「ゲーデル問題」問題について、のために

「ゲーデル問題」問題について、さらなる議論のため。「ゲーデル問題」問題についてまとまった発言をされた場合、ここにまとめておいてもらえるとうれしいです。
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tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

あー、それ、一応主題の最後の方になると思います。、そもそもゲーデルの仕事から否定神学について何か言えるのかまだ微妙だったので。≫ゲーデルでも脱構築でもいいけど、むしろ俺が気になるのは、お前ら否定神学知ってんのかってことですね。うむ。 /via @Im_Weltkriege

2010-05-04 22:39:45
@fm_tw

.@tricken @t_hayashi 『存在論的、郵便的』p.235をご覧になって感想を頂きたいのです

2010-05-04 22:52:52
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

僕はちょっと私事がたてこんでて(今までちょっとまた私事で体力回復していたのですが)……ハイデガーの「クラインの壺」を不完全性定理と関連付けてるところですね。RT @fm_tw: .@tricken @t_hayashi 『存在論的、郵便的』p.235をご覧になって感想を頂きたい

2010-05-04 23:01:00
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

『存在論的、郵便的』第四章は、デリダの話をやや離れて、「ハイデガー哲学が提示した世界観」と「フロイトの思想が提示した世界観」とを〈存在論的脱構築〉&〈郵便的脱構築〉という区分で論じ始めるところ。解説しろ、と言われても無理だけど、ゲーデルの不完全性定理は、ハイデガーの方に配される。

2010-05-04 23:08:28
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

だから、東浩紀さんのゲーデル不完全性定理の理解は、「ハイデガーが示した世界の把握」と関連しうる、という前提で書かれている(デリダ的脱構築より存在論的脱構築(なるもの)が問題にされている?)。ところが、それが数学・論理学の側から受け入れられるものかどうかは僕にはよくわからない。

2010-05-04 23:14:04
@saru_at_P

「ゲーデル問題」乗り遅れた。あずまんは確か、ゲーデル的脱構築と郵便的脱構築を分けて、前期デリダを前者に、中期デリダを後者に対応させていたはず。しかも「ゲーデルー柄谷」的脱構築と敷衍していたはずで、あずまん自身がゲーデルやべーっすとかいっていた記憶はない。

2010-05-04 23:14:59
@fm_tw

素人なのでアレなのですが、フロイトのハイデガー化がラカン(ゲーデルで理論武装)で、ハイデガーのフロイト化が後期デリダ(「終りなき転移」)。というようにあの本は自分には読める。

2010-05-04 23:15:51
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

しかしですね、〈ゲーデル的脱構築〉なる(今問題となってる語用)は四章冒頭のリード文でも生きている。「私たちはまず脱構築を二つに分けた。ゲーデル的脱構築とデリダ的脱構築。あるいはハイデガーの影響を受けた論理的-存在論的脱構築と、フロイトの影響をゆけた郵便的-精神分析的脱構築。

2010-05-04 23:17:42
@saru_at_P

基本的に、『存在論的、郵便的』はあずまん自身がどこかで論じていたように、「批評空間」と呼ばれる雑誌を中心にしていた一派が論じていた問題を整理し、かつ、それを突破しようとした試みで、連載版と単行本版は大きく違う。連載版ではもっと同時期に「批評空間」で訳が掲載されていたジジェク→ 

2010-05-04 23:17:58
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……現在漠然と『脱構築』と名指されているデリダ独特の哲学的-解釈学的方法論は、実際はこの両者の接木により成立している」(東1998: 214)ということで、もう本書説明全体に〈ゲーデル的脱構築〉という言い方は食い込んでしまっている。

2010-05-04 23:19:26
@saru_at_P

→が意識されていたし、確か岩井克人や松浦寿輝などが批判対象として念頭にあったはず(もしかしたら違うかも)。あくまで批評空間という日本の雑紙の影響下で問いをたて、それを解決しようとしていたはず。なので、ゲーデル問題(なるものがあるならば)の本筋は柄谷であって、あずまんではないと思う

2010-05-04 23:20:54
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

第二章「二つの手紙、二つの脱構築」冒頭の引用:「形式化の諸問題については以下、柄谷行人が八〇年代前半に行った一連の仕事、『内省と遡行』『隠喩としての建築』『言語・数・貨幣』を参照することにしよう。……

2010-05-04 23:28:20
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)したがってここでは、いわゆる『脱構築』が『形式化の自壊』の運動そのもの、つまり、ある〔傍点〕ひとつの〔/傍点〕システムから出発しその内在的逆説に到達する思考の運動であることは確認に留めておく。柄谷が明らかにしたように、その運動は形式的にはゲーデルの不完全性定理に等しい。」

2010-05-04 23:29:31
@saru_at_P

もしクワインやローティやN家先生がいっていたように、科学と哲学、あるいは文学の間に明確な切断はなくて、ゆるい連続性をもった程度差しかないと考える立場からすれば、誤用について反発が生じる状況の方が分析に値するはずであって「どうしてソーカル事件は事件だったのか」的な問いの方が面白い→

2010-05-04 23:30:53
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(東 1998: 76)というわけで、やはり柄谷行人の八〇年代の仕事におけるゲーデル理解において〈ゲーデル的脱構築〉という言葉が出てきてしまっているということで、当初の予測通り東浩紀さん個人が急に思いついたわけではなく、雑誌『批評空間』的disciplineそれ自体の問題か。

2010-05-04 23:31:19
@saru_at_P

はずです。あるいは「ゲーデル問題はどうして今、問題になるのか」の方が。だって文学や思想において、形式化という単語が魔法の言葉なのは自明であって、そうした魔法の言葉がなんで流通してしまったのかということを理解するには80年代の日本の雑誌や論壇状況についての細かい検証がいるはずです。

2010-05-04 23:33:41
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(デリダのテクストの奇妙さは個人的資質に還元できない、と述べた後)「後期のデリダは私たちの考えでは、ゲーデル=柄谷的な『形式化』によっては捉えられないまた〔傍点〕別の〔/傍点〕構造、七〇年代の彼がときに「緊密構造 structure」と呼ぶものをこそ扱っていた(同: 79)。

2010-05-04 23:37:16
@saru_at_P

それは最早「日本論壇論」とか「柄谷論」であって、ロジックとはまったく無関係な話題。特に柄谷やハスミといった人々が真偽以外の領域で面白いことをどれだけ論じられるかに特化したゲームをしていた以上、そうしたゲームのあり方に興味を抱けるか否かでしかないのだと思う。あるいはそうしたゲーム

2010-05-04 23:38:26
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

こうした二章前半の文章からひとまず @t_hayashi さんの疑問にお答えすると、彼の「ゲーデル的」は、具体的には「ゲーデル=(八〇年代)柄谷的」と全て註釈付で述べられるべき内容である、ということで良いみたいです。まだ他にも「ゲーデル的」と出てくるところを拾ってみます。

2010-05-04 23:40:09
@saru_at_P

→が日本で一時期盛り上がっていたという現象に興味を抱けるか否か。僕の印象では、東浩紀は、そうしたゲームに対して「真偽で論じれる部分は真偽で論じるべき」という態度を積極的に持ち込んだ人であって、そういう意味ではゲーデル問題についても「なんだかなぁ」という感じなんではないかと思う。

2010-05-04 23:41:47
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

「私たちは以下、デリダの『脱構築』についてつぎのような作業仮説を立ててみたいと思う。一般に脱構築として理解され、柄谷が結局はゲーデル問題に等しいと述べた戦略、つまり、オブジェクトレヴェルとメタレヴェルのあいだの決定不可能性によりテクストの最終審級を無効化するというその戦略は……

2010-05-04 23:43:04
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……実は『脱構築』の〔傍点〕半分〔/傍点〕でしかない。そこではいまだ、特定のテクストあるいはシステムにおける『代補の論理』が露呈されたにすぎないからだ。代補の分析はテクストを宙吊りにする。しかしその決定不可能性はまた別の構造を示唆しているのであり……

2010-05-04 23:45:07
@saru_at_P

あとは(1)柄谷に「ゲーデルと脱構築の間を結びつけたのはなんでですか?」とたずねる(2)数学ガールを世界に薦める(3)どうしてSFではOKで、思想ではOUTなのかを考える(4)文学と科学の間に連続性が本当にあるのかどうかを検討する(クワインのいう意味で)(5)華麗にスルー、かな 

2010-05-04 23:45:43
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……、脱構築の残りの半分はその構造について語ることに費やされる。デリダが連発する隠喩や造語の群れは、この後者の戦略においてこそ理解されねばならない。さもなければそれら豊饒な文学的隠喩は、ゲーデル=柄谷的に形式化可能な作業を意図的に避ける迂遠さ、……

2010-05-04 23:46:52
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(承前)……もしくはただの衒学的身振りだけを示すことになってしまう。」(同: 91-2)。/というわけで、ここでもゲーデル的というよりは「ゲーデル=柄谷的」とあります。

2010-05-04 23:48:23