『一期一会』に潜む勘違い・時代錯誤・そして失われた覚悟。

あまりにも一期一会という言葉が軽く使われているのと、利休が生きた時代彼が何を伝えたかったのかが伝わってない感じがしたので、ちと自己まとめ。座右の銘にしてる人、作法を過剰に重んじる人、そういった方がウザい人、両方にご覧頂ければと。常識に潜む恥と故人への侮辱に警鐘を。
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ぬまにゃん @numanyan

言葉は生き物として解釈の拡大やぶれについては相当寛容な私でも、一期一会の誤用だけは馴染めない。世間のゆとりちゃんがこの言葉使った時、正しくはそれは「袖振り合うも他生の縁」。千利休の哲学や当時の時代背景を軽く見過ぎですがな。一期一会を使うべき場面は、実は人生においてそうそうない。

2011-09-18 07:54:15
ぬまにゃん @numanyan

利休という人のエキセントリックさが私の中で不快なレベルであることや、後に思想操作に転用された経緯も嫌なんだよねぇ>一期一会 覚悟という言葉を軽くしてしまっているし(これは利休の本意に反する)。ゴスロリのフィロソフィと同じで、生死に関わる事だという認識が何処かで消えている。

2011-09-18 08:04:15
ぬまにゃん @numanyan

袖振り合うも他生の縁、の方は好きな言葉で尊重しておりますが、世の中にはそうでない人もいるようで。ありがとうを他人に言われるのが大嫌いとか。まああれは、経験則で生まれた精神過敏(昨日みんへるさんとこの件話した中で「アレルギー」と表現しましたが)と思われるので、責める気が失せました。

2011-09-18 08:09:34
ぬまにゃん @numanyan

成立経緯を考えた時鬱と全く同じで、おそらくはある種の病気であろうと思えた瞬間、気の毒になってしまった、というのが>例の「他人のありがとう大嫌い」 みんへるさん曰くの「潔癖性に近い」が非常に合点行きました。

2011-09-18 08:16:35
ぬまにゃん @numanyan

話を一期一会に戻すと、一番思うのは「そんな重い言葉を使わざるを得ない時代じゃねえよ、平和ボケさんたち」あたりでしょうか。実際利休の最期はああなわけで「言葉による戦いにおけるワンショットワンキルという理念」が一期一会の正しいニュアンスで、それが必要な時代を利休は生きていた、と。

2011-09-18 08:24:58
ぬまにゃん @numanyan

作法の原点は「支配者に対して隙を作って殺されないためのノウハウ」という、切実しかし(自分で求心力を得られない人間の代替手段という意味で)こすっからいもの。礼儀作法という言葉があるけど、礼儀と作法は本来二律背反するものですよ。求心力がある人は作法を咎められにくいという事実があるし。

2011-09-18 08:34:44
ぬまにゃん @numanyan

しかし茶道文化は今「見るに」素晴らしい遺産であることもまた事実だと思います。自分がやるのは遠慮させて頂きますが。(習う気があれば子供の頃から大変可愛がって下さってる母の友人がとある流派の家元なので習えますが)

2011-09-18 08:39:47
ぬまにゃん @numanyan

と、プリキュアに世界中が血眼になっている最中に言い逃げw。まとめとくか…。

2011-09-18 08:41:14