- aroku_full
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ゲームにはユーザーを賞賛する仕組みが詰め込まれていて、遊ぶほどにほめられるから、止まらなくなる。ペットのしつけなんかもまた、お手ならお手のスクリプトを作って、それに従って犬を動かして、意図したとおりに動いたらすかさずほめる。仕組みとしてはゲームに似ている
2011-09-04 09:35:41たとえばシューティングゲームで、何もない場所なのに、大デザイナー様の意図にそぐわない動きをしたら時期が自爆する、というゲームがあったら、たぶん誰もが嫌になる。あるいはそこを通り過ぎるだけで、何もしないで敵が自爆して、効果音が流れるゲームも
2011-09-04 09:37:00子供に正義とか良心を仮想する、「ちゃんとやりなさい」とか「どうしてこれができないの」とか、叱って育てるやりかたもそうだし、ほめて育てることを勘違いして、朝から夜までひたすらに子供を褒めそやすやりかたも、どちらも等しくクソゲーになる
2011-09-04 09:38:28ほめて育てることをちゃんとやるには、子供を取り巻く世界を一連のゲームとして親御さんがデザインし直す必要があって、常に観察しないといけない。観察とデザイナーの意図、適切なタイミングがそろって、初めてその賞賛に意味が生まれる
2011-09-04 09:39:29NHKで、イルカのトレーナーが特集されていた。歩く体育会みたいな人たちが何人か、イルカを好きに泳がせて、「これ」という動作をしたらすかさずほめるんだと話していた。6時間ぐらいずっと見てるんだと。ほめるのって結局、それだけの労力を対象に投じることで、すごく難しい
2011-09-04 09:41:14賞賛のフレームワークは、それでも共有可能なものではあると思う。鬼ごっことか、10人、20人でも同時に遊べて、賞賛の仕組みも作り込まれているわけで。じゃあ学校の授業がどうだったかといえば、ゲーム感みたいなのはよく分からなかった
2011-09-04 09:42:48「ほめて伸ばす」なんて、塾のスローガンを本当にやろうとしたら、担任の先生あたりの学生は3人でももう厳しいのだろうと思う。個別の育て方、なんてことになったらもっとそうだし
2011-09-04 09:43:36で、ゲームを与えてもらうことは厳しくても、自分の学習を、一連のゲームとして再デザインすることはたぶんできる。そういう仕組みを作って教科書に当たると、そこから摂取できる知識量、特に実際に役に立つ知識の量は増えていく
2011-09-04 09:44:59分厚い教科書をひたすら読む、知識を詰め込む、というやりかたは、いざ何かの問題に当たったときに役に立ちにくい。「俺はこれだけ頑張ったんだ」という信仰の基礎になることはあっても。それは修行であって、学習や、あるいは攻略とは違う
2011-09-04 09:46:01ある問題があって、こういうやりかたでそれに臨もうという計画、あるいはフレームワークを考えて、これから摂取する知識がその計画のどのあたりに役に立つのか、どの場所におさめるべきなのか、そういうことを考えながら教科書を開くと、役に立ちやすい
2011-09-04 09:47:12学んだ知識が役に立った、という事実はそのまま学んだ人に対する賞賛になるから、勉強が長続きする。逆に言うと、勉強が修行であった人は、ある問題を乗り越えて以降は勉強しなくなる。免許持ちの仕事をしている人で、全く勉強しなくなる人が出る問題なんかは賞賛の喪失なんだと思う
2011-09-04 09:48:32