16 21:45:56
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

機体からは9名が脱出し7名が負傷して後送されたが、この事故でベルタラン少佐ほか15名の降下猟兵と4名の搭乗員が死亡した。それでも降下作戦は残りの3機で実施され、事故原因として過積載が疑われたため、将校3名と兵57名の降下に縮小された。後に事故原因は昇降舵のトリムの故障と考えられている。

2020-12-16 21:52:13
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

4月12日19時頃、初の実戦降下は目標からは遠く離れたDelidek地区上空で実施され、降下後は橋まで約30㎞以上を夜間行軍しなければならなかったが、短い戦闘後に2つの橋の奪取に成功した。多くの犠牲を払ったこの作戦の戦闘での死者は降下猟兵1名のみで、第2陣の降下は結局中止されたようだ。

2020-12-16 21:54:36

2回目の降下作戦

のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

大隊の2回目の降下作戦は1941年8月6日に行われた。ハンガリー軍部隊はウクライナのヤシニア(Yasinia ハンガリー名Körösmező) からTatár峠を越えてYablunytsya(Jablonice)地区に進撃したが、補給路の橋が破壊されたため補給が届かない事態となった。

2020-12-16 21:55:54
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

このため空中投下により補給が行われることとなり、3機のSM-75輸送機が15時30分にデブレツェン(Debrecen)飛行場を離陸した。補給地点確保のために10名が物資とともに降下し、輸送機は味方からの発砲も受けたが無事投下に成功し、降下猟兵にも犠牲は出なかった。

2020-12-16 21:57:19
消印所沢 @KCin_Tokorozawa

@se_wrath The nine paratroopers dropped with 12 bags of corn, 12 bags of oats, 21 bags of bread, 6,000 tins of coffee, 64 kg of flour, 3 kg of peppers, 75 kg of fat, 480 kg of smoked meat and six bags of peas, over an area of five kilometres.

2022-04-09 07:23:21
消印所沢 @KCin_Tokorozawa

@se_wrath On 6 May 1941, the battalion's second, and the last parachute mission carried out in Soviet territory. Fast advancing Hungarian 1st Mountain Brigade was cut off from the main forces and then surrounded, so it called for air reinforcements.

2022-04-09 07:20:03
消印所沢 @KCin_Tokorozawa

@se_wrath The paratroopers were fired upon by the 3rd Company, 3rd Mountain Brigade Battalion, but fortunately no one was injured.

2022-04-09 07:26:00
消印所沢 @KCin_Tokorozawa

@se_wrath After landing, the paratroop commander Lieutenant Godó asked the commander of the mountain troop company for men to collect the supplies, which he refused, so the paratroopers collected the scattered supplies themselves with the help of 15 Ukrainian volunteers.

2022-04-09 07:26:15
消印所沢 @KCin_Tokorozawa

@se_wrath All of cargo parachutes and containers were found, except for 3 parachutes and 1 container. On the 9th, after a lengthy search, the stolen equipment was found in the 3rd Ranger Regiment's perimeter, loaded on horses and left the front in the direction of Tartarow.

2022-04-09 07:29:33

第1降下猟兵大隊の装備【武器編】

のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

ハンガリー第1降下猟兵大隊の装備その1 MP35 降下任務に適した武器としてベルクマンMP35短機関銃が導入され、1940年4月5日に最初の50丁がハンガリーに到着したが、降下猟兵部隊は25丁しかうけとれなかった。このため1941年4月12日の最初の降下作戦の際には約100名の兵士に対して1/4だけが装備した。 pic.twitter.com/r0qqD0UtPu

2022-05-13 15:36:55
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1941年夏になって380丁を受取ることができたが、それでも大隊の計画兵力1400名の1/4程度で、どの程度の導入計画だったかは不明。 MP35は1936年から1940年までにおよそ5,000丁が生産され、第二次大戦開戦後はユンカー&ルー(Junker & Ruh)社が生産して1944年までにおよそ40,000丁が製造された。

2022-05-13 15:40:35
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

ハンガリー第1降下猟兵大隊の装備その2 1937M自動拳銃 ハンガリー人のルドルフ・フォン・フロマー(Rudolf von Frommer)により設計された自動拳銃で9mmショート弾を使用する型が1937年に陸軍に採用された。陸軍の他の部隊と異なり降下猟兵大隊では階級や担当部署にかかわらず全員に支給された。 pic.twitter.com/WapxmimLq5

2022-05-13 16:42:57
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ピストルはウエストベルト右側の革製ホルスターに収納され、2つの予備マガジンと21発の弾丸と共に支給された。軍用型は1937年から44年までに185,000丁が生産され、他に7.65mm弾を使用する商用型も生産されドイツ軍でも補助自動拳銃P37(u)として1941年に採用され、44年までに85,000丁が輸出された。

2022-05-13 16:55:21
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

横道にそれるけどルドルフ・フォン・フロマー(Rudolf von Frommer)さんは銃器界隈では有名な方らしく、フロマーストップピストルはベストセラーで、ハンガリー軍の将校用拳銃としても採用された。1937Mの採用前の1935年に惜しくも亡くなっている。2枚目は試作自動小銃も持つフロマー。 pic.twitter.com/UxNpl4LHrc

2022-05-13 17:06:07
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ハンガリー第1降下猟兵大隊の装備その3 M1895小銃 オーストリア・ハンガリー帝国時代からのマンリッヒャーM1895小銃はM1931弾薬用に改造されて使用された。弾薬盒はポケットが2個一組となっており、通常2組が支給され1組をベルト左側に装備して降下し、1組はパラシュートのストラップに装着された。 pic.twitter.com/U9SjQY5NF6

2022-05-13 19:50:48
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ハンガリー第1降下猟兵大隊の装備その4 31.Mゾロターン軽機関銃 ドイツのラインメタル社が開発しスイスのゾロターン社が製造した「M30軽機関銃」は1930年に生産が始まり、思惑と違いドイツ軍には採用されなかったが、ボリビア、ブルガリア、エルサルバドルへの輸出に成功した。 pic.twitter.com/sNNI6azi2N

2022-05-13 20:39:14
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

1931年にはオーストリア軍でMG30として採用され、ハンガリーでもライセンス生産され「31.Mゾロターン軽機関銃」と呼ばれた。降下猟兵大隊には1940年から18丁が配備され、降下作戦では貨物コンテナにより投下された。ハンガリーでの生産数は2,000~3,000丁にすぎない希少な機関銃。

2022-05-13 20:41:55
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

ハンガリー第1降下猟兵大隊の装備その5 36.M 20mm対戦車銃 スイスのゾロターン社が1937年に開発した「S-18/100」対戦車銃はハンガリーのダヌビア(Danuvia)社でも「36.M 20mm Nehézpuska」の名称で1938年からライセンス生産され、20mm榴散弾または徹甲弾が使用できた。 pic.twitter.com/FphKXBrKRf

2022-05-13 22:38:16
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

「対戦車銃」と言いながらも基本設計は航空機関砲のため45kgの重量があり、分解して貨物コンテナに収納投下しなければならず運用には難があったが、降下猟兵大隊では3個小隊に各3丁が配備された。 twitter.com/puyokuma7/stat…

2022-05-13 22:55:16
puyokuma🌏 @puyokuma7

20mm対戦車ライフルのゾロターンは、 ハンガリーのダヌビア社で "36M 20mm Nehézpuska"(ネヘプスカ?) の名称でライセンス生産されてもいたんですね pic.twitter.com/Pikeqp8tjQ

2020-09-26 01:27:00
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

>降下猟兵大隊では3個小隊に各3丁が配備された。 訂正:3個中隊に各3丁が正解の模様😅 大隊は3個中隊なので全部で9丁?

2022-05-14 12:50:49
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

ハンガリー第1降下猟兵大隊の装備その6 36.Mヴェーチェイ手榴弾 1936年にヴェーチェイ・ゾルターン(Vécsey Zoltán)大尉が開発した手榴弾は、おそらくイタリア製手榴弾の影響で衝撃信管を採用しており、1937年に「36.M Vécsey kézigránát」として制式採用された。 twitter.com/KCin_Tokorozaw…

2022-05-14 15:27:19
消印所沢 @KCin_Tokorozawa

#ハンガリー軍bot 】36.M ヴェーチェイ手榴弾 36.M Vécsey kézigránát  おそらくイタリアの手榴弾の影響を受けて1936年,ヴェーチェイ・ゾルターン大尉が開発.衝撃信管だったため,積雪等による不発多発し,柄付き手榴弾 42.M生産開始により36.Mは生産終了. pic.twitter.com/8ODiLPjDdV

2021-11-19 02:18:21