@daisuketakagaki さんの3.11

まだ編集中です。 東京のテレビ局に勤務してる方から見た、2011年3月11日の記録です。
9
@daisuketakagaki

(続き)当然、わが社を含めて各局とも特番です。大津波警報を伝える画面。東日本のほぼ全域の海岸線が大津波警報を示す赤い線で覆われています。

2011-09-10 22:22:55
@daisuketakagaki

(続き)どこの局だったか、大津波の中継映像。たしか福島の小名浜だったと思います。防波堤に残された人。そこに濁流となって押し寄せる大津波。「飲み込まれる!」と思った瞬間、画面が切り替わりました。何か、吐き気のような気分がしたのを覚えています。

2011-09-10 22:25:36
@daisuketakagaki

(続き)MXは1995年の開局当時、「24時間東京ニュース」というキャッチフレーズを掲げて、大量の記者(いわゆるビデオジャーナリスト)を採用しました。そのコンセプトは1年もたたずに破たん。記者も相当数辞めてしまい、今、部署移動も含めて会社に残っているのはごくわずかです。

2011-09-10 22:30:19
@daisuketakagaki

(続き)辞めた元記者の一人が、番組販売の会社にいて編成部や営業とも付き合いがあります。その日も彼女が会社に来ていたので「今のうちに早く帰りなよ」と声をかけました。

2011-09-10 22:32:05
@daisuketakagaki

(3月11日の経験続き)業界用語になりますが、こうした緊急時には「マスターカット」と言って、マスター(放送送出の最終調整室)で手動で番組を切り替えます。あらかじめコンピューターに入力しておいた番組やCMの編成をすべてすっ飛ばす緊急対応です。

2011-09-11 12:31:01
@daisuketakagaki

(続き)という訳で、放送運行にたずさわるセクションもみんなマスターに行ってしまっているなか、神戸の「サンテレビ」から震災関連のニュース映像をもらいたいとの連絡が。わたくしたち独立U局は系列かありませんから、日ごろからこうした協力関係にあります。

2011-09-11 12:33:29
@daisuketakagaki

(続き)しかし、このどたばたの中でどうすればよいのだ?と思いつつ、報道や放送運行と協議した結果、回線をつなぎっぱなしにして、MXのOAをそのままサンテレビに送り続けることになりました。当日は編成、報道を束ねる編成局長が出張で不在だったので、現場で即断即決を迫られる場面も多かった。

2011-09-11 12:36:37
@daisuketakagaki

(続き)という訳で、自分も最初は番組の差し替えなど、編成部の本来業務にあたろうと思っていました。(少なくとも12日の11時までは報道特番で行くことが決まっていました)しかし、報道の様子が気になり、4Fの報道フロアに下りて行きました。

2011-09-11 12:39:23
@daisuketakagaki

(続き)すると、報道から飛ばされた(といっていいかわかりませんが)社員がOA卓に座って指示を飛ばし、報道経験者があちこち動きまわっていました。現役の連中より、経験が豊富なのです。そして、驚いたことに、あの、前述のとっくに辞めた1期生の彼女がJRや消防に電話をかけまくっていました。

2011-09-11 12:41:59
@daisuketakagaki

MXになんの義理もないのに、自主的に手伝ってくれていたのでした。自分の心は揺れました。そこに、前編成局長(新聞社出身)が通りがかったのっで、「自分はいま何をすべきでしょうか?」と尋ねました。「ニュースを手伝いなさい」という答えでした。これで迷いは消えました。

2011-09-11 12:45:15
@daisuketakagaki

(続き)まず、小さな民生用のデジカメ(それしか残っていなかった)を渡され会社の前の様子を撮影してこいと命じられました。午後4時過ぎだったと思います。すでに、大量の人波で大混雑していました。内堀通りや甲州街道の混雑もはじまっていました。

2011-09-11 12:49:45
@daisuketakagaki

(続き)半蔵門のとなりにある千代田区の公園の滑り台によじのぼって、避難してきた人たちや渋滞の雑感を撮影。この時点で、帰れる人は帰宅するように、と指示を出していた企業も多かったよう。「帰宅難民」の問題が頭をよぎりました。

2011-09-11 12:52:33
@daisuketakagaki

(続き)首都圏のJR,私鉄、地下鉄は都電荒川線を除きすべてストップ。このままでは大変な事態が予想されました。(国立天文台のHPでは3月11日の東京の日の入りは17時44分)午後5時ぐらいにはかなりうす暗くなっていました。

2011-09-11 12:59:01
@daisuketakagaki

(続き)話は前後しますが、妻の携帯は当然つながりません。i Phoneからのメールが最初にきたのが、3時35分ごろ。「今、新宿。」「上の娘の迎えよろしく」と返信しました。

2011-09-11 13:06:53
@daisuketakagaki

(続き)次にメールが来たのは午後5時半。「新宿。バス待ちです」と。容易ターミナル駅の混乱ぶりが想像つきます。

2011-09-11 13:08:20
@daisuketakagaki

(続き)この間、小学校にも何度も電話をかけ続けたのですが、全くつながりません。「つながりにくくなっております」との自動音声のみ。小学校から自宅まではほんの数分。自宅はつながるのです。きっと局番によっても「輻輳」の度合いが違うのでしょう。とにかく下の娘を励ましました。

2011-09-11 13:11:04
@daisuketakagaki

(結局)妻が上の娘を迎えにいき、帰宅したのは午後7時過ぎ。結局、中野→新宿→文京区春日と歩いて帰ってきたそうです。全校250名の児童のうち、最後から2番目だったとのこと。都内の小学校は大半が保護者引き取りを要請したようですが、うちは都心に近い文京区だからまだマシでした。

2011-09-11 13:13:45
@daisuketakagaki

(続き)報道フロアに戻ったのは、4時半ごろだったでしょうか? わが社も共同通信と契約していますから、次々とチャイム音とともに速報が入ります。「共同通信ニュース速報・・・」次々と拡大する死者、行方不明者の数に暗然とした気持ちになりました。

2011-09-11 14:01:48
@daisuketakagaki

(続き)もうこの頃には、MXは東京のローカル局として、交通情報、とりわけ帰宅困難者=「帰宅難民」に向けての情報に徹するべきだという合意ができつつありました。誰が言い出したという訳ではなく、みなが共有していた意識だったと思います。

2011-09-11 14:11:41
@daisuketakagaki

(続き)MXがある千代田区だけを見ても、夜間人口(実際に住んでいる人)は4万人余りなのに昼間人口は85万人以上に上ります。鉄道が止まったなかで、これだけの膨大な人々がどうやって家に帰ればいいのか?

2011-09-11 14:15:24
@daisuketakagaki

(続き)鉄道の復旧が読めないなか、問題は、帰宅困難者が泊まることのできる受け入れ先の情報です。記者の多くは都庁や現場(ターミナル駅)などの取材に出払っています。そこで、私と元MXの彼女とアルバイト君の3人で手分けをして、まず23区に対応を問い合わせることにしました。

2011-09-11 14:19:55
@daisuketakagaki

(続き)自分は、千代田、新宿、渋谷、文京、台東など都心部を受け持ちました。ところが、、、、千代田区、文京区「庁議で検討中」新宿区「都庁の都民ホールで受け入れてくれると聞いている」・・・なんともお寒い回答ばかり。

2011-09-11 14:24:06
@daisuketakagaki

(続き)千代田区は北の丸公園や皇居東御苑を帰宅困難者の退避スペースにしていたのではないか?都議会の広報番組でも紹介したぞ!と思いましたが、ぐっとこらえて、「何か決まったら連絡ください」と伝えました。

2011-09-11 14:27:09
@daisuketakagaki

(続き)総じて、都心部の区は対応がまったく遅れていました。実際に帰宅困難者が生じるとこれまでの「想定外」だったということでしょう。また、都庁と23区の連携もまったく取れていないように感じました。私の経験上は、都庁クラブからの情報は入ってこず、新宿区は都庁に聞いてくれというばかり。

2011-09-11 14:29:11
@daisuketakagaki

(続き)そんな中、杉並区や足立区など対応が素早い区もありました。とくに杉並区は青梅街道沿いの小中学校を優先的な「保護所」として開放するとHPのトップ画面で告知していました。

2011-09-11 14:30:39