飯田譲治さんが語る『沙粧妙子 - 最後の事件 -』

そうはいっても、沙粧妙子の時に脚本のセリフが大きく変えられることはほぼありませんでした。沙粧妙子が電話を取って、「も……」という箇所があります。「もしもし」と言おうとしたら、答えない方がいい状況だととっさに悟るというシーンなんですが、ぼくはそこに「も……」と書きました。
2010-05-06 21:58:14
すると浅野温子さんは、実際に演技する時も「も……」しか言わなかったんです。このシーンのことを番組プロデューサーは、なんて脚本に忠実な人なんだ! とおどけて言っていました。
2010-05-06 21:59:24
脚本に書いたところで、大きく変わったなと思ったところが一箇所あります。それは「沙粧妙子最後の事件」最終話、沙粧妙子が病院に行き、最後の対面をするシーンです。
2010-05-06 22:00:57
最終話のそのシーンも、とにかく頭に浮かんだ映像を書きとめるような感じでどんどん書き進めていった。アッという間に書けました。ぼくの頭の中で沙粧妙子は確かに泣いていました。だからぼくは涙を流す、と書いた。
2010-05-06 22:02:54
しかし、浅野温子さんはそこで沙粧妙子をすさまじくクールに演じました。見た方はご存知だと思いますが、涙なんて一滴も流さなかった。
2010-05-06 22:03:39
だけども、上がったシーンを見て、ぼくはちっとも腹が立たなかった。それでいいと思いました。それもありというか、クールな方が沙粧妙子らしいのかも知れないと思った。
2010-05-06 22:04:35
あれは演出の河毛さんと、温子さんの脚本に対してのひとつの大きな主張だったんだと思います。沙粧妙子というキャラクターはぼくだけのものではなく、演技する人間と演じさせる人間とが融合して作り上げたものですから。
2010-05-06 22:06:22
打ち上げの時だったのかな。浅野温子さんが、泣かなかったことが話題になったとき、ぼくの顔を見てややニヤーッとしたような記憶があります。
2010-05-06 22:07:18
だからぼくは、帰還の挨拶である死体と対面したとき、狂ったように笑い出す、というシーンを書いたのかもしれません。あのシーンの沙粧妙子はとても刺激的でした。
2010-05-06 22:08:18
ぼくは恋愛ドラマが書ける人間ではありませんが、沙粧妙子最後の事件はぼくにとってある種の恋愛ドラマなんだと思う。人は同じ感覚を同じレベルで話せる者とつながり合う時がいちばん心地よさを感じるんだと思います。だからその人と一緒にいたいと願うようになる。そこにある安らぎを求めて。
2010-05-06 22:12:23
そうそう、「沙粧妙子最後の事件」で沙粧妙子が泣かなかった件、ぼくがムカムカしなかったのは、そうは言っても、ぼくが脚本家であるという意識がなかったことにも理由があるのかもしれない。脚本を書いて人にあずけるという作業は、全部責任を持つというのと違って気楽な面もあるんだと思います。
2010-05-06 22:15:38
「沙粧妙子」が葬られなくてよかった。もうひとつの作品がDVD化されるようなことがあったら、それに関するつぶやきもしてみようかとも思ってます。今日はこのへんで。
2010-05-06 22:17:11