オーストリア=ハンガリー二重帝国→ポーランド→ウクライナ統治下のリビウ近郊住民のエピソード
今のウクライナの話でも無いんだが、私の父方の祖母が産まれたのは現在のリビウ近郊の村だった。たしか1922年のことだったか。当時リビウはポーランド第二共和国領に属した。
2022-07-17 18:07:33いわゆるドイツ語でガリツィェンと呼ばれる地域のことである。第二共和国独立国前はオーストリア=ハンガリー帝国に属した地域だ。興味があればヨーゼフ・ロートの『ラデツキー行進曲』を読んで頂ければ。
2022-07-17 18:09:02ともかく、この地域は19世紀においては典型的なオーストリアのスラブ語圏だった。ユダヤ系、ポーランド系、ウクライナ系住民がごっちゃになって、はっきりいって互いを嫌いながらなんやかんやで暮らしていた。
2022-07-17 18:10:23こんな地域をまとめて統治するのは至難の技であるが、ハプスブルク家は「帝国」のもつ魔術をもってその統治を19世紀の間やってのけた
2022-07-17 18:11:40父方の祖母は無論帝国時代を知らず「民族自決」精神を叩き込まれたが、祖母の母、曾祖母はそうでもなかったらしい。第二共和国の独立を喜ぶことはあれど、生涯忘れられない印象を残したものとして、帝国皇后陛下の御行の目撃を挙げていた、と聞く。「帝国」の魔力たるや、錚々たるものであったろう。
2022-07-17 18:14:38第二共和国成立後、ガリツィェンは次なる政治的混乱に巻き込まれることは既定路線だった。新たに生まれるウクライナナショナリズムとポーランド系住人の対立、ユダヤ系マイノリティとのいざこざ…共和国西部でドイツ系住民との間に起きていた混乱が同じように生じた
2022-07-17 18:17:34「多文化統治」は「帝国」には可能であるが、近代ナショナリズムを前提とした「共和国」においてはほぼ不可能に近い。間大戦期とは、この不可能性ゆえに生ずる混乱が、特に中東欧において絶えず燻り続けた時代だった。そしてこれらの混乱をナチスとヒトラーは徹底的に利用することとなる
2022-07-17 18:20:28戦後、オーデル=ナイセ線の制定によりガリツィェンはウクライナに帰属し、祖母は故郷を失い、今のシュレージェンへの移住を余儀なくされた。そしてそれも、戦後追放されたかつてドイツ系住民がマジョリティを占めた地域への移住であった。
2022-07-17 18:24:44皮肉なことに、戦後のオーデル=ナイセ線の制定とそれに伴う種々の「強制移住」によって、間大戦期に中東欧に存在していたさまざまな民族問題は「解決」されることになった。各国家の政治的安定性は戦後、間大戦期とは比べ物にならないものになった。しかしそれは多大な人々の痛みの上に成立したのだ。
2022-07-17 18:28:1320世紀前半とは、「統治」のあり方そのものの、巨大なパラダイムシフトが起こった時代だった。古代以来存在した帝国統治は大きく傾き、必然的にナショナリズムを前提とした共和主義的統治が台頭することになった。そしてこの転換は、多大な犠牲の上に成り立ったものだった。
2022-07-17 18:32:0220世紀、特にその前半ほど「普通の人々」が苦痛を味わった時代はそうそうないと思う。全てが政治に回収され、政治の外で生きることができた人々はほとんどいなかった。誰もが政治について意識しなければ、生き延びることはできない時代だったろうと思う
2022-07-17 18:34:55だからこそ、政治について私自身は次のように思う。政治に関心を持つ層は常に存在するし、存在せねばならないだろう。しかし、「統治」に携わらなくてもいい「普通の人々」が政治の外部に生活を求めることができない時代や地域ほど、ろくでともないものはない、と。例え歴史の力で避けられなくとも。
2022-07-17 18:37:25