第1ロシア国民軍

終戦時にリヒテンシュタイン公国に保護を求めた約500名の集団がいたが、起源は国防軍情報部と繋がる情報系組織で、亡命白系ロシア人とソ連軍捕虜からの志願者から設立された。「ロシア国民軍」とは直接の繋がりはなかった。
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のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

終戦時にリヒテンシュタイン公国に保護を求めた「第1ロシア国民軍」という約500名ほどの集団がいたんですが、起源をたどると国防軍情報部と繋がる諜報系組織で亡命白系ロシア人とソ連軍捕虜からの志願者によりパルチザンへの潜入により大きな成果を挙げていた模様 historia.org.pl/2015/04/15/son…

2021-06-27 14:10:00
リンク HISTORIA.org.pl – historia, kultura, muzea, matura, rekonstrukcje i recenzje historyczne Sonderstab „R” niemiecki organ wywiadowczy w okupowanej Warszawie Podczas II wojny światowej w okupowanej Warszawie działał niemiecki organ wywiadowczy pod nazwą Sonderstab „R”, którego działania wymierzone były w Z 1
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亡命ロシア貴族のボリス・スミスロフスキー(Boris Smyslovsky)の部隊は正式名「防諜・情報サービス教導大隊」(Lehrbataillon für Feind-Abwehr und Nachrichtendienst)、一般に「ロシア人教導大隊」(russisches Lehrbataillon)として知られた。

2021-06-27 14:20:29
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国防軍情報部の「ヴァリ司令部」(Stab “Walli”)とも密接に協力し、エストニア南部のヴァルガ(Valga)とラトビア北部のストレンチ(Strenči)に偵察訓練学校が開設された。1942年初めには12個大隊(12か所の偵察訓練学校に対応)へと拡大され、最初の大隊の将校は新設大隊の基幹要員として配属さた。

2021-06-27 15:02:36
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これらの大隊は情報収集と分析を任務としており戦闘部隊ではないためネットの情報でもヒットするのは1942年3月に「特別司令部ロシア」(Sonderstab R)が開設以降が多い。国防軍少佐に昇進したスミスロフスキーが指揮した司令部はワルシャワに置かれ、情報、防諜、宣伝、行政経済の4部門に分かれた。

2021-06-27 15:14:37
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ドイツ軍占領地は5つの情報収集地域(1943年秋以降4地域)に分割され、プスコフ(Pskowie)(後にエストニアのヴォール(Võru))、モギレフ(Mohylewie)(後にミンスク(Mińska))、キエフ(Kijowie)、チェルニチュフ(Czernichowie)(廃止)、クリミアのシンフェロポリ(Symferopolu)に前哨拠点が置かれた。

2021-06-27 15:34:55
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1943年秋には特別司令部「ロシア」の活動は最高潮を迎え、訓練を受けた要員は4~5千人に協力者の数は数万人に達し、中欧や東欧からの移民、捕虜、ソ連軍からの脱走兵などで構成されていた。しかし1943年12月にスミスロフスキーは二重スパイの容疑でゲシュタポに逮捕され、ワルシャワで軟禁されました。

2021-06-27 15:39:02
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「特別司令部ロシア」も解散し要員は国防軍情報部「ヴァリ司令部」(Stab “Walli”)の管轄下に移籍するもの、東部大隊やドイツ本国の労働収容所に送られるものに選別された。これはクルスク戦後の「東方部隊裏切り」陰謀論のとばっちり?とも思えるがどうだろう。

2021-06-27 15:48:27
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1944年春スミスロフスキーは無罪となり国防軍情報部に復帰しスレユベク(Sulejówek)にある偵察学校の要員から「特別編成部隊司令部」(Stab Einheit z.b.V.)が再建された。Marienbadzieに拠点が置かれ、以前の「特別司令部ロシア」の要員から工作員や協力者が再び集められ3つの独立大隊が編成された。

2021-06-27 16:06:30
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1944年の初夏、特別編成部隊司令部はシエリエピ(Sierpcu)、ワスク(Łasku)、クラクフ(Krakowie)、ノバ・ビエシ(Nowej Wsi)に前哨拠点を置きソ連軍後方地域での活動を監督した。司令部はワルシャワ蜂起直後に下シレジアのヴァイゲルスドルフ村(Weigelsdorf)の城に移動し「ロシア複合情報学校」を設立した

2021-06-27 16:25:33
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1945年1月ソ連軍の大攻勢により特別編成部隊司令部はザクセン州のバート・エルスター(Bad Elster)へと避難し、ここで「ヴァリ司令部」(Stab “Walli”)と統合され「OKH司令部特別編成部隊/第1東部戦線情報グループ」(Einheit z.b.V. OKH-Generalstabes. Frontaufklärungstrupp1, Ost)に改編された。

2021-06-27 16:39:36
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

2月12日には「グリュン特別編成軍」(Grüne Armee z.b.V.)へと改編され、スミスロフスキーはドイツ国防軍少将に昇進したが、ソ連側の諜報活動への偽装としてスウェーデン人の叔父である「アルトゥーロ・ホルムストン」(Arthuro Holmston)との偽名を使用した。この軍は2個連隊から成るようだが詳細は不明

2021-06-27 16:45:45
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

1945年4月4日部隊は「第1ロシア国民軍」(1.Russische Nationalarmee)へと改称され、偽装のため「ホルムストン軍」(Armee Holmston)とも呼ばれた。ウラソフ将軍の「ロシア解放軍」(ROA)とともに正式にドイツの枢軸同盟軍としての地位を得たが、いずれもプロバガンダ用の創作物以上のものではなかった。

2021-06-27 16:53:07
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

1945年4月18日ドイツの敗戦を悟ったスミスロフスキーはウラソフ将軍の「ロシア解放軍」への合流を拒否し、部隊を西方へ後退させた。「ヴァリ司令部」(Stab “Walli”)の協力者であるスイス人のハインリッヒ・ブリューマー(Heinricha Blümera)の協力を得てリヒテンシュタイン公国の当局と接触した。

2021-06-27 16:56:39
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

「第1ロシア国民軍」には当初約3,000~6,000名の兵士がいたが、主に空襲により大損害を出しながらもオーストリアのフェルトキルヒ(Feldkirch)へと移動し、1945年5月2~3日の夜に男性462名、女性30名、子供2名の合計494名が中立国の「リヒテンシュタイン公国」へと越境し保護を求めた。

2021-06-27 16:59:02
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

このグループの中にはポーランド国民軍(NSZ)の3名の幹部Przemysław Łębiński中尉:通称Szaława、NN:通称Rafał Olbromski、英国人Richard V. Tullet:通称Harryも含まれ、イタリア戦線のイギリス軍「第2ポーランド軍団」と接触を試みていたようだ。

2021-06-27 17:05:14
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

また意外な人物としてヴィシーフランスの元指導者であるPhilippe Pétain元帥とPierre Laval首相、亡命中のロマノフ家の当主であるWładimir Kiryłowicz大公、占領下のワルシャワにあった反共ロシア委員会のSiergiej Wojciechowski議長も同行していた。

2021-06-27 17:09:35
のりっく@泡沫戦史研究所(マスコミに惑わされずマスク・手洗い・うがいで防衛!) @noricksakurai

というわけで、こんな内容のことが冒頭のポーランド語のページに書いてあります。そしてリヒテンシュタインに保護を求めた人たちや、最後の有名人たちのその後については割と簡単に調べられるので各自で是非お調べください。間違いがあれば炎上しない程度にご指摘を(笑

2021-06-27 17:14:13
魔弾の射手45@「パンター砲塔トーチカの本」鋭意制作中 @Freischutz45

@noricksakurai 貴重な、興味深い情報をありがとうございます。こういうネタ大好物なんです。

2021-06-27 17:00:08