子安宣邦先生( @Nobukuni_Koyasu )による永井隆に関するツイートまとめ

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子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

早稲田の研究会の後で参会された伊藤修一さんから戦時の日本カトリック教会をめぐる貴重なお話をうかがった。さらにお送り頂いた「日本カトリック正義と平和」協議会の全国会議(91年11月)の資料などを見て、深く考えさせられた。

2011-09-15 11:53:06
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

教会内部の信仰者の立場からなされた「教会の戦争責任」をめぐる真摯な究明に私は感銘した。ただ教会外部の私が、その究明を共にする立場にはない。だが私はあらためて昭和の国体論的な、国家神道的な国家の〈体制的〉暴力の恐るべき力を思わざるをえなかった。

2011-09-15 11:59:30
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

伊藤さんからこの資料とは別に、カトリック信者でもあった三木露風と永井隆の戦時協力をめぐるご報告をも送って頂いた。「赤とんぼ」の三木露風が、戦時の少年であったわれわれの玉砕をうながすような詩を作っていることに驚いた。しかしそれ以上に驚き、考えさせられたのは永井隆についてである。

2011-09-15 12:05:54
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

長崎医大講師であった永井隆は召集され、日中戦争に軍医として従軍した。その時期の怖ろしい戦犯的な永井の文章が紹介されている。だが私が考えさせられたのは、戦後の『長崎の鐘』の永井についてである。彼は自身を長崎の原爆の殉難者にしていっただけではなく、長崎をも殉難者にしていった。

2011-09-15 12:14:01
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

殉難者、あるいはむしろ宗教的な〈犠牲〉者である。「世界戦争という人類の罪の償いとして浦上教会が犠牲の祭壇に供えられたのである。」これは1945年11月の「原爆死者合同慰霊祭」での信者代表永井隆の弔辞の一節である。これは長崎の信者だけではない、長崎そのものを呪縛した言葉である。

2011-09-15 12:21:38
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

永井の言葉は、長崎の被災者を戦争と原爆という悪の告発者ではなく、神への〈犠牲〉者にしていった。長崎を〈祈る長崎〉にしていった。長崎がこの呪縛から解けるのは、ヨハネ・パウロ2世の訪日と「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です」という「平和アピール」によってである。

2011-09-15 12:29:50
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

長崎の永井隆の例は重大なことを教えている。永井の文章と文学とが、原爆ナガサキを〈祈る長崎〉にしていく力をもったということである。〈祈る長崎〉によって消され、抑圧されたものが何かを考えねばならない。もちろん私は原爆ナガサキに重ねて原発フクシマを考えている。

2011-09-15 12:37:03
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

永井は己れの贖罪の言葉をもって長崎をも語ってしまったのだ。長崎を贖罪の色で塗り込めてしまったのだ。文学的言語の恐るべき越権。原爆・原発問題に文学者が関与するとは何か、それが問われているのだ。常に名を連ねる良心面の文学者どもによって、文学的に塗り込められて来た戦後の運動を見よ。

2011-09-15 20:46:11