日本のサザエは新種であることを発見した経緯(後編) 軟体動物多様性学会【公式】さんから

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軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

会の広報に加え、軟体動物学の普及啓発を目的として貝類の様々な話題を中の人(福田 宏)が縦横無尽に呟きます。分類学上の情報などは特記しない限り全て中の人の見解です。英文誌Molluscan Research(MR;オーストラレイシア軟体動物学会と共同で)、和文誌Molluscan Diversity(MD)を刊行中。

marine1.bio.sci.toho-u.ac.jp/md/index.html

軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

サザエ後篇。さて、せっかく原記載まで見たので、この機会に私はサザエの分類の歴史を回顧してみようと思い立ちました。画像は私の論文が公刊された時点(2017年5月)までの、サザエとその姉妹種ナンカイサザエの分類上の扱いです。リュウテン科リュウテン属サザエ亜属に.. doi.org/10.1080/132358… pic.twitter.com/XcyR7IgZps

2021-09-10 18:02:50
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属す現生種は、この2種だけが知られています。両種とも棘の有無に種内変異がありますが、棘のある個体同士で比較すると区別は容易です。日本と韓国のサザエは、棘が長くて間隔が広く、肩には1列のみ現れるのに対し、中国のナンカイサザエは棘がごく短くて間隔が狭く、肩には複数列が生じます。…

2021-09-10 18:02:51
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

両種の分布は、サザエは北海道南部〜九州(岩手県を除く)と韓国南部に固有で、ナンカイサザエは中国南部と台湾に限って産出します。その間の南西諸島や、黄海・渤海にはどちらも見られません。両種はDNAの解析の結果、互いに姉妹種(共通祖先から分かれた2種)の関係にあると判明しています。… pic.twitter.com/RMjOPnBe3o

2021-09-10 18:02:53
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ここで、従来サザエの学名とされてきた𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴 Lightfoot, 1786の原記載を詳しく見直します。僅か3行からなる記述の後半だけがそれに相当し、あまりに簡単な説明なので、文章だけではどんな貝だったのかの特定は困難です。唯一の手がかりは文末で引用されている先行文献の図.. pic.twitter.com/lHu6sqnGTr

2021-09-10 18:02:55
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(Davila, 1867: pl. 5, fig. I)で、この図(画像左:原図を左右反転)に対して𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴の名が与えられたことになります。しかし、私はこれを見たとき我が目を疑いました。なぜなら棘は狭くて間隔が狭く、肩に2列描かれており、明らかにサザエではありません。... pic.twitter.com/OKuAcCDrjz

2021-09-10 18:02:56
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しかもその本文には「中国産」と明記されています。驚くべきことに、従来ずっとサザエの学名とされてきた𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴は、実は別種ナンカイサザエを指していたのです。私以前には誰も原記載を再確認した人がいなかったために、この混乱が生じてしまったようです。しかしそれは無理も...

2021-09-10 18:02:57
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ないことで、上記2文献は日本にない稀覯本です。2010年代になってネット上のデジタルアーカイヴが発達し、誰でも簡単に電子ファイルを閲覧できるようになるまでは、内容の確認は極めて困難だったのです。ともかく、従来のサザエの学名は誤りであることが判明しました。ではサザエの適切な学名は..

2021-09-10 18:02:58
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何なのでしょうか? 私は18世紀後半以降の𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴が登場する全文献の見直しを余儀なくされました。しかし、その時代のどの文献を見ても、肩の棘が短くて複数列あり、中国産であると記されています。つまり例外なくナンカイサザエで、サザエは登場しません。初めて西洋の文献に.. pic.twitter.com/KFVAN1HmDF

2021-09-10 18:03:00
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サザエが現れたのはイギリス人Reeveの1848年の図譜(右)であり、その図は紛れもなく我々がよく知るサザエですが、学名は𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴とされており、これこそが最近まで連綿と続いてきた誤同定の源泉でした。ところがこのReeveの本には、更に奇怪な図と記述が掲載されています。… pic.twitter.com/4Djjd0kziy

2021-09-10 18:03:03
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𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴という学名とともに2つの図があり、その一方(左下、fig. 33b)は日本のサザエの無棘型で、シーボルト採集と記されています。ところがもう一つの図(左上、fig. 33)は似ても似つかぬもので、日本のどこを探してもこんな種はいません。つまりReeveは、異なる2種に… pic.twitter.com/UwVyHsY9ON

2021-09-10 18:03:05
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同じ学名を同時に与えてしまったわけです。複数の別種に対する同じ学名、つまりホモニムです。また、同一文献で複数の名が同時に記載された場合どちらが優先されるかは、その後に刊行された文献のうち、最初にどちらかを選んだ著者の決定に基づく、と国際動物命名規約で定められています。それに相当…

2021-09-10 18:03:06
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するのがKiener & Fischer (1873) で、Reeveのfig. 33、つまり日本にいない方だけを𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴と限定しました。もう一方のfig. 33b(日本のサザエ)はナンカイサザエ=𝘛. 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴である、と考えたためです。この時点で𝘛. 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴はサザエにはもはや使用… pic.twitter.com/XvSs8yxzIn

2021-09-10 18:03:08
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できなくなりました。さらにその後、𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴は実はインド洋のモーリシャス周辺の固有種と判明しています。しかしいくら名前が実態にそぐわないとしても変更の理由にはなりません。結局𝘛. 𝘫𝘢𝘱𝘰𝘯𝘪𝘤𝘶𝘴はモーリシャスの種の学名であり、日本のサザエには使えません。… pic.twitter.com/rSBkEwHdvs

2021-09-10 18:03:11
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その後の、近年までに刊行された関係文献を徹底的に調べたところ、サザエまたはナンカイサザエを指す学名は全部で8つ存在し、そのうち2つはサザエを指しているものの、それぞれ異なる理由で有効名とはなり得ません。結局、サザエに対して使用可能な学名は存在しないことが明確化されました。つまり… pic.twitter.com/GFrxZko9Ui

2021-09-10 18:03:14
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サザエは、日本ではあれほど広く知られているにも関わらず未記載種であり、新種として記載命名する必要があると判明しました。そこで私は2017年5月16日付で公表された論文で𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘴𝘢𝘻𝘢𝘦と命名し、これでようやくサザエは有効な学名を獲得したことになりました。私たちが毎週日曜夕方の..

2021-09-10 18:03:15
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アニメでその名を聞いているはずのサザエすら、つい最近までアイデンティティを把握し切れていなかったのです。しかし同様の例は他の分類群でも少なくはありません。誰かの命名や同定が、多数の人を介して伝えられる間に、思い込みや勘違いが混入して伝言ゲーム化することもあります。目の前の生物…

2021-09-10 18:03:15
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

の名前と所属を決定し、他者へ伝えて情報共有することは決して容易でなく、むしろ様々な困難を伴います。サザエを巡る混乱はその好例です。したがって生物に関する我々の知識は今なお甚だしく不完全で、偏見や錯誤も多く混入していることを、多少とも自覚した上で自然界に臨む方がよいだろうと私は..

2021-09-10 18:03:16
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

思います。 最後に。終戦間際の東條英機が天皇の前でサザエの名を口走らなければ、それが映画に描写されることもありませんでした。そして5年前のお盆に、その映画がテレビ放映される直前に帰宅しなければ、多分私は今も視聴の機会がないままだった可能性が大です。その場合、わざわざ…

2021-09-10 18:03:17
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

𝘛𝘶𝘳𝘣𝘰 𝘤𝘰𝘳𝘯𝘶𝘵𝘶𝘴の原記載を見ようなどとは思わなかったに違いありません。相互にまるで無関係で、時代も場所も関与する人物も異なる様々な出来事が、まるで惑星直列並みの奇蹟で連なったことで初めてサザエは学名を獲得しました。しかし考えてみれば、あらゆる新種は、様々な奇蹟の…

2021-09-10 18:03:17
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

連鎖の上にようやく見出され、関わった全ての人それぞれの努力の積み重ねや邂逅によって、初めて記載命名が成就するのかもしれません。 #新種発見のエピソード

2021-09-10 18:03:18
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

いかん、ツイート5個目冒頭の、Davilaの刊行年「1867」は正しくは1767です。100年も間違ってどうすんだ、ひどい。ずさんで申し訳ありません。

2021-09-10 19:32:42
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv

また誤字が。同じくツイート5個目の「棘は狭くて」は、「棘は短くて」でした。どうもこのところ筆が荒れておる。

2021-09-10 21:57:33