- osugi_akira
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60点の自分をそれでよしと受け入れた上でさらに上を目指したいなら目指すのが自己受容、60点の自分に対して「たまたま運が悪かっただけで本当は100点」と考えて心を守るのが自己肯定、アドラー心理学は前者を目指す。 そんな内容の記述があった。
2022-05-14 11:15:19世間一般では「自己肯定」という言葉はプラスの意味で使われることが多いが、この文脈ではどちらかというと現実の自分を受け入れてないというマイナスの意味で使われている。
2022-05-14 11:19:02現実よりも自分を過大評価することで、自分が本当に向き合うべき弱点、課題から目を逸らすという点でアドラー心理学の「劣等コンプレックス」という概念の派生バージョン、「優越コンプレックス」であるともいえる。 劣等コンプレックスは課題に取り組めない理由、取り組まない理由を作り出す。
2022-05-14 11:20:54優越コンプレックスは実際にはできていないことをすでにできていること、できるはずのこととみなして、自分のセルフイメージを守る。すでにできているはずなので、課題に取り組み克服する必要もない。もうできているから。 それを「自己肯定」と本の中では表現していた。
2022-05-14 11:23:35そこで久保君から質問があった。 「実際に100点なんだけど、本当にたまたま運が悪くて60点の場合もあるんじゃないですか?」 さすがだ。 まあ、中にはあると思う。 ただ、本の中でその話はしていない。 今、話題になっているのは60点なのに100点だと思い込んで心を守ろうとしている人の話である。
2022-05-14 11:27:36なぜそこでその質問を久保君はしたくなるのか? 質問する動機が興味深い。 ぼくも彼も実のところこれは彼自身の話をしているとわかっている。
2022-05-14 11:32:02まさに彼は自らのトレーニング企画の中で「次回までにこれだけ走ります!」と無理目の高い宣言をしては、次に確認すると「たまたま不運なことにこういうことがあってやれませんでした」と報告することを繰り返し続けていた。
2022-05-14 11:34:08ぼくが「もっと自分でもやれることまでハードルを下げたら?」と提案してみると、 「いや!今回が不運だっただけです!次は絶対にやれます!」と彼が返す。 最終的に彼は毎回失敗し続け、その企画自体へのモチベーションを失って終わりとなった。
2022-05-14 11:35:44「たまたま運が悪かっただけで、本当ならばできる」というのは久保君定番の決め台詞なのである。 彼からしたら、そこについて「ダメな自己肯定」「優越コンプレックス」扱いされてはたまらない。 「ぼくのケースはそうじゃなくて本当に100点だけど運が悪いだけですよね?」 そう確認したいのだ。
2022-05-14 11:39:00とりあえずその流れにおいて「確かに『たまたま』不運が何年も続くということもありうる。万に一つの可能性ではあるけれど、理論上ゼロではない。だから、一応ありうるよ」「周りの人は多分みんなそうは見ていないけれども、可能性はある」とこちらも笑って返し、久保君も「よかった」と笑顔で納得した
2022-05-14 11:55:15ぼくも含めた本人以外は、久保君定番の優越コンプレックス芸として楽しくそのやりとりを見て笑っていたのだが、読書会終了後、ところで久保君本人はこの件についてどこかネタ的に面白いと思って冗談のつもりで質問したのだろうか?と気になったので、後で別件でDMのやり取りをする際に聞いてみた。
2022-05-14 11:58:02やはりネタではなく、ガチで言っていた。普通の人からしたら流石に現実を見るだろうと思うわけだが、久保君にその発想はない。 なぜそうなるのか?多分「自分の心に素直にあるべきだ」という自己理想が強すぎて、自己認識自体を歪めてしまっている。 pic.twitter.com/KsCXECtd1Q
2022-05-14 12:22:45「自分は自分の心に正直であり、それが自分の美点である」というセルフイメージを彼が持つに至ったのは親からの影響らしいことがわかってくる。 pic.twitter.com/q0pMScKbp5
2022-05-14 12:36:17母の「自分は自分の心に対して常に正直であらねばならない」という自己理想が息子の久保君の心の中にも刻み込まれ、その「100点であらねばならない」という義務感が強く機能しすぎて、実際の自分を正確に見つめて知るよりも、自分は100点であるというセルフイメージを守ることが優先されてしまう。 pic.twitter.com/PpYS0GXcyh
2022-05-14 12:45:10外側が見ている人たちからしたら、これこそがまさに自己受容ができておらず、虚構の自己肯定をしてしまう人の思考の流れに見える。 だが、本人の中では自己受容ができていないがゆえに、自分は自分の心に正直であり自己受容もできているという強固な信念があり、自分の認識自体を疑うことができない。
2022-05-14 12:49:56そういう美しいケースだなと思ってとても感心してしまった。久保君はこういうものを喜んでみんなに見せてくれるので、ぼくとしても大変に勉強になる。
2022-05-14 12:51:31自己受容ができていなくて本の内容が綺麗に自分に刺さるのだが、高すぎる自己理想のためにそれを認めるわけにもいかない。 だから「この本の内容は自分のような場合には当てはまらないですよね?」と聞かずにいられない。 それが久保君が質問する時に起きていたことのようにぼくには見える。
2022-05-14 13:03:03くぼくんの良いところは、こういう矛盾みたいな話も包み隠さず話せるところだよなぁ twitter.com/mentane/status…
2022-05-14 12:49:37こういうセルフイメージの強さで、事実を捻じ曲げる考え方の人に、事実を突きつけられると、一般的には不機嫌になって、そういう人と付き合わなくなるもんだ。
2022-05-14 12:52:27カウンセラーの立場とすると、この素直さってのはやりやすいのかな? それとも素直に言葉にしているのに、事実を認識できないってことで、逆にやりづらいのかな? 気になる、、
2022-05-14 12:58:58「〇〇である」ということを「〇〇であるべきだ」と自動的に読み違える人が右寄りの人に多く 「〇〇であるべきだ」ということを「〇〇である」と読み違える人が左寄りの人に多い みたいな話を思い出したが。元ツイートとはあんまり関係ないな(笑) twitter.com/mentane/status…
2022-05-14 13:00:43久保氏は言語化能力や素直さ、記憶力は高いと思うのだが、それをもってしても安々とは変化できないのだなぁ。(信念が強いとも言える) 質問を受けて答えるまでの間に”自分の思考の正しさを疑う”というワンクッションが入れにくい人、存在するよなあ。 twitter.com/mentane/status…
2022-05-14 13:06:15いやもう、本当に素晴らしい。 こういう久保さんのような性質の人は見たことあるけど「喜んでみんなにみせてくれる」人は初めて見た。 そこが久保さんの可愛らしさや魅力なんだろうな。 なぜそれができるかを是非知りたい。 twitter.com/mentane/status…
2022-05-14 13:42:03