- noricksakurai
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@Nasikandar_ おお、別角度の写真が。さすがです。やはりおじさんが退けば部隊マーク...。 アンテナも基部を見るとドイツ軍仕様なんでしょうね。元もとの位置から出せないんでしょうか...
2019-05-21 11:19:27@me20sugi L6の指揮車タイプってよく知らないのですが、アンテナ位置は後部なんでしょうか。 通常は砲塔右でしたけど。アンテナは確かに元のイタリア軍と異なりますね。
2019-05-21 12:57:21@dak2_30010439 @me20sugi 左の人物はイタリア人に見えますね… 刑務所に収監されていたイタリア兵って感じです
2019-05-21 13:01:14@Nasikandar_ L6は私も昔、部品を付け間違えちゃったくらいに良く判ってませんが...(笑)これ、2台ともアンテナ2本なんですね。で、元々のアンテナ位置にはなく、外した痕跡も無いですね...帰って資料をみてみます
2019-05-21 13:11:59farigliano5luglio44.blogspot.com 空軍保安連隊「イタリア」、↑のリンク先によれば44年6月末~7月にかけて編成され、飛行士200人の他に空軍刑務所で収監されていた80人の兵士が含まれていたとの事。指揮官はフリッツ・ヘルベルト・ディーリッヒ中佐で、彼もパイロットだったらしい。うーむ…
2019-05-21 21:17:11あと訂正ですが、降下猟兵師団に移ったのは「イタリア」の方でなくまた別の部隊、空軍猟兵連隊「ノイカム」で、こちらも空軍刑務所からの人員で編成されてイストリア半島で対パルチザン掃討に従事。
2019-05-21 21:34:01farigliano5luglio44.blogspot.com/2015/01/banden… 空軍保安連隊「イタリア」の方はその後どうなったのか?というのも上記先に記述があり、1944年10月19日までは存在が確認されて44年末に部隊は解散。 リンク先で部隊の行動もあるんですが、略奪や一般人を人間の盾に使う等やっぱり空軍版ディルレヴァンガーって感じで…
2019-05-21 23:51:00空軍保安連隊「イタリア」の指揮官フリッツ・ヘルベルト・ディーリッヒ中佐、写真が残っていた(画像二枚とも中央の人物)。ルフトヴァッフェでパイロットだったらしいが、まさか後に北伊で服役者含む元パイロット混成部隊と鹵獲装甲車輌を率いて血生臭い対パルチザン戦するとは思わなかったのでは… pic.twitter.com/TsaRtXCq4y
2019-05-21 23:20:25東部戦線従軍時の中佐を撮ったのもあった カール・ヴォルフと映ってるのとか意外に残ってるもんですね farigliano5luglio44.blogspot.com/2015/01/banden… pic.twitter.com/2cJPBCMFQ5
2019-05-21 23:29:20Beutepanzerにある空軍保安連隊「イタリア」のAB41。 奥にL6/40が見える。例の指揮車とすれば戦闘室後部の両端にアンテナ基部が見える…のか?右側にはなんとなくそれらしいのは確認できる。 beutepanzer.ru/Beutepanzer/it… pic.twitter.com/82UK7pya52
2019-05-22 20:55:19注意して見るとナンバーが伊陸軍のままだったり。 このAB41、前方は元のナンバー白で塗り潰してWL入れてる。 pic.twitter.com/5VwP4SJoXV
2019-05-23 00:00:37治安部隊系の指揮官は戦後に裁判かけられたりするものだが、パルチザン掃討戦に明け暮れた空軍保安連隊「イタリア」を率いたディーリッヒ中佐は、特に裁かれる事なく戦後もドイツ連邦軍で奉職している。 この辺はのりっくさんか内田先生にお任せしよう(盛大な丸投げ) pic.twitter.com/1vexrr7FQZ
2019-05-22 21:15:33AxisHistoryForumの書き込みの信憑性がどうかはさておき、空軍保安連隊「イタリア」はAFV以外に機種不明の航空機とシュトルヒを保有していたらしい。事実とするなら、対パルチザン部隊にしてはかなり機動力のある部隊だったのでは。
2019-05-23 13:38:28