@tukinosuke フィリピンとか中国の棚田はすごいですよね。険しい山あいにある日本の棚田とは違ったステキさがありますね。
2011-09-16 23:54:26@tukinosuke 戦後は農業人口に対して耕作地が少なかったってことなのですか?もしくは需要に対して平地の収穫だけでは不足だったとか。
2011-09-17 00:04:04戦後の食糧難の頃は生活できたが、その後は生活できなくなって、人がいなくなったのですよ。険しくない棚田は江戸時代からの百姓ですから、今でも続けられる。苦しいけど。そんな歴史的背景が全国にあります。@Y_Suzuki
2011-09-17 00:05:06@tukinosuke なるほど、どちらかというと後者のイメージですね。さっきの写真の棚田は険しいほうだと思いますが江戸のころからだそうです。ここの場合は山あいの漁村で、ほかに田んぼ作るところなかったからでしょうね。
2011-09-17 00:12:57そういうことにしておきましょう(笑)たいてい漁村は先祖信仰で一番高い場所に墓を作りますから、その場所までは畑は作らないのです。観光地作りと真実の歴史は重なることが難しいのですよ@Y_Suzuki
2011-09-17 00:15:41@tukinosuke 一般論はよくわからないのですが、 http://t.co/WVIk3hgf の記述が間違いばかりとも読めないです。うーん。注意して読んだ方が良いところがあるなら教えてください。
2011-09-17 00:24:44@tukinosuke はい、フィリピンの棚田が世界遺産である、というところ以降はよくわかりませんでした。すみません。
2011-09-17 00:43:51棚田(の話題は採れるお米の方に移ったけど、)はほとんどは地すべり地形を拓いたところが大半だ。ある意味災害跡地の方が利用価値が高いひとつの証左。棚田百選はあるけど、地すべり百選はまだ聞いた事がない。勝手に私撰の百選でも作るか。
2011-09-17 01:47:32@nied_inok あ、ご覧になってましたか棚田の話。地すべり地でないとあのようなきれいな棚田は出来ませんし、大規模な棚は人力では無理(特に昔は)ですものね。地すべり百選・・・要因も含めた百選でしょうか?
2011-09-17 01:50:38@supervisor0901 昔は重機がないので、人力で耕地を作るとするとやはり地すべり跡地の様に、自然に手伝ってもらわないと難しいですネ。最近は山間部に大規模に造成した田んぼも目にします。それでも中越地震で滑った一つ峰沢の地すべりの造成地も地すべり地だったから、変わらないか。
2011-09-17 01:56:53@nied_inok 結果、全てが地すべり地になってしまったということですね。耕地を作るのに造成の手間が掛からないということもさることながら、粘土分がないと田としての保水機能を維持できないので、地すべり地が好まれたということはないでしょうか?
2011-09-17 02:02:42@supervisor0901 粘土分や保水性などもあって、地すべり地が選ばれたと思います。@ishikun3
2011-09-17 02:08:29@nied_inok そもそも古い地すべり堆積地は急峻な山間部で人が住める(集落ができる)数少ない場所ですよね。山古志村もそうだったし、大鹿村でも集落は全て中央構造線東側の地すべり地でした。自然の恵みを享受している例かと思います。もちろん災害は怖いですが。
2011-09-17 02:10:50自然を理解し、うまく対処して行くしかないと思います。御せる範囲では操ることも可能ですが、自然が底力を出して来た時は逃げるしかないと思います。 RT @chizulabo: @marubashi そのあたりは両刃ですね。自然は人の思うようにはならないという。
2011-09-17 02:23:20長者地すべりはまだ止まっていなかったでしょうか。厄介な地すべりもありますね。 RT @marubashi: @chizulabo @nied_inok 高知だと長者みたいに集落移転に踏み切らざるを得なかったところも
2011-09-17 02:28:44