アートシーン(2011年下半期)

2011年7月からの、展覧会その他美術に関するツイストを集約。
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sjo k. @sjo_k

息子と二人で、ついに岡本太郎記念館へ。ここは岡本の住居兼アトリエだったので、「おうち」感が高い(入館時には靴を脱ぐ)。その雰囲気を正しく感じ取ったか、息子は、リビングだったであろうアトリエ前の展示室で、いきなり正座。そして、並べられた岡本の作品をわーわー言いながら楽しんだ。

2011-07-03 14:53:54
sjo k. @sjo_k

その後、庭に出た息子は、嬉々として「梵鐘・歓喜」を叩きまくる。せっかくなので、おなじみのマクセルエピタキシャルビデオカセットのCMのように、叩いた後に目を剥け!(あわよくば「芸術は、爆発だ!」と言え!)と教えたのだが、教え方が下手だったのか、ただガンガン叩いているだけだった。

2011-07-03 14:58:39
sjo k. @sjo_k

「明日の神話」に「いたずら」した人たちの言。「福島原発のような事故が起きないよう、警鐘のためにやった」http://t.co/zFKDNl9。本当にこの程度の考えでやったのなら、底が浅い、としか言いようがない。あの絵や行為が、原発事故の抑止につながる道を、私は全く思い描けない。

2011-07-04 21:41:44
sjo k. @sjo_k

昨日のツイストの補足。原発の事故を起こさないようにする方法は、もっとも大まかに分ければ以下の二つになる。1)事故が起こらないような万全の体制の下で、原発を動かすこと。2)そもそも原発を動かさないこと。1とあの絵/行為は、少なくとも私には、どう考えても結びつくとは思えない。

2011-07-05 10:21:56
sjo k. @sjo_k

結びつく可能性があるとしたら2で、あの絵/行為を通して、原発は危険、だから動かしてはならない、という人々の意識を喚起する。それが世論の大勢となり、原発が止まる、という筋道だ。だが、あの絵/行為が、原発推進/容認派や無関心層を反/脱原発派に転換させるようなインパクトを持っていたか。

2011-07-05 10:22:12
sjo k. @sjo_k

まず私個人は、あの絵や行為を見て、原発の危険性を(再)認識などしなかった。あの、デフォルメされた絵を既存の絵に加えるという行為よりも、実際にボロボロになった福島第一の建屋や、そこで作業している人たちの写真の方が、(当然といえば当然だが)よほど原発の危険性を伝えてくれる。

2011-07-05 10:23:22
sjo k. @sjo_k

私がツイスターで目にした限り、あの絵/行為に喝采を送っていた人のTLは、たいてい反/脱原発のツイストやRTで埋まっていた。どうも私には、あれは反/脱原発の意見を持つ人を喜ばせはしても、推/容原発の意見を反転させたり、無関心な人に反/脱原発の意見を喚起させたとは思えないのである。

2011-07-05 10:26:41
sjo k. @sjo_k

@MuyuaEop 発想は面白かった、「洒落ですよ」と言えばよかった、という点、まったく同感です(ただ、これくらいの表現だったからこそ、反/脱原発派を「喜ばせる」だけにとどまってしまったのでしょうが)。それから、「壁画の全面上書きできる力」必要という点、なるほど、と思いました。

2011-07-05 10:53:06
sjo k. @sjo_k

@MuyuaEop 仮にこの人たちが、あの壁画の前に、(あの壁画を毀損せず、あるいは毀損して、)今回の福島第一の事故を主題にして書いた、あの壁画と同じサイズの絵を立てていたら。私の反応は確かに、もっと違ったものになったように思えます。

2011-07-05 10:57:11
sjo k. @sjo_k

ブリヂストン美術館の「アンフォルメルとは何か」展へ。楽しんだが、時間をかけたのは、コレクション展のルノワールとピカソ。足を組んで椅子に座る少女/女性を描いた2枚の絵。前者は溶け込んでいくような輪郭で少女の柔らかさを生み、後者は太く流れる輪郭で女性のしなやかさを生む。興味深い対照。

2011-07-07 22:56:52
sjo k. @sjo_k

ルノワールをあんなに真剣に見たのは初めて。これまで余計なフィルタをかけて見ていたのかもしれないな、と自省しもするが、やはりそれ以上に、自分に子供ができて、子供一般をおおむね「かわいい」と感じられるようになったことで、あの絵を受け入れる構えができていたのではないか、と思う。

2011-07-07 23:21:06
sjo k. @sjo_k

森美術館の「フレンチ・ウィンドウ」展へ。残念ながら、強い印象を受けた作品は無く、むしろ、同時開催の若手奨励企画の田口行弘の映像作品に唸らされた。しかし、結局今日の一番は、52階の展望室から見た東京の夜景。ひたすら美しく、しかも思索をひどく喚起させられる、途方もない「作品」だった。

2011-07-14 21:43:10
sjo k. @sjo_k

そう、あの夜景は、大部分がヒトの作為の大集積によって生み出されているという意味において、まごうことなき「作品」なのだ。それも、誰も思うままにコントロールできず、絶えず変化し、同じ状態は二度と再現しない、極めてチャンス・オペレーティヴな作品なのだ。そこに尽きない魅力がある。

2011-07-14 22:00:08
sjo k. @sjo_k

家族でワタリウム美術館の「驚くべき学びの世界」展へ。がっかり。「アートの創造的経験によって子どもの可能性を最大限に引き出」す教育の実践を紹介する展覧会で、手に取って体験できるコーナーが一つだけ、子供は必ず抱えるか手をつなげ、騒いだらつまみ出す(場合がある)など、ナンセンスの極み。

2011-07-16 16:34:19
sjo k. @sjo_k

子供にそういう制限をかけるなら、ウェブサイトにそう記しておくべきではないのか。入場券を買った途端に「小さなお子さまをお連れのお客様へ」という紙を渡され、そこに「本展覧会は子供向けではない。体験スペースはない」的なことが書いてある。正直その時点で入るのをやめようかと思った。

2011-07-16 16:41:09
sjo k. @sjo_k

府中市美術館の「ぱれたんと遊ぼう」展へ。去年の夏休み企画よりも展示作品が少なく、体験コーナーが多かった。ので、鑑賞という面では食い足りなかったが、息子にとってはこちらの方が良かったのかもしれぬ。とか言いながら、体験コーナーで、久しぶりの水彩絵の具で塗り絵をして楽しんだのは父。

2011-07-18 13:55:37
sjo k. @sjo_k

国立近代美術館の「パウル・クレー」展へ。クレーという作家(の作品)は、研究/探究/解明の対象とするのはさぞ楽しいんだろうなあ、と思わせる展示だった。つまり、美術作品としては、はっきり言ってつまらなくて、惹きつけられる、どころか、足を止めさせられるような作品も、ほとんどなかった。

2011-07-22 21:28:42
sjo k. @sjo_k

クレーがあまり大きな絵を描かない人だった、ということは知っていたが、本当に大きな絵は(中規模のものさえほとんど)なかった。してみれば私は、小さい絵に強く心を動かされたことはあまりない。たぶん私にとって、「スケール」は極めて重要な要素なのだ。絵は、大きいだけで、ある種の力を持つ。

2011-07-22 21:43:43
sjo k. @sjo_k

そんなわけで、企画展よりも、分厚い常設展を楽しんだ。カンディンスキー「全体」の持つ、汲めども尽きぬイメージ。何度見ても圧倒される白髪一雄の混沌たるエネルギー。吉原治郎の生々しく巨大な円。桂離宮/都市河川から見上げた街の姿を見事なフレーミングセンスで捉えた石元泰博/畠山直哉の写真。

2011-07-22 21:59:18
sjo k. @sjo_k

続いて東郷青児美術館の「GLOBAL NEW ART」展へ。リキテンスタイン、ウォーホル、へリング、奈良、草間、村上といった「有名どころ」から若手作家まで、モダンアートの(わりと穏健で「心地よい」)エッジに触れられる、「楽しい」企画。ただ、沈思黙考させられるような作品はなかった。

2011-07-22 22:17:06
sjo k. @sjo_k

鎌倉文学館の「かこさとしの世界」展へ。絵本の原画の展示だけじゃなくて、遊びの研究家でもあったご本人監修の紙おもちゃを作ったり、代表作『からすのパンやさん』に登場するカラスのコスプレをしてパン屋ごっこができたりする「体験コーナー」も。息子はとにかく大喜びで、軽く1時間半は遊んだ。

2011-07-30 21:40:39
sjo k. @sjo_k

世界には二種類の絵がある。実物を見る必要のある絵と、見る必要のない絵だ。「日曜美術館」を観て、フェルメールの絵は完全に後者だ、と思った。混んだ美術館で小さな実物を眺めるより、解説や「見どころ」を、カメラで細部まで寄った映像で紹介してもらいながら、「へぇー」とか言って見る方がよい。

2011-07-31 21:21:53
sjo k. @sjo_k

写真は、光を捉えなければならない。しかし絵画は、光を創り出すことができる。フェルメールの絵を見ると、そう思う。たぶんこれは、前に言った「描写対象が必ず実在していなければならない写真と、その必要のない絵画」の違いhttp://t.co/NX1aF2V、という話とつながっている。

2011-07-31 21:34:53
sjo k. @sjo_k

敷衍すると、「実物を見る必要のない絵」とは、「実物を見ることでしか得られないメリットが、美術館の勿体ぶった空間で人混みにまかれてせせこましく「見物」させられるというデメリットや、実物を見ること以外の手段で見ることによって享受できるメリットによって打ち消される絵」だとも言える。

2011-07-31 22:54:36
sjo k. @sjo_k

ちなみに、最近見たもので「実物を見る必要はない」と思ったのは、(絵ではないが)「フレンチ・ウィンドウ」展で見たデュシャンの「泉」なのだが、これは、前述の「打ち消し」のメカニズムが作動したのではなく、「実物を見ることでしか得られないメリット」がそもそもない、と感じたことによる。

2011-07-31 23:12:22
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