アートシーン(2011年下半期)

2011年7月からの、展覧会その他美術に関するツイストを集約。
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sjo k. @sjo_k

1223現代絵画の「ライアン・ガンダー Meaning...surrounds me now」展へ。今年の3月に沖縄県立美術館で個展を見た時と感想はほぼ同じ。なんだかよく「解らない」し、とりたてて斬新でもなく、強烈なインパクトも受けないのだが、何かが頭に「引っかかり続ける」作風。

2011-08-03 20:02:30
sjo k. @sjo_k

作品はミニマルなのだが、孕ませている意味は過剰、なのだ、と、思う、多分。その意味がよく掴めない私には、実際のところほぼ無意味なのだが、意味がありますよ、意味に溢れてますよ、という声だけが聞こえてくる。きっとこの作家は、こうやって世界中の人々の頭に引っかかり続けているのだろう。

2011-08-03 20:13:09
sjo k. @sjo_k

東京都写真美術館の「世界報道写真展2011」と「こどもの情景」展へも。世界報道写真展はいつも消化が難しい。混乱の中に絶望があり、秩序の中に希望がある。秩序の中にも絶望があり、混乱の中にも希望がある。もちろん私は希望を欲する。しかし世界には確かに絶望がある。だが世界には希望もある。

2011-08-03 20:58:18
sjo k. @sjo_k

山種美術館の「日本画どうぶつえん」展へ。入ってしばらくは猫!犬!ウサギ!と楽しんでいるように見えた息子だったが、「お茶飲みたい!」→「そりゃ無理だよ」で一気に機嫌が悪化。それからは、機嫌を窺いつつ、会場から出たり入ったり。そんな中、入口近くのトビウオの屏風はかなり喜んで見た。

2011-08-13 20:53:24
sjo k. @sjo_k

山種で観た画のいくつかに、何も描か/塗らない部分=「無」を、「間」にする技術を見る。画面という限定された広がりの中で、「無」が、何かが描か/塗られた部分=「有」や、画面の有限性と、ある特定の関係を結ぶ時、そこに「間」が生まれる。手練れの作家は、この関係の秘密を知っているのだろう。

2011-08-13 21:54:57
sjo k. @sjo_k

練馬区立美術館の「磯江毅=グスタボ・イソエ」展と、渋谷区立松涛美術館の「岡本信治郎展」へ。磯江展が想像をはるかに超える良い展示で、2時間を費やし、また中村橋→神泉の移動に想定以上の時間がかかったため、岡本展は閉館までの35分しか観られなかった。観足りなかったので、もう一度行く。

2011-08-16 22:07:22
sjo k. @sjo_k

先に「岡本信治郎展」。戦争という「わかりやすい」テーマを、「わかりやすい」モチーフ、「わかりやすい」イメージで描いている(しかも多くの絵には、ご丁寧にも、「わかりやすい」文字・言葉や、「わかりやすい」用語解説まで書き込まれている)のに、全く陳腐にならない。その非凡な表現に唸る。

2011-08-16 22:07:41
sjo k. @sjo_k

画材(支持体や絵具)の持つ物質性を表現の要素とすることは、それこそゴッホから、たとえば白髪一雄まで、さして珍しいことではなかろう。しかし磯江は、写実という立場から、画材の物質性を、描かれた対象の持つ物質性にダイレクトに結び付ることで、鮮やかで生々しい表現を得ているように見えた。

2011-08-16 22:07:56
sjo k. @sjo_k

写実を突き詰めると、作家性は消えてしまうのではないか、と思った。だが、すぐ考え直した。仮に全く同じ技術をもつ二人が同じものを同じ条件で描いたら。おそらく違う絵になるだろう。二人が「視る」ものは僅かに、あるいは大きく違うはずだから。客観を窮極まで追求した果てに、主観が立ち現れる。

2011-08-16 22:08:07
sjo k. @sjo_k

2004年頃からの磯江の絵に、明らかな技術的飛躍がある、という気がした。(誤解を招く表現かもしれないが、)圧倒的な「写真性」を獲得した絵が現れるのだ。そして私は、「絵なのに」写真性があるそれらの絵に、心をぞーっと動かされた。この感情が何に由来するのか、今はまだうまく説明できない。

2011-08-16 22:08:24
sjo k. @sjo_k

磯江が80年代に描いた(自身の?)子供の泣き顔の絵に引き付けられた。私がこの絵に惹かれたのは、おそらく、自分に子供ができ、その泣き喚く声や、肌の感触、体温などを知り、それを絵に重ねられたからであろう。一方私は、磯江の裸体女性の絵にはあまり惹かれなかった。ということは……アッー!

2011-08-16 22:08:37
sjo k. @sjo_k

5月に「日曜美術館」で見た野田弘志、同じく5月に石川県立美術館で見た木下晋、そして今日の磯江毅。今、写実絵画をまとめて見ておくと、それなりに思考が拡がる気がするので、ホキ美術館http://t.co/tHiqY3nに行きたいのだが、いかんせん私の住む所からは相当遠く、要気合。

2011-08-16 23:48:35
sjo k. @sjo_k

ブリヂストン美術館の「青木繁」展へ。残念ながら、退屈。自信作が低評価を受けてクソッ!となった後も、病を得た後も、相変わらず同じような絵を描いている。作家は夭折したのだが、仮に長く生きても、自分の「巧さ」に甘んじて、同じような絵を描き続けたんじゃないか、という印象を受けてしまった。

2011-09-02 21:31:44
sjo k. @sjo_k

岡本太郎美術館の「人間・岡本太郎」展(後期)へ。前期とあまり内容は変わっていなかった。新しい展示の中では、万博開催中に太陽の塔の頂上の目を「占拠」した佐藤英夫にインタビューし、その映像と重ねながら、自分が登っていく様を記録したヤノベケンジ「太陽の塔、乗っ取り計画」が愉快だった。

2011-09-04 19:39:24
sjo k. @sjo_k

岡本美術館、常設展に「明日の神話」(の下絵)が。渋谷の現物とはスケール感がまるで違うのだが、こちらにはこちらの良さがある。渋谷のは、大きすぎるし、人が大勢通りすがるので、「観る」という構えにはとてもなれないのだが、こちらのは適度な大きさだし、観る側は集中して、緊密な関係を結べる。

2011-09-04 19:48:20
sjo k. @sjo_k

渋谷区立松濤美術館の「岡本信治郎展」へ(2回目)。展示作品中、「ころがるさくら・東京大空襲」が放つ情念の密度が圧倒的に濃く、明らかになまなましい。買った図録を見たら、やはり作家は被災しており、体験を形にしなければ、と思いながら、これを描くまでに60年かかった、と。濃くて当然だ。

2011-09-09 22:17:46
sjo k. @sjo_k

東京国立近代美術館の「イケムラレイコ」展へ。とにかく印象的な赤/朱を使う人だな、と感じた。それから、(特に前半の)展示空間の作り方が秀逸で、ぐいぐい引き込まれた。引き込まれていたら、見張りに、壁に寄り掛かるな、と言われ、それで一気に集中が切れた。腹立たしい思いで退室。

2011-09-09 22:24:33
sjo k. @sjo_k

寄りかかったのは、作品にはどう考えても影響のない、構造的にはむしろ「柱」と呼ぶに近い壁である(いくら「集中」していても、作品近くの壁や、薄い仕切りのような壁にドサッと寄りかかったりはしない)。あれに寄りかかるなという合理的な理由が、私には考えられない。一応、スタッフには抗議した。

2011-09-09 22:30:23
sjo k. @sjo_k

国立近代の所蔵作品展は相変わらずのボリューム。3階奥の、岡本太郎/白髪一雄/吉原治郎が並ぶ一角が圧倒的。白髪と吉原の絵は定位置で、すっかり見慣れており(今年だけで5回見ている)、それにこれまた見慣れた岡本の絵が加わっただけなのだが、3枚が並ぶことで、干渉し合い、増幅される力。

2011-09-09 22:38:09
sjo k. @sjo_k

写真や絵画は、必然的に、点的な時間において面的な空間を固定化する。さらに、そこに人物が在れば、その人物の当人性も固定される。イケムラの作品に見られる「ブレ」の表現は、その必然を突き崩し、線的時間・三次元的空間・匿名的≒普遍的人格を画面に描き出す試みである、ように、私には思えた。

2011-09-09 22:56:07
sjo k. @sjo_k

いや、イケムラの意図がどうであったかは、さして問題でない。絵画や写真における「ブレ」という表現が持ちうる(可能性的)意味に思い至れたということこそが重要なのだ。…とか言ってるけど、自分が撮る写真は、息子や妻の当人性と、いつどこに出かけたのかを点的・面的に記録することが大事(笑

2011-09-09 23:08:22
sjo k. @sjo_k

原美術館の「アート・スコープ2009-2011」展へ。小泉明郎の二つの映像作品「若き侍の肖像」「ビジョンの崩壊」に強く引き込まれ、考えさせられた。今もまだ整理ができず、うまく言葉にできない。映像作品にこんなにはまったのは、去年の六本木クロッシング展の八幡亜樹「ミチコ教会」以来。

2011-09-15 21:04:39
sjo k. @sjo_k

ちなみに作家は、同じ大学の2つ上(99年卒業)。学科が違うのでたぶん接点はなかったろうが、なにぶん学生の少ない小規模大学なので、こうやって思いがけない形で卒業生に出会うと、「愛校心」など持ち合わせない私でも、さすがに、おおっ!となる。それが、自分にはまる作品を作る人なら尚更。

2011-09-15 21:12:50
sjo k. @sjo_k

出撃前夜、父母に別れの挨拶をする特攻隊の若者。を演じる役者を、作家が「侍の魂」が足りない!絞り出せ!もっと!と追い込む。徐々に迫真性を増し、「真」をも追い越していく彼の演技。これらを記録した「若き侍の肖像」。<お国の為に死ぬ>という意識の昂りなど、こうしてごく人工的に作れるのだ。

2011-09-15 21:45:51
sjo k. @sjo_k

特攻で散った男性とその妻の出撃前の夕食の会話を、複数の視点から撮影し、表裏になった2枚のスクリーンで重ねて映写する「ビジョンの崩壊」。こちらは未消化のまま。特に、視覚障害者を役者に使って(、食卓上の食器の配置をずらし、食事や酌の動作が崩れる様子を描写して)いる意図が汲めない。

2011-09-15 22:03:09