先日、町内でも最奥くらいの集落に住む女性から、昔はどんなものを食べてたか聞く機会があった。 正月に鯛の代わりにフナの尾頭付きを供えるとか、山暮らしの話がすごく面白かったので忘れないうちにまとめたいけど、除雪と仕事が終わらなくて書く時間がない。 誰か代わりに書いて。
2022-01-25 22:35:36少しでも書いておくか。 中学校の頃、授業中に先生も生徒も鉄砲を背負って山に行き、兎を撃ったことがあるらしい(本人は勢子だったらしい)。 兎の皮は市日に持っていくと鞣してくれる業者がいて、子供の防寒着にピッタリだったとのこと。
2022-01-25 22:46:05山菜やキノコを取るときは、道々オッチョ(罠)をかけていく。 ヤマドリやイタチがよくかかった。 肉は食べたし、皮はやはり鞣して使った。
2022-01-25 22:47:14熊の体は捨てるところがない。 熊の胆は薬で有名だが、血も捨てずに米と混ぜて煎って食べた。 冬眠前の熊の首の後ろの肉は、脂がよくのっていてとても美味しい。
2022-01-25 22:48:59昔は犬もよく食べた。 大きい犬を飼っている家が多くて、肉は食べたし、皮は繋ぎ合わせて雨具にした。 馬車引きの人など、全身犬の毛皮で覆って傘を被れば、雨なんて平気だった。
2022-01-25 22:50:37昔は牛馬は身近だったし、どこの家でも鶏を飼っていた。 馬は農作業用の畜力として、牛はもっぱら子牛を売るためと、食べるために飼った。 昔は牛も塊肉を良く食べたから、いまスーパーで見かける薄い肉を食べても、食べた気がしない(84歳女性)。
2022-01-25 22:54:05ナンコ(※馬のもつ煮)について。 ナンコは1つの部位だけ集めて煮ても旨くならない。小腸も大腸も心臓もフ(肺)も、いろいろ入れるから美味しくなる。 昔は市日になると必ずナンコ用の肉を買ってきたものだった。
2022-01-25 23:04:46ハタハタは、昔はあまり食べなかった。集落が山奥過ぎたのだと思う。海の魚は手に入らなかったので、正月はフナの尾頭付きを神様に供えた。 鯉も食べたが、鯉は脂が強すぎてフナのほうが好きだった。 お産がある家があると、フナを届けたものだった。
2022-01-25 23:07:40水無沼が近かったから、沼の魚はよく食べたが、太良鉱山が上流にあったから、川の魚はあまり食べなかった。というか、川に魚があまりいなかった(鉱害で)。 水無沼では、ツブ(※淡水産の大きな巻貝)もよく食べた。水無のツブは美味しかった。
2022-01-25 23:20:05ツブは、一度煮立ち湯に通すと身が固くなるから、そこで殻を割って中身だけを取り出して、編みに入れて囲炉裏の上に吊るして乾燥させておく。そうすると日持ちするようになる。
2022-01-25 23:22:21藤琴の市日の帰りには、大きな飴を2つ買った。 1つ目はすぐ口に入れて舐める。 滝の沢あたりまで来るとなくなるから、もう一つの飴を口に入れる。 そうして舐めていると、真名子につくまで飴を舐めていられる。
2022-01-25 23:27:11昔は牛を山に放牧しに行った。 岳岱自然観察教育林のあたりまで、連れて行っていた。 地区の牛をまとめて連れて行くので、見張り番の係が山に残って、怪我をしたりする牛がいないか監視した。
2022-01-25 23:29:13熊に2回ほど、放牧している牛を取られたことがあった。 怪我をして死んだ牛が、いつの間にか忽然と姿を消していた。 熊にやられたのだと思う。 昔は里近くでは熊も猿も見なかったから、とても恐ろしかった。
2022-01-25 23:32:24真名子では相撲が盛んだった。今はもう米田の根城相撲しか残っていないが、真名子の作相撲も、年に一度の楽しみだった。 弘前まで化粧廻しを買いに行ったこともあった。 太良鉱山や、能代や鷹ノ巣から来た人もいて、酒を飲んでいるもんだから当然喧嘩にもなった。
2022-01-25 23:35:07山暮らしの話を聞くのはどうしてこんなに面白いのか。 同じ時代に町で暮らしていた人の話も聞いたけれど、やっぱり山の話のほうがワクワクするんだよなぁ。
2022-01-25 23:49:12昨日のつづき 岐阜に出稼ぎに行ったときの話。 岐阜ではアザミやミズ(ウワバミソウ)を「毒がある」と言って食べなかった。 誰も取らないから、太いミズがそこかしこに敷かさって(敷きつめるように)いた。 土地によって、食べる山菜は違う。
2022-01-26 12:42:17山菜を料理するときは、一種類では美味しくならないから複数の種類を混ぜて入れるのが重要。 あと練り物を入れる。
2022-01-26 12:44:36川ではあまり魚を取らないと言ったが、たまにダイナマイトを水中で爆発させて魚をとるときは、下流で待ち構えていると気絶した魚が流れてくるのでそれを拾って帰ることはあった。 ダイナマイトは鉱山から調達したのだと思う。
2022-01-26 12:47:01学校の話。 金沢小学校・中学校があった頃の話。 娘が小学校の頃、今年と同じようにひどい大雪の年があった。 先生は藤琴から通っていたので、今日は学校にくるまいと思っていたら、ちゃんと授業開始に間に合って来て驚いた。夜中に起きて歩いて来たのだという。
2022-01-26 12:49:46大雪が降ると、地区の大人たちが、子供が歩きやすいように通学路に道をつけてくれた。 中学校には、特に奥地の集落から通う子供のために寄宿舎があった時期もあった。
2022-01-26 12:51:27件の先生はとにかく子供が好きな人だった。 テストで頑張った子がいると、ちょっとしたご褒美をくれたりもした。 奥地の学校にばかり回される人で、奥小比内の分校にいるときには息子さんを病気で亡くしていた。 すぐに病院に行けるような土地でもなかった。
2022-01-26 12:57:43川がプールの代わりだった。 誰かの畑からスイカや瓜を盗んできて、冷たくなるまで川で冷やして食べた(どこの家でも)。 体が冷えるので、焚き火をして暖を取って、魚も炙って食べた。 川は、一日いても飽きなかった。
2022-01-26 13:12:01