フクシマ以降、ゴジラをどう考えるか? 対談:加藤典洋×クリストフ・フィアット

フクシマ以降、ゴジラをどう考えるか? 対談:  加藤典洋×クリストフ・フィアット 2011年09月22日 (木) 19時-21時 日仏学院 文責は私にあります、聞き書きで書いており、必ずしも以下のTwが発言者の真意ではない場合もあるかと思います。その点ご容赦ください。
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ala @w_ala

加藤典洋「訪米後の帰国会見で、タイムズの日本人記者が、天皇に戦争責任について問うと、天皇は“そういう言葉の綾については、文学的なことは私は得意ではない”と答えたという。私はその記者のその後が気になって、ネットで探したりしているのだが分からないでいる」

2011-09-23 07:02:48
ala @w_ala

加藤典洋「そうした解決されない問題というのが“真空”をつくりだし、そこに吸い寄せられるのだと思う。ゴジラは戦前にはいない。戦後、ロボットが現れアトムが現れ、ウルトラマン、そしてエヴァンゲリオンまでいく、キティがいてポケモンがいる。それらは人間だけど人間でない、人間の形をしたもの」

2011-09-23 07:05:39
ala @w_ala

加藤典洋「映画は、素晴らしい発明。空白をつくっている。世界を切り抜いて映し出す、何かを映したくなる。ゴジラは、映画、スクリーンがでてこないと登場しなかったろう」

2011-09-23 07:09:11
ala @w_ala

加藤典洋「ゴジラが原爆の体現であるということ、広島の原爆慰霊碑の“過ちは繰返しませぬから”、その凡庸さ故に嫌っていたが、3.11以後、それだけではないのだと思い始めた」

2011-09-23 07:09:56
ala @w_ala

フィアット「フランスには、アメリカにバットマン、日本にゴジラやアトム、といったポップアイコンが存在しません。鍵かっこつきでありますが、あえて言うなら、マスメディアでなくブルジョア方面、文学にしか見当たらず、それは“アルチュール・ランボーの神話”が、ポップアイコンの変わりだと思う」

2011-09-23 07:12:23
ala @w_ala

フィアット「アルチュール・ランボーは、作家であり詩人、演出家。映画はまだ萌芽期でなかった。フランスではポップカルチャーに興味をもつことよくないとされる、商業的アイコンへの興味はよくないと。いま文学などの場で語られるようになって尚、そういう考えが一般的だ」

2011-09-23 07:15:42
ala @w_ala

フィアット「しかし本当の意味でどれほどゴジラが捉え難いかがわかる。“怪物”である前は、ウドー、伝説の一部だった、海で異常なことがおこるのはゴジラのせい、生贄を捧げれば…というような。それが水爆が、ゴジラのルーツになり“怪物”に」

2011-09-23 07:23:48
ala @w_ala

フィアット「ゴジラはそれほど恐ろしいものではない。なぜなら空想の一部でとっぴではなく、調和的な存在だから。その一方で途方もない・おかしな面もある、作品によっては、ゴジラとの別れを悲しむ部分がある。ゴジラは恐怖と共に自然の一部、恐怖を与えるが動揺を与えない」

2011-09-23 07:28:16
ala @w_ala

フィアット「映画は、今日では陳腐なものとして批判的姿勢を持つこともできるが、20世紀の想像の世界を変えた、見えないものを見ることができるようになり、自分たちが想像していないものに共感を持つように。映画は浸入してくる、侵略的なもの。だから文学以上にホラーにむいている」

2011-09-23 07:30:46
ala @w_ala

フィアット「そうした映画の力を乗り越える必要があった、小説家として。そこで“DAIKAIJU EIGA” ゴジラとして、それらを凌駕していく可能性を探った。まず二ヶ国語による作品である必要性…」

2011-09-23 07:35:54
ala @w_ala

フィアット「そして女優との作品づくりが必要だと思った、女性である方が我々は感受性を開かれるのではないかと思った、それはホラーの問題とつながる。ポジティブな意味での女性へのイメージ、これは恐らく子どもという“今よりよい世界”を標榜する存在を産むことのできる存在ということと関連する」

2011-09-23 07:37:49
ala @w_ala

フィアット「わたしは、慎重に言葉を選んでいます。こういうことを言うと、フェミニズムに反するとか、子どもは女性を抑圧し行動を制限するものだとかという観念もあるから。作品の中で、女性である、ということで迂回路をとることができた」

2011-09-23 07:39:46
ala @w_ala

フィアット「作品の一部を、ご紹介すると、ゴジラはマリオネットです。その中に俳優が入って演じる。通常その中に女性が入ることはない、けれど、女優である工藤倫子さんが映画でのゴジラ役をしたいという、そうした筋書き、展開があります」

2011-09-23 07:42:04
ala @w_ala

加藤典洋「こうして話しているが、何も作品について知らないまま、話す内容についても予め決めることなく、3.11以後のゴジラについて考える、ということだけが決まっていた。でも話って、そういうものだと思う」

2011-09-23 07:44:08
ala @w_ala

加藤典洋「で、この場に上がる前に、どういうスペクタルで話すかということだけ、30分くらい直前に話した。フィアットさんは、作品の話はしたくないとはっきりと言った。しかし、いま作品の内容を一つ曝露してくれた。これはおもしろい話、そんな大事なことを言ってしまっていいのかと」

2011-09-23 07:46:26
ala @w_ala

加藤典洋「映画についての話で言うと、カフカとの話を書いたグスタフ・ヤノフによれば、カフカは映画が登場し映画を観に行って、“怖ろしいものだ”と、それきり映画館に行こうとしなかったという。安心して身をおけなかったと」

2011-09-23 07:57:41
ala @w_ala

加藤典洋「映画ができている今となっては、それが何か、どんなものか、僕らはもう意識できないが、そうした感覚を知ろうとするのは大事。映画がホラーに向いているという話、とても面白く聞いた」

2011-09-23 07:58:53
ala @w_ala

加藤典洋「それからゴジラ。ゴジラは着ぐるみ、着ぐるみであると知っていて着ぐるみでないかのようにゴジラとしてみる。ゴジラのアクターは高橋さんだったか、ゴジラって人であり、“男”。そこを女性としたという話に、虚をつかれたと同時に、それで一つ思いだしたのがアトム」

2011-09-23 08:01:16
ala @w_ala

加藤典洋「アトムはもともと女の子だった。アトムは髪の形が突き出ていたりするが、女の子として手塚治虫は考えた。男として受け取られたので、“男の子”となった」

2011-09-23 08:05:52
ala @w_ala

フィアット「ゴジラと3.11、そこにある“女性性”というのが、なぜか自分に働きかけた」

2011-09-25 04:46:39
ala @w_ala

加藤典洋「僕にも似たような思いがあるのは、被爆者、被爆、白黒はっきりしすぎ耐えられない。そうでないひねった、戦争の体現者、死者を思うようになってゴジラに興味を持った」

2011-09-23 08:08:39
ala @w_ala

加藤典洋「先日長野にいたとき、信濃毎日新聞に、こんな記事(投書?)が載っていた、“二度も原爆を落とされたのに、なぜ原発に手を染めたのか”、村上春樹のカタルーニャ国際賞のスピーチを持ち出すまでもなく、その問いは“定型”だ」

2011-09-23 08:15:01
ala @w_ala

加藤典洋「その問いを見たときに私が思い浮かべたのは、“二度も原爆を落とされたから、なぜ原発に手を染めた”、原子力の平和利用に夢を託さざるを得なかった、という答えだった」

2011-09-23 08:16:42
ala @w_ala

加藤典洋「1953年アイゼンハワーが"Atoms for Peace" "Atoms for the People"と宣伝工作を行う、ターゲットは広島、“広島に最初の原発をプレゼントしよう、それがキリスト教的人道主義”だと議員がスピーチ、工作に広島市長・被爆者は加担させられた」

2011-09-23 08:22:54
ala @w_ala

加藤典洋「日本人が、いかに騙されたかという論文が世界にはあり、それらは説得力があるが、僕はそれは違うと、1953年のアイゼンハワーを待つまでもなく、原爆を落とされた直後に、これをせめて平和のためにという夢が始まったと。それは、原爆の子の長田新、長崎の鐘の永井隆にしてもそうだ」

2011-09-25 04:51:39