- Fuji_i_san
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しかし同文書には海軍省が付箋をつけているので引用する。「「余力範囲内」と規定しあるも実際は若干その域を脱し居るものと認めらる。(定員増加を上申し居るにつき)。」 嗜好品を作るために定員を増やしたいと上申するなら「余力範囲内」でないのでは、というツッコミが入っている pic.twitter.com/Y9I32wgCFP
2022-08-23 11:07:59引用を継続する。「艦隊乗員に対するcomfortable lifeを目的とする故、敢えて双務せざる(筆者注:ここ読解できてない)も、著しく程度を越えざるよう監督を望む」 pic.twitter.com/z3We3wmA4a
2022-08-23 11:08:01この訓令は同年9月に海軍大臣に認可され、あまり使われていなかった家畜飼育室は潰されて、製菓室やうどん室が設けられた。入江が要望した設備は、報告書から5年強ですべて揃った。しれっと要求以上の設備を備え付けてくれるあたり(入江は『間宮』で製菓をしたいなんて言ってない)
2022-08-23 11:10:28なんだかんだ海軍省も、釘を差してくる割にはずいぶん嗜好品生産に乗り気である。まぁ彼らも艦隊勤務を命ぜられたら『間宮』のお世話になるからね、明日は我が身だね。 因みにうどんについてだが、海軍のメシの基本はコメとたまにパンであって、うどんは主食として認められていない。
2022-08-23 11:10:28海軍において、うどんは嗜好品の立場を出なかった。そのため建造当初の『間宮』においては「極めて旧式」の手動製麺機があるのみで、作業効率は「甚だ悪し」と評された(「」内は入江が報告書に記載した言葉)。しかし実際にはうどんは人気があり、度々製造依頼があったため苦労した。 pic.twitter.com/C6cK3FEmis
2022-08-23 11:10:29入江はこれも問題視しており、動力装置つきの高効率な製麺機も入れてくれと報告書に記していたのである。 閑話休題、これら嗜好品の生産設備を搭載した『間宮』は、軍に最優先で振り分けられる潤沢な砂糖等の物資と、軍属として雇用した職人たちの力とによって、多数の嗜好品を生産した。 pic.twitter.com/9GveTs6c5H
2022-08-23 11:10:31デカくて甘い「間宮羊羹」はその代表格で、某老舗羊羹店のものよりも美味かったことから、この羊羹店はずいぶんと難儀したという。また『間宮』もこの羊羹店をライバル視しており「羊羹はこの店よりデカく作れ!」と代々申し送りがあったらしい。因みに大人の肩幅サイズだそうである。
2022-08-23 11:12:18新鮮な糧食を運んできてくれて、あまつさえ甘味まで作ってくれる。この事から『間宮』は前線で非常に歓迎された。商船構造を流用し速度性能が劣悪であったため、艦隊と離れて行動することが多かったが、万が一沈められでもしたら前線の士気は大打撃であるから
2022-08-23 11:12:18護衛にあたった部隊はたいそう奮起し、厳重な護衛を行ったという。 また『間宮』も軍艦なので若干の武装はしていたが、平時には「使わない武装よりも、その分食料品を積んだほうが良い」ということで砲を下ろしていたようだ。見事な割り切りであることだなあ。
2022-08-23 11:12:19かくのごとき次第にて、今では「間宮羊羹」等スイーツを生産していたことで知られる『間宮』だが、当初はこれら嗜好品の生産能力は乏しく、5代目艦長・入江の報告書がなければ、こんにちのような親しまれ方は無かったであろうことがおわかり頂けたと思う。
2022-08-23 11:12:19最後に入江に関することがらを紹介して結びとしたい。 入江 淵平(いりえ えんぺい)海軍兵学校33期生 卒業年次は171名中127位。 砲術畑を歩んだ後、中佐昇進後には後方支援艦艇の艦長を歴任。間宮艦長に就任して大佐に昇進した翌年、件の「嗜好品作らせろ」報告書を提出する。
2022-08-23 11:12:19『間宮』を離れてからは、予備艦となった軽巡『阿武隈』艦長を勤めた後、いちど退役するようだ。 因みに前任の『阿武隈』艦長は入江と同期の海兵33期首席・豊田 貞次郎(とよだ ていじろう)。こいつは最終的に大将に昇進、海軍次官まで務めるエリートである。
2022-08-23 11:12:20前ツイ参照元 hush.gooside.com/name/Biography… hush.gooside.com/name/Biography…
2022-08-23 11:12:21同期生から艦を引き継いだのかエモいな、とも思ったのだが、たぶんこれは入江がエリート街道を歩まなかったため。 外務省ノンキャリが小国の大使ポストを「あがり」とする地味なキャリアを歩むようなことが、海軍においても起こっていたわけだ。予備艦の艦長が「あがり」なのであろう
2022-08-23 11:13:48太平洋戦争が迫った1941年から充員召集をうけ、輸送艦の艦長を相次いで務める。武運篤く終戦まで任務に精励し戦後を迎え、1965年に死去した。 軍人として華々しいキャリアを歩んだわけではないが、成し遂げた功績はといえば、正直へたなキャリア軍人よりもよほど大きいように思う
2022-08-23 11:13:49彼が「もっと嗜好品が作れる設備を」と訴えなくても、いずれ誰かが同じことを言っただろう。しかし、入江が昭和3年の時点で報告書を出したことで、昭和8年には諸設備の配備を完了することができた。入江を欠いた歴史を考える場合、果たして嗜好品生産設備の配備は可能だっただろうか?
2022-08-23 11:13:49昭和16年の開戦から引き算して考え、また史実の『間宮』が嗜好品製造設備一式を整えるのに要した時間を考慮するならば、昭和10年頃には誰かが提言をしてくれねばならない。 また仮に提言が行われたところで、組織内の「人のめぐり合わせ」やタイミングにも恵まれなければならない
2022-08-23 11:13:49極端なたとえだが、「兵隊は前線で甘いものを食うために居るわけではない」などと唱えるタイプが上に居れば、入江の提案は実現しなかっただろう。となれば前線への嗜好品提供体制は限定的なものとなり、西の某島国よろしく本邦も「メシマズで戦争に負けた」との汚名を着た可能性を拭えない。
2022-08-23 11:13:50また『間宮』の戦訓(?)があったことで、後に建造された給糧艦『伊良湖』は当初から嗜好品生産設備を持って生まれ、前線将兵の士気維持に貢献した。 入江が後の歴史に与えた影響は、実は数多いる海軍人のなかで有数に、ものすごく大きいと筆者は思っている。
2022-08-23 11:13:50そんな次第で、みんな甘いものを食うときには「前線の兵隊にも嗜好品を!」と唱えた男・入江 淵平がいたこと、日本海軍は精神論の一辺倒でなく「そりゃそうだ、甘いものも食わしてやんなきゃ」と思える組織であったこと、命をかけて甘いものを作る艦と人が居たことを、思い出してみてほしい。
2022-08-23 11:13:51ところで注目いただきたいのは、連合艦隊による間宮の嗜好品生産設備拡充訓令を海軍大臣が認可した文書の日付である。 官僚機構は、過去に遡っての現状追認は行わない――というイメージがあるのだが、今回9月17日付けの署名でもって、7月末付で訓令を追認している。どういうことなんだろう? pic.twitter.com/bO0zb6vlN2
2022-08-23 11:13:52また入江はなぜ給糧艦に「嗜好品が供給できること」を強く求めたのかが、これだけ長文を記した今なおわからない。ロールモデルとなる艦や概念が他国にあったのだろうか?
2022-08-23 11:13:53■参照資料およびURL 「特務艦 間宮 任務報告(1)」 jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPh… 「特務艦 間宮 任務報告(2)」 jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPh… 「特務艦 間宮 任務報告(3)」 jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPh…
2022-08-23 11:14:16