アシッド・シグナル・トランザクション #1
彼らは跳び込んできたザナドゥを一瞥した。そしてまたセイケン・ツキを継続した。意識がある。その上で、彼を無視している。「……!」ザナドゥは屋上に立てられた広告看板パネルの裏側に手をかけ、苔を毟り取った。そこに紫のペイントを行った。身悶えするハンニャの意匠だった。 14
2022-06-02 22:38:15ハンニャは看板をはみ出して身を起こし、身体をよじらせる。ザナドゥは指差し、叫んだ。「オイ!アンタら!これ見えンだろ?」呼びかける。彼らはザナドゥのグラフィティを見る。セイケン・ツキをしながら。「……」ザナドゥは俯き、目を擦り、キャップを目深に被った。そして去った。「イヤーッ!」15
2022-06-02 22:41:40ビルからビルへ。しばしばサラリマンやオーエルが集団でセイケン・ツキしている。普段ならば、さすがにニンジャの身体能力を目の当たりにした市民は悲鳴をあげたり驚愕したりする。だがそんな反応もなかった。彼らの虚無的な表情は、安息と、そして、絶望が混じり合った、自我のあらわれだった。 16
2022-06-02 22:44:30(俺よりこの緑が強い)ビル崖から跳び、蔦にしがみつき、体を持ち上げ、また走る。(……そういう事だろう。チクショウ。俺が足りてない。俺のアートが力不足なんだ……!)千々に心乱れた彼の指先が、蔦を掴みそこねた。「グワーッ!」滑落し、苔の上を転がった。「クッソ……痛てェ……」 17
2022-06-02 22:49:14起き上がり、周囲を見ると、ビルとビルの隙間の闇に、闇より黒い質量の輪郭が見えた。「……エメツ?」ザナドゥはよろめき、それを確かめる為に向かった。実際それはエメツだった。大きい。まるでカネモチの水晶庭園インテリアじみて、エメツは配管の隙間に生えている。……エメツだけではなかった。18
2022-06-02 22:52:25ザナドゥは身を固くし、後退りした。エメツのそばの影がグツグツ煮えていた。薄く光る01のノイズが散り、ゆっくりと身をもたげるのは……顔のない、ニンジャじみたものだった。そのものはグイと背筋を伸ばし、明確に、ザナドゥに襲いかかった。「イヤーッ!」「アイエッ……!」ザナドゥは逃走! 19
2022-06-02 22:55:30「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」顔のないニンジャ……いわばフェイスレスは、側転を繰り返しながらザナドゥを追った。「ヤメロ!」ザナドゥはむなしく叫び、駆け足の速度を速めた。「イヤーッ!」蔦と苔まみれのトンネルの側面を走り、区画の境を越えた。KATANA隊員がセイケンしていた。 20
2022-06-02 23:02:51フェイスレスは追ってこなかった。KATANA隊員たちと接触があっただろうか。それもわからない。騒ぎは聞こえてこなかった。彼は必死に走った。交差点。信号も働いていない。そして道路のあちこちで、無人の事故車が放置されていた……「オイ!」ザナドゥは駆け寄った。交差点、うつ伏せに倒れた市民。21
2022-06-02 23:04:30すぐそばで、歪んだブレーキ痕を残し、青果トラックが交差点に面した店に衝突し、ショーウインドウを破壊していた。その付近で、当初は略奪にやってきたと思しき不良モヒカンがセイケンしていた。店内には仲間とおぼしきモヒカンがしゃがみ、呆れたように眺めていた。だが今はそれどころではない。 22
2022-06-02 23:07:35「オイッ!平気かアンタ!?」「……う……」フードパーカーと黒いスカート姿の娘は、ザナドゥの呼びかけにこたえた。息がある。「オイ、怪我は?撥ねられたのか?……ア!?」フードをずらして出てきた顔に、ザナドゥは驚いた。実際それは彼の知る娘……グラフィティ女子高生ヨウナシであった。 23
2022-06-02 23:11:08「お前ザナドゥ、奇遇……」ヨウナシは彼女を抱えるザナドゥをすぐに認知し、その直後に気を失った。湿った感触をおぼえ、ザナドゥはヨウナシの脇腹に触れていた手を見た。赤い血がべったりついていた。「ヤバい……!」どうしたらいい?何もわからない……!「と……とにかく病院か何処か……!」 24
2022-06-02 23:24:37ザナドゥは身体の負担にならぬやり方を意識しながら、ヨウナシを抱え上げ、そしてしめやかに走り出した。幾つの街区を移動しただろう。何処も同じありさまだった。緑、緑、緑。セイケンする人々。やがて……緑が開けた。タマ・リバーの土手に、彼はたどり着いた。眼下、くすんだ川の水面が出迎えた。25
2022-06-02 23:25:42「え?」ザナドゥは異様な感覚に襲われ、一瞬、我を忘れた。土手には屋台が並び、テントが並び、タマ・リバー流域には人の営みが確保されていた。そこに緑の侵食はなかった。「ナンデ」立ち尽くすザナドゥに、近くに居たサラリマンが近づいた。「もっと前に。こっち。進んだほうが良い。こっち来て」26
2022-06-02 23:27:51「ア……アッハイ」ザナドゥは言われた通り、前に進んだ。煮凝った空気を破り抜けるような感触。ニンジャ第六感のチリチリした感覚が失せた。「アレ?足元……」ザナドゥはスニーカーの爪先を見た。コンクリートの灰色を見た時、自然と涙が出た。「緑、入らないほうがいいよ」サラリマンが言った。 27
2022-06-02 23:30:07彼はザナドゥの抱えるヨウナシの状態に気づいた。「アレ、その子けっこうヤバいんじゃないの?」「あ、ああそうだ!クルマに轢かれたんだ!」「そりゃヤバいじゃないの。エート……」サラリマンは手をひさしにして、川べりのテント群を見渡した。「確かナースが何人か集まってたンだよな」 28
2022-06-02 23:33:50サラリマンは錯乱の名残りか、ネクタイをハチマキじみて額に巻いていたが、構うべきではない。ザナドゥは彼に頭を下げ、しめやかに斜面を降りて、テント群を目指した。土手には草が生えていたが、「ちゃんとした」草だった。安堵の中で、彼はようやく気づいた。タマ・リバーの水面の上空。オリガミ。29
2022-06-02 23:36:22「オリガミ……」赤黒のアブストラクト・オリガミは、実際、ザナドゥがよく知るものだった。それは空中に確固として静止していながら、動き流れ続けているように錯覚された。川べりに誰かが置いたマシーンが吐き出すシャボン玉が、ふわふわと流れていた。 30
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