
ある話題に触発され、嘘のようだが本当にあったIPO審査エピソードをつらつら書くことにした。同じ手法は流石にもう消えてるだろうけど、その温床となる慣行は今も残ってる。昨今話題の値付けの話題とは違うもうひとつの(ひとつだけとは言っていない)IPO慣行の改善余地の話題につながるかもしれない
2022-02-19 12:23:02
とりあえず書き始める。書いたり返信したりしてるうちに話がどう流れていくか予測できない(あるいは突然止めるかもしれない)のでスレッドにはしないことにしよう。字数削減のため敬称略・ですます調排除。失礼があったらごめんなさい
2022-02-19 12:33:46
1 10年以上前のこと。ある会社の上場準備が進み、過去数年にわたりひととおりの基礎資料を渡してかなり細かいチェックやアドバイスを受けるなど良好な関係が続いていた主幹事証券会社の引受審査が始まった
2022-02-19 12:38:26
2 以下、その会社をQ社、主幹事会社をX証券と呼ぶことにする。 X証券を主幹事にすることは、当時のQ社にとってさまざまな意味で最善かつ実質唯一の選択だった。強引な手法をとることがあるという噂は根強かったものの、まさか自社に降りかかるとは思っていなかった。そのくらい良好な関係だった
2022-02-19 13:00:35
3 その頃株式市場は、全体的に上向きだった流れが沈滞し始めていた。年間IPO件数は高水準が続いていたものの、それなりの業績の会社でもIPO時期延期の話題が水面下で増え、「証券会社らがかなり強引な手法でIPO件数をコントロールしている」とまことしやかな噂が流れ始めていた
2022-02-19 13:12:52
4 証券会社がIPOのクオリティをコントロールしその結果件数が減るのは何ら悪いことではない。Q社はその噂をX証券と共有し、引受部門のかなり偉い人と「業績や予実管理や内部体制整備に問題がなく今後のデューデリで致命的な問題がない限りQ社のIPOが遅れることはない」と確認し合った
2022-02-19 13:20:05
5 その確認から数週間後、X証券の指定する法律事務所による法務デューディリジェンス調査が始まった。名の知れた法律事務所ではあったが、豪快な喋り方と知人の名前で自分を大きく見せたがる年長の弁護士と、実務を始めて日の浅そうな粗忽な若手弁護士2人のチームで、Q社は嫌な予感を禁じ得なかった
2022-02-19 13:28:12
6 とはいえ、Q社は初期からVC調達が多かったこともあり会社法の顧問弁護士のアドバイスを受けて運営していたので、基礎的な部分で無駄なミスや漏れはないはずだった。加えて、当時X証券は「予備審査」と称する引受審査部の基礎調査を予め実施していて、そこでも基礎的な問題がない旨が確認できていた
2022-02-19 13:35:47
7 会社設立以前からのすべての重要書類が閲覧された。議事録類や諸規程・契約書類や契約締結過程の主要なメールはもちろん、その少し前から上場審査で問題になることの多くなっていた労務関連資料はかなり入念にチェックされた。従業員や一部退職者へのヒアリングも実施されたらしい。
2022-02-19 13:47:38
8 法務DD開始から2週間くらい経った頃、例の若手弁護士のひとりから「未払賃金の精算の資料がない」というメールが来た。当時(今もかな)多くの会社が上場準備開始に先立って過去の未払賃金を遡及精算することで対処していて、その書類がないという指摘だった。
2022-02-19 13:50:58
9 Q社は過去に未払賃金がなく、だから遡及精算の書類もあるはずがなかった。そう返答したところ、「それでも念のため手続きをしてください」と返ってきた。「無いものをどう手続きせよと?」と返したら、さすがに続きはなかった
2022-02-19 13:53:33
10 翌日、X証券引受担当者から電話が入った。 「昨日の法律事務所の指摘に応じなかったそうですが、何があったんですか」 経緯を説明すると彼はこう言った。 「なるほど。指摘がそこで止まったのなら今回は構いませんが、基本的に法律事務所の指摘には応じてくださいね。彼らがNOと言っている会社は
2022-02-19 14:11:10
11 私たち引受がどんなに応援したくても、引受審査がOKと言ったとしても、X証券は上場させることができませんから」 思えばこれが前振りだったのかもしれない
2022-02-19 14:12:57
12 その後2ヶ月程度、法務DDの指摘と回答・是正が続いた。最初はそれなりに重要な指摘が多かったが、後半は「取締役会議事録の氏名欄で旧字体の人が新字体になっているものがある」「本社横の駐車場の看板の会社名記載が登記と少し異なる」など、実質的に何が問題か首をひねるような指摘が増えていた
2022-02-19 15:20:35
13 それでも、以前X証券から言われた言葉がそのたびに頭をよぎり、つまらない指摘もほぼ全部対応していった。駐車場の看板も書き換えた。そのうちに指摘が途絶えた。IPOスケジュールを考えるとそろそろ法務DDを終えねばならない時期になったが、完了の連絡はなかなか来なかった
2022-02-19 15:23:37
14 IPO準備の階段には、踏み外すと地面まで転がり落ち、IPO時期が1年以上延びてしまうものが2つある。 ひとつは主幹事会社。何かの事情で変更してしまうと、その後1年間はIPOできないという慣行がある。2005年ころまでは「半年」だったが、いろいろアレな例があったせいか当時は「1年」になっていた
2022-02-19 15:41:17
15 もうひとつは決算期。「基準」決算期から次の決算期末までがIPOの基本日程。次の定時株主総会までなら出来なくもないが、「期越え」と呼ばれ忌避されていたし、それを越えると1年延ばすしかなかった。 Q社のIPOスケジュールは、そろそろ期越えを余儀なくされるところまで来ていた
2022-02-19 15:44:51
16 Q社はX社に催促気味の問合せをした。期越えIPOを避けるならもう法務DDを済ませねばならない。期越えを狙うにしても猶予は3ヶ月しかない。それも無理なら1年延ばすつもりで態勢を整えねばならない。返事は「ちょうど来週、最終の指摘が来るそうです」の即答だった。「蕎麦屋の出前かよ」とふと思った
2022-02-19 15:54:12
17 約束どおり翌週、法律事務所からの指摘事項一覧が届いた。20余りの指摘事項は相変わらず些末な誤字など実質的な法務リスクのないものばかり。それまでと同様に、修正できるものは「ご指摘を踏まえ修正しました」、修正不能なものは「実質的なリスクはないと考えております」と並べた返事を送った
2022-02-19 16:06:40
18 翌日、X証券から電話。「19番の指摘事項について『実質的なリスクはないと考えております』と回答されたが、これが修正されないのは大きなリスクなので引受リスクを負うべきではないと法律事務所が言っている」
2022-02-19 16:09:28
19 驚いて指摘事項一覧を見直すと、19番はこんな指摘だった。 ----- 19. 定款の附則『会社の設立に際して発行する株式総数』『発起人の氏名及び住所』が削除されている。 -----
2022-02-19 16:14:14
20 詳しくない方へ向けて説明。会社の定款の末尾には附則として「会社の設立に際して発行する株式総数」「発起人の氏名及び住所」が記載される。旧商法166条に定められた「絶対的記載事項」だが、設立手続きが終われば意味のない記載なので、何かのついでに定款変更をして削除するのが一般的。
2022-02-19 16:22:33
21 Q社は最初、定款変更手続きの瑕疵が指摘されたのだと考えた。定款の変更には株主総会の特別決議(過半数出席・その2/3以上の賛成)が必要と定められている。そこに瑕疵があるのに『実質的なリスクはないと考えております』などと言う会社はダメだというのなら、なるほど一応筋が通る
2022-02-19 16:46:15
22 定款変更時の議事録には他の議案も多く、やや記載がわかりにくかった。委任状も集まっていて特別決議にも問題がない。「あの粗忽な若手弁護士、しょうもない誤字は指摘できるくせにこういうのは見落とすのか」とムッとしつつ、該当箇所に蛍光ペンを引き、手続きに瑕疵がない旨の説明を添えて返事
2022-02-19 16:51:19