-
a_nightbreed
- 6350
- 0
- 3
- 2
![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
独裁者の教養の見本ができただと! このドキドキ感、高2のときに広末涼子のライブ(名古屋)行って以来だわー
2011-10-20 16:33:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
『独裁者の教養』の見本キター http://t.co/8Nl3MSZs http://t.co/7N7q7K38
2011-10-20 23:04:26![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
奥様お聞きになりました? 現時点でカダフィの半生をまとめた最新の書籍って、『独裁者の教養』っていうらしいですわよ http://t.co/8Nl3MSZs http://t.co/Tg6lMUxx
2011-10-20 23:14:08![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
奥様お聞きになりました? カダフィが死んだ原因は何かとかそもそもリビアでなぜ騒乱が起きたのかがわからなくてお困りの方は、『独裁者の教養』(http://t.co/8Nl3MSZs )を読むとすっきりわかって家事がはかどるそうですわよ? http://t.co/Tg6lMUxx
2011-10-21 12:04:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「歴史上の英雄とは、もろもろの大義のために犠牲を払う人びとをさすのであって、それ以外ではありえない。大義とは他の人びとのために犠牲を払うことである」 ―著書のなかで英雄を論じて。 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:07:45![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「リビア人たちはみんな『事態がここまできたからには』と、カダフィとの戦いに腹をくくっている。日本のテレビも、アルジャジーラやBBCみたいに、せめて後追い報道くらいはちゃんとやってほしいんですけどねえ……」 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:08:40![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
(過去のカダフィは)演説でいいことを言う時もあったし、過去の社会主義時代のリビアは福祉が充実していてそれなりに快適だった。庶民が幸せに暮らせるならオーケーだと思うんです ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:11:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だからこそ、カダフィが庶民に銃を向けたのはアウトなんです。事態がここまで悪化すると、リビア人はもう彼を支持できない。彼を倒さないまま事態を収束させれば、その後は最悪の恐怖政治だ。人々はもう幸せに暮らせない― ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:12:05![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
カダフィは、民衆に対して「天安門事件のように」対処したことで人心を失ったのだ。 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:12:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
カダフィの祖父のアブー・ムニールもイタリアと戦った反乱者の一人で、敵軍を散々苦しめた末に戦死している。若き日のカダフィは、そんな祖父を誇りに思う一方で、「祖父の仇」である西欧への反感を募らせた。 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:14:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
(小学生時代のカダフィの)成績は優秀で特に作文が得意だった。当時のシルト地方の就学率はわずか一割に過ぎず、カダフィは十代の時点から「エリート」であった。 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:15:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
カダフィは、ナセルが最も輝いていた時代に青年時代を送っている。若き日の彼が熱中したエジプトのラジオ放送や古新聞は、どれもナセルの「革命」を賛美する内容で満ち溢れていた。 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:16:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
親欧米的な王室が存在し、国内に英米軍が基地を展開していた当時のリビア王国の状況はナセルが革命を起こす以前のエジプトに酷似していた。ナセルに憧れるカダフィは、自分自身もその革命の担い手になろうと考えた。◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:17:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
カダフィは、ナセルやフセインなど他のアラブの独裁者とは違い、短期間ながら西欧で生活した経験も持っている。一九六六年、わずか四カ月とはいえリビア王国軍の研修生としてイギリスに留学しているのだ。◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:19:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
革命に成功した当時、カダフィはわずか二七歳である。少年時代の夢を十五年ほどで実現した彼は、やはり余人に抜きんでた人物だった。◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:20:40![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
カダフィのジャマーヒリーヤ(直接民主主義)体制の下では、、政治に党利党略や政治家の個人的欲望が介在せず、民意をダイレクトに反映した国家ができあがる―。話だけを聞くならば、なかなか悪くなさそうにも思える体制だ。◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:22:58![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だが、理想と現実は異なった。皮肉なことに、全ての人民が決定権を持つ「直接民主主義」の実態は、重要な政治問題に誰も決定権を持てない社会だった。 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:24:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
リビアのジャマーヒリーヤ体制の下で物事を決められるのは、全員が「平等」なリビア人民よりも「上」の立場に君臨するカダフィただ一人だったのである。◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:25:05![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
アラブ民族主義の夢破れたカダフィは、アフリカの盟主を目指すロビー運動のために、石油の富を近隣諸国に大量にバラ撒いた。これは二〇一一年のリビア騒乱の際に、大量の外国人傭兵がカダフィ側について戦う遠因となった。 ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:27:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
往年のカダフィはP L OやIRA、日本赤軍、反アパルトヘイト活動をおこなう南アフリカのマンデラなど、とにかく西側諸国の社会にケンカを売るような人たちであれば誰でも支援した ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:28:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だが、国際社会の冷ややかな目にもかかわらず、以前のリビア国民はカダフィに対して大きな不満を抱かなかった。◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:29:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
二一世紀初めに経済の開放政策が採られるまで、医療や教育もすべて無料だった。中国とは違い、資源の富によって国民に最低限の生活を保障する「社会主義」が実現できる国だったのだ ◆『独裁者の教養』「カダフィ」 http://t.co/8Nl3MSZs
2011-10-21 12:30:53