なぜ文学者の常識は「社会科学者・政治の常識」と「ずれる」のか?・・・人文知と社会・理系知の差異について

7
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

亡父がやり残して放置したいろいろの対処と(私が書かざるを得ない追悼文2本を含む)、近頃の大学のいろいろ事務を終えて、午後6時にやっと頭を使った自分の仕事が始められそう。

2019-10-02 18:01:42
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

追悼文は…身内が書くのはどうなんだ、という気もするが、そもそも「池内紀」は後期中年に達しない世代や、文学系の人以外にはあまり知られていない。そうでありながら出版業界には「功績」「恩人」と思ってくれる人がけっこう多い。このアンバランスを架橋できる書き手が他にいるかというといない。

2019-10-02 18:06:00
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

客観的にみて池内恵が書くしかない、依頼してきたことが客観的にみて適切、というところには応えるしかない。書くタイミングとしては死後ひと月の今しかないし。

2019-10-02 18:07:08
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

とはいえ、私自身の仕事が今一番忙しいところ。9・11事件以来の18年間ずっと忙しかったしどんどん忙しくなっているが、その上にさらにこの秋は自分が設定した企画が次々と、週何回も実現してしまい、物理的に手が回らない。事務作業も多ければ実質的な仕事も多い。

2019-10-02 18:12:18
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

そんな時に、同じように、全く別の分野で尋常ではない数の原稿を書いてきた父が亡くなって、「著者死去により代走、じゃなくて代送・代返」みたいなことをやって全く別の頭の使い方をして、混乱の極みに。昼間に中東国際交流企画・事務・実施をやって、夜中に文学の頭に切り替えて追悼文。

2019-10-02 18:14:52
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

昼と夜と、政治系と文学系の全く違う原稿をやりとりすると、違いが際立って見えてくる。政治系はどちらかというと理系にも共通する、「事実」が大事で表現は二の次という世界。ある事実をどう確定するかが大部分の作業で、表現するのは事後の「結果報告」「広報」程度の位置付け。

2019-10-02 18:19:01
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

ところが文学は、表現する一文字目から始まり、表現の中で「内容」「結果」が形作られていく。一文字目の表現を始める前は、どれだけ準備や蓄積があれども、「ゼロ」である。毎回文章表現でゼロから何かを生み出していく。これが政治系・社会科学系そして理系には理解しにくいだろう。

2019-10-02 18:19:01
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

「元がゼロだったら、内容も価値もゼロだろう」というのが理系で、対照的に、文系の中でも文学の世界は、毎回ゼロから書き手が価値を創造していく。これは大変な作業だ。だから私は文学部に足を踏み入れても結局「文学」 (なお、文学部」とは「文(Humanities)」の学部であって、

2019-10-02 18:23:18
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

別に小説などの近代のジャンルとしての「文学」のみをやるところではない。世間一般で最も通りのいい小説などの「文学」を大学の「文学部」の中でやるかどうかは、結構深くて難しい問題だ。小説家を文学部で育てられるかというと、一部に文芸学部やライティングスクールがあるとはいえ、困難である。

2019-10-02 18:23:18
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

では、大学の、それも東大のような研究系の大学は、「作家」でも「哲学者」でもなく、「歴史学者」や「哲学研究者」を要請していればいいのだ、と言い切れるかというと、これもおぼつかない。そこには根本の価値創造の、肝心の部分が欠けているのではないか。

2019-10-02 18:26:30
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

文学者がいなくとも大学は成り立つだろうが、「文学者など一人もいませんよ、うちは事実を確定することに専念した歴史学者や、過去の哲学者について細かな考証をやる哲学研究者のみを育てるんです」と言っていて文学部が成り立つのか。

2019-10-02 18:26:31
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

ナボコフだったか、文脈も語句もうろ覚えですが、「大学は象学者の場所であって、象を教授にはしない」という話があったような。文学部における「文学者」は、象学者の集まりに象が闖入してくるようなことになりかねない。しかし「象」そのものが何よりも「象学」を成り立たせているのではないか。

2019-10-02 18:28:33
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

「象」を締め出して大学に「象学」が成り立つのか。短期的には成り立つでしょうが、長期的にはどうか。長期的にはあやしい。象のいない象学はやがて、「象も象学もいらんよ」と言われてリストラされてしまいかねない。

2019-10-02 18:30:06
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

なんの話をしているかと言うと、父の追悼文という、今この時期にやるしかない仕事で、パートタイムで「文学」をやってみたところ、これはキツい。文学者は根拠なくかるーくモノを言っているように見えるけど、ゼロから価値を生み出すのはすごく大変。体力がいる。歳をとるとこれはかなりキツい。

2019-10-02 18:35:06
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

私はこれを専業にはできない。月に1本書くぐらいで精一杯で、それでは生活できないし、何よりも、読者がつかないだろう。読者はコンスタントに読み物を提供してくれる作家を求めているのである。

2019-10-02 18:35:07
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

作家が不用意に政治を語るとすごい稚拙になったりするのはなぜかと言うと、あれは政治に関する言説が、結論に至る過程のプロセスで踏んでいる複雑で平凡な作業を理解していないから。政治言説の表現だけ見ると、作家から見ればあまりに稚拙に感じられるだろう。参入して一言言いたくなるだろう。

2019-10-02 18:39:04
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

それは作家がゼロから始めて表現でどこまで構築できるかを競っているから。しかし政治に関する議論のゼロに見える地点は実は結論であって、そこに至るまでに多くが行われている。政治・社会科学系の立場から議論をする時は、前提を置いて過程を踏んだ結果ほとんど動かしようのない結論を論じている。

2019-10-02 18:39:04
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

…なので表現すること自体はそれほど難しくない。それが作家から見ると非常に稚拙に見える。自分ならもっと書けると思う。書いてしまう。そこにズレが生じる。

2019-10-02 18:40:02
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

繰り返すが、作家がゼロから価値を生み出すのは、これは非常にキツい作業で、結論が出てしまえばそれをどうプレゼンするかで多少影響力や知名度が変わる、というようなものではない。だから、作家が書けなくなったり年老いたりすると、安易に政治論に手を出しやすい。

2019-10-02 18:43:36
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

作家の表現力、読み手をつかむ力というのはこれはすごいから、プロセスを知らないで、何か一つの結論だけを取り上げて、そこから軽々と飛躍して、多くの読者に「そうだ」と思わせることができてしまう。その結論に至るプロセスへの知識がゼロでもそうできてしまう。

2019-10-02 18:43:36
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

だから書き尽くして暇になった作家や、年老いた文学者が不用意に政治発言をして賛否両論が全く噛み合わない炎上というものがしばしば起こる。SNSの時代になると作家もこれに手を出しやすくなるから頻繁に起こる。

2019-10-02 18:44:45
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

…なんてことを考えながら、夜中にパートタイムで文学の頭に多少切り替えて『文藝春秋』の巻頭コラムと、『中央公論』へのエッセーの寄稿を書き終えて、校了した。10月の初頭に相次いで店頭に出るので、読んでみてください。

2019-10-02 18:47:46
Satoshi Ikeuchi 池内恵 @chutoislam

仕事のやり方、聴衆の範囲の設定、発表言語も徐々にシフトして、日本語の一般読者向けにそんなにしょっちゅうは書かなくなっていますし、ましてや文学系の文章はほとんど書かないので、滅多にない機会と思って読んでみてください。以上です。

2019-10-02 18:47:46