- uchida_kawasaki
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(01) 【ご報告】 みなさま 昨日の判決行動には800名を超える多くの方にご参加いただきました。ありがとうございました。本当にお疲れさまでした。 国の責任を認めないという最高裁判決が出てしまい、気力がでないという方、絶望的な感情に陥っている方もおられると思います。
2022-06-19 05:25:11(02) 勝訴判決を得られると確信していましたが、昨日の判決となってしまったこと、原告のみなさんはもちろん、応援してくださったみなさんにも大変申し訳なく、勝訴の結果を出せなかったことについてお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
2022-06-19 05:25:12(03) 多数意見は、対策をとるよう命じていたとしても、浸水を避けることはできなかった蓋然性が高いことから、そうである以上、責任を認めることはできないという趣旨のものでした。 予見可能性、長期評価の信頼性といった点について直接の言及はなく、因果関係が認められないという一点についてのみ
2022-06-19 05:25:12(04) 判断をした、非常に内容の薄い判決となっています。 (判決全文を下記のURLからご覧いただけます。 courts.go.jp/.../hanrei_jp/… ) 多数意見のポイントは、事故前の当時の運用を何ら検証せず、そのまま所与のものとして前提にし、その運用から想定される対策内容を仮定し(1つめの仮定)、
2022-06-19 05:25:13(05) その対策内容では事故は回避できないだろうと仮定し(2つめの仮定)、対策をとっても結果は変わらないから責任なしとするもので、責任を否定する方向で仮定に仮定を重ねています。 また、私たちが求めていた事故前の当時の運用が法令に照らして適切だったのかという点には何らの検証も加えず、
2022-06-19 05:25:13(06) 無条件に受け入れてしまっています。 このような考え方が許されてしまえば、そのときの運用に対するチェックはなされず、被害を防ぐことができなくても、責任は免れるという話になってしまいます。つまり、普段からハードルを下げておけば、何か起きても責任はない、ということを許容するような
2022-06-19 05:25:14(07) もので、これではあれだけの被害を生み出してしまった事故から何らの教訓も得られません(教訓を得ようとする動機づけがなされません)。 危ないと感じるべき瞬間があったのではないか、危ないと感じなければならない警告があったのではないか、危ないと感じたのであれば必要な対策を取らなければ
2022-06-19 05:25:14(08) ならず、取っていたら事故を回避できたのではないか、こういった検討の積み重ねのうえで、これまでの各地の裁判は国の責任の有無について判断を示してきました。今回の判決は、こうした各地の裁判の営為に対する敬意をまったく払っておらず、なにより原告の求めたものに真正面から向き合うことを
2022-06-19 05:25:15(09) しませんでした。 真正面から向き合うことをしなかった理由は、様々な推測があるところですが、私は、裁判体が、原子力損害賠償法など原子力をめぐる法体制や法の建前というもの(原子力事業者が主体で、国は当事者とはならない世界)を守ることを優先し、原賠法で賠償されるのでそれでよいでは
2022-06-19 05:25:16(10) ないかと考えたことが大きいのではないかと考えています。 これは、あえて私たちが求めた点について判断をしなかったわけで、判断をしないと決断したことを意味しており、原発に関する国の責任については、踏み込んだ判断をしないという、最高裁としての姿勢を示したのではないかと感じています
2022-06-19 05:25:16(11) (かつて、日米安保条約に関しても最高裁は踏み込んで判断しないという姿勢を示したことがあります)。 一方で、今回の判決には反対意見がつきました。三浦守裁判官という検察官出身の方ですが、この反対意見は、多くの方にぜひとも読んでいただきたいです(25頁以降が反対意見です)。
2022-06-19 05:25:17(12) これが私たちの求めていた内容で、本来であればこれが最高裁の判決となるべき内容でした。 最高裁においては、各裁判官が個別の意見を述べる場合がありますが、今回は3名も意見を述べているという意味でも異例ですが、とくに反対意見は、ふつうであれば何らかの論点についてだけ意見を述べるとい
2022-06-19 05:25:17(13) うところ(ほかの2名はそうしてます)、三浦裁判官の反対意見は、まるで判決のような体裁の意見になっています。これは、第二小法廷のなかで、自分が少数意見となったものの、三浦裁判官としては多数意見の判断のありように、どうしても許せないものがあり、裁判官としての意地をみせたものでは
2022-06-19 05:25:18(14) ないかと想像します。私としては、この三浦裁判官の意地をきちんと受け止める必要があると思います。異例の形の反対意見です。 それは、菅野裁判長ら多数意見が、いわば「菅野第一判決」なのに対して、反対意見は、「三浦第二判決」とでも称すべきもので、私たちとしては、この「三浦第二判決」
2022-06-19 05:25:19(15) こそが正義だと評されるべきです。 今回、3対1の判決となりましたが、私たちとしては、この1があったことは大きな成果です。今後、この1を多数意見にすることが、当面の課題となります。 もちろん、この貴重な宝の「三浦第二判決」を得られたのは、これまでの原告の方々の取り組みがあった
2022-06-19 05:25:19(16) からこそです。こうした努力がなければ、この到達を得ることは不可能でした。 そして、後続の訴訟(生業でいえば第二陣)は、「三浦第二判決」を多数意見にするというたたかいとなります。 国の責任を認めないという結論でしたが、次につながる手がかりは得られました。私としては、三浦裁判官の
2022-06-19 05:25:20(17) 思いも受けとめ、これに応えなければならないと思います。 選択的夫婦別姓の訴訟など、何度も何度も最高裁までたたかい続けている裁判があります。 次こそは変えようという思いで、そうした裁判の原告の方々はたたかっているはずです。私たちも、次こそは勝ちます。 昨日の判決によって、ボールは
2022-06-19 05:25:20(18) 私たち、社会に投げ返されました。 被害は防げない、国にも東電にも責任はない、それでも私たちは原発を続けますか? そのことを打ち出していくと同時に、そうあってはならないと「三浦第二判決」を「社会通念」にしなければなりません。 来週から、また取り組みを始めましょう。
2022-06-19 05:25:21(19) (下記のURLから、判決後の第一声や記者会見、報告集会の模様をご覧いただけます) youtube.com/watch?v=ndsj6R…
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