「ゲーデル問題」問題について、のために

「ゲーデル問題」問題について、さらなる議論のため。「ゲーデル問題」問題についてまとまった発言をされた場合、ここにまとめておいてもらえるとうれしいです。
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@saru_at_P

。僕自身の考えでは、専門的な概念、定理、用語は、基本的に同一専門内の他の概念、定理、用語と連関してはじめて意味をなしているのだから、そうした連関から引っこ抜いて使用した時点で、当初の意味は最早もっていないと思っています。したがって、引っこ抜かれた単語が移植された先で→

2010-05-04 23:48:43
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

で、前期的脱構築と後期的脱構築について、p92以降で分類することの妥当性を自説する。ここで初めて“ゲーデル的脱構築”という語用が登場する:「二つの脱構築を以下それぞれ、ゲーデル的脱構築とデリダ的脱構築(精確には「後期デリダ的」と呼ぶべきだろうが)と名付けることにしよう。……

2010-05-04 23:50:58
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……八九年の講演『法の力』においてはデリダ自身が脱構築を『非歴史的で論理的-形式的な』ものと『テクスト読解、緻密な解釈と系譜学とで進む』ものと『二つのスタイル』に分けているが、その区別と私たちのこの区別はおおむね重なっている。……

2010-05-04 23:52:32
@saru_at_P

→どんな連結を新たに作り出しているかを判定する必要があると思う(これはもしかしたらSFではOKで思想ではOUTと考えられている理由かも)。もちろん、である以上、専門的な概念や定理、用語が単独で移植された場合、それは専門的な視点からすれば、誤用だと指摘してもいいはずです。

2010-05-04 23:53:20
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……しかし私たちはデリダの問題系をより広い文脈へと連結するため、彼自身がほとんどゲーデルに振れていないことを確認しつつも(註13)、ここではあえて柄谷を介してゲーデルを参照したいと思う。なお、『法の力』はまた「脱構築可能」「脱構築不可能」といった表現も導入しているが……

2010-05-04 23:54:50
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……、その区分を採用するならば、ゲーデル的脱構築は――いささか語義矛盾的だが――『脱構築不可能』な構造に関わる。現前の構造と脱現前の構造。あてになる郵便制度とあてにならない郵便制度。『割礼告白』の二つの系列は、そのそれぞれに対応していた。」(同: 92)

2010-05-04 23:56:30
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

で、ここで(註13)と書いたところが、東さん本人の「ゲーデル=柄谷を導入する必然性」についてcriticalな註となっているようです。東で郵便本単体で批判可能であるとすれば、数学に詳しい方にとっての争点はここになるのではないでしょうか。以下、引用します。

2010-05-04 23:59:41
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(13)しかし私たちはまた、『「幾何学の起源」序説』におけるわずかな言及ですら十分にこの用語法を正当化するものだとも考える(p.39ff. 邦訳六四頁以下)。……

2010-05-05 00:01:48
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……そこでデリダは、「フッサールの悲願だった起源的基礎付け」と、ゲーデルの不完全性定理により否認された「公理系とその演繹性一般の理想」とを区別する必要性を極めて明確に述べている。フッサールは数学的基底可能性一般の起源について考えている。他方で……

2010-05-05 00:02:24
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……数学的公理化の理想(ラッセル)とその自壊(ゲーデル)は、その定義上、数学的規定性が確率された〔傍点〕あとで〔/傍点〕問題になるものでしかない。……

2010-05-05 00:04:05
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……つまりデリダが読むフッサールの「超越論的歴史」は、形而上学とゲーデル的決定不可能性とが〔傍点〕ともに〔/傍点〕成立する、「数学」という地平そのものを支える位相を支持している。そしてデリダはまさにそこに、エクリチュールの伝承空間を発見した。……

2010-05-05 00:05:11
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……ここにはすでに、本章が主題とする「二つの脱構築」の問題がほぼ完全なかたちで予告されている。(東 1998: 93,註13)

2010-05-05 00:05:59
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.@t_hayashi 先ほどので「ゲーデル的脱構築」なる語が出てきた文脈は紹介し終えました。また、その後のくだりでは、ラカンの精神分析が“否定神学性”をもつものである、と批判した(と読める)デリダの文章「ラカンの愛にかなわんとして」を採り上げてます(同 94-101)。

2010-05-05 00:13:08
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

.@t_hayashi なお否定神学性には「否定的な表現を介してのみ捉えることができる何らかの存在がある、少なくともその存在を考えることが世界認識に不可欠だとする、神秘的思考一般を広く指している(デリダ自身がそのような広い意味で使っている)」(同: 94-5)と補足しています。

2010-05-05 00:14:58
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

そしてp102以降は、バーバラ・ジョンソン,1978,「参照の枠組」(邦訳:=1981,大橋洋一訳,『現代思想』81年07月臨時増刊号)で述べられた「ポオを読むラカン、を読むデリダ」の三者関係について着目して、「ゲーデル的脱構築」という語彙で何を指摘したいのかを論じている。

2010-05-05 00:19:47
@fm_tw

p.235 ハイデガーもゲーデルもともに、メタ/オブジェクトのレヴェル分け、いわゆる「ロジカル・タイピング」の無矛盾性を破る構造を発見した。…のちラカン派精神分析はこの両者を組み合わせ…

2010-05-05 00:27:57
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@t_hayashi 了解いたしました。「ゲーデル的脱構築」という語用の起源についてはすべて伝え終えたと思います。二章はこの後、クリプキの固有名論、ジジェクのラカン理解、デリダの否定神学批判を次々参照した後、「単一の不可能性」という考えをデリダの固有名論は持たない、と述べます。

2010-05-05 00:28:46
@fm_tw

…思考の限界(現実界)は思考対象の集積(象徴界)の直中に空いた亀裂、「欠如」として示されている。そしてその欠如の存在は、ゲーデルの不完全性定理により保証される。

2010-05-05 00:30:55
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

.@t_hayashi いえ、直接的にはないと思います(見落としがあるかもしれませんが)。/p127の註55で「ラッセル流,サール流の記述主義」と「クリプキ流の反記述主義」という立場整理を行っています。もしかして、ゲーデルの不完全性定理も記述主義の方に回収している……のかなあ?

2010-05-05 00:34:46
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

ちなみにその註55とは:岩井克人の『貨幣論』(筑摩書房,1993)とジジェクの固有名論は、「記述主義」vs「反記述主義」という対立構図に対する二重批判であるという意味で同形だよね(対象がそれぞれ「貨幣」と「固有名」で違うだけで)、と主張しているのでした。

2010-05-05 00:38:07
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

あと重要そうなところと言えば、著作中で前期デリダの発想を「ゲーデル=柄谷的」と呼ぶきっかけになった柄谷の発想を再説明しているところ(東 1998: 129-34)かなあ。『探求』以降で「転回」した時の柄谷のデリダ理解は、前期デリダだけで後期を参照してないよね、という指摘がある。

2010-05-05 00:44:42
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

こんなもんで、たぶん「ゲーデル・的・脱構築」という、問題となっていた語彙の(厳密な数学、分析哲学側からの)妥当性の検証素材は十分かと思われます。

2010-05-05 00:46:34
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@t_hayashi 東1998: 235では、ハイデガーの〈実存論的構造〉とゲーデルの〈ゲーデル数〉とを、「ロジカルタイピングの無矛盾性を破る構造の発見であった」と言う点で同類と位置づけています。そしてこの議論を洗練させたのがラカン派である、と。

2010-05-06 03:32:37
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@t_hayashi つまり、ハイデガーの「現存在」と不完全性定理における「ゲーデル数」を、「単一の世界認識における特異点」の発見として並列に置けるという着想があるようなのです。実際、「ハイデガー的(ゲーデル的)思考」(同: 236)とあったり。これの妥当性をみるべきかも。

2010-05-06 03:37:46
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

@t_hayashi ちなみに読了した僕自身の理解を伝えますと、東1998の論旨は、デリダの脱構築全体(前期・中期・後期)の中に、ハイデガー的(=存在論的)思考とフロイト的(=郵便的)思考の対話として(デリダ『他者の言語』『葉書』からの着想)再記述してみよう、というものです。

2010-05-06 03:47:15