刀剣関連古文書

刀剣関連の古文書からの個人的な抜粋。
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

宝剣名物寄その4 色々並んでおります。 pic.twitter.com/NIgDodxSSP

2021-12-12 20:09:42
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

宝剣名物寄その3 正宗、郷、貞宗。 pic.twitter.com/tbKpOS7Uxu

2021-12-12 20:07:21
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

宝剣名物寄その2 主に正宗のターン! pic.twitter.com/ZbxDAk9p3x

2021-12-12 20:05:49
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

このひとつ前のツイートで紹介した「宝剣名物寄」、見返したら何枚か載せてないのに気づいた(正宗とか)。 モノは国会図書館に寄付済みで、刀剣の傷とかで吉凶を占う部分の写真は残してないけど、以下、ページ順に並べていきます(計21枚)。 pic.twitter.com/83QMBcvzQn

2021-12-12 20:03:57
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

蜻蛉切の柄付きの写真、絵葉書に写ってない石突部分については「家康忠勝両公三百年祭記念写真帖」(1915)という資料に写真あります。 岡崎市立中央図書館の蔵書のPDFへのリンク貼っときますね。 一番下までスクロールして4〜5枚上に戻った所にあります。桑名江もいるよ。 websv.library.okazaki.aichi.jp/winj/img/zoomi…

2021-12-10 00:04:37
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

あ、蛍丸の写真(ハガキ)、載せ忘れてた。 同じ袋にあった鬼丸太刀の写真も添えて。 pic.twitter.com/32kkqhkPb8

2021-12-09 23:44:05
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

尚武展覧会出陳目録の写真。 一枚の右半分と左半分です。 pic.twitter.com/1l7DYCsxPF

2021-11-24 17:57:41
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

余談:この新聞を含めて貴重な写真が 「駿州・嶋田住[四代目]五条義助が鍛えた御手杵」(御手杵槍顕彰会 編集)」 にいくつもあるので、お持ちの方は見返すと色々発見があるかもです。

2021-11-17 22:34:07
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

では展示されたのは「島田の御手杵(原型槍)」?という事はなく、 静岡新聞 2003年1月28日号に当時の展示会場の写真があり、 ちゃんと鍔がついた「御手杵」が展示されています。 なお、この4日後の2月1日には結城市への「槍の引き渡し式」が実施されています。

2021-11-17 22:33:23
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

この写真のカラーのものが「駿州・嶋田住[四代目]五条義助が鍛えた御手杵」(御手杵槍顕彰会 編集)という冊子の56ページにあり、復元作業の中間検閲の写真であることが書かれています。

2021-11-17 22:33:03
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

このお披露目についての公的な資料は、 『朝日新聞 静岡版 2002年(平成14年)11月21日号』 なのですが、記事中の写真は実は「島田の御手杵」だったりします。 「島田の御手杵」は、「結城の御手杵」及び埼玉県東松山市の「比企の御手杵」の復元に先立って作られた「試作品」「原型」にあたります。

2021-11-17 22:31:44
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

@WagtailW チラシの右下から左下。 同じく少し重なる様に撮影しています。 これで読めますか? pic.twitter.com/rcEuNHEAWO

2021-11-01 22:12:05
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

@WagtailW まずはチラシの右上から左上の4枚。 少し重なる様に撮影しています。 pic.twitter.com/wPoRotkFIP

2021-11-01 22:10:00
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

@WagtailW 手持ちの一枚モノのチラシ、年数が書いてないので昭和10年のものかは確定できませんが、日本号が載っています。 pic.twitter.com/oBgxAgkfI3

2021-11-01 21:24:12
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

この前調べていた武鑑の情報のまとめをPixivに投げてきた。 武鑑で見る松平大和守家の槍印の変遷 pixiv.net/artworks/92509… 次の仕事が始まるとしばらく動けなくなりそうで、今、取りまくった資料のコピーなどの手持ちの情報のとりまとめに必死っす。

2021-09-04 23:45:13
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

なお、大正4年(1915)「家康忠勝両公三百年祭」の記念葉書から推測した蜻蛉切の柄の長さは約288㌢、穂先も合わせて約331.2㌢。 柄は戦後混乱期に無くなったそうだ。 pic.twitter.com/R4T1zL5DFO

2021-07-19 20:02:43
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

同居していた故 宮口寿広刀匠に見せても答えは同じであった。」 その後の行方は、誰も知らない。

2021-05-25 23:00:14
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『新版 日本刀講座』2巻、古刀鑑定編(上)249ページに筆者の本阿弥光博氏(光遜の子)の視点の話がある。 「…屋敷ではさっそくわたしどもの疎開先に届けて来て、なんとか焼直して保存したいとのことであったが、やけただれの程度は目を覆うばかり、いかんともなし難い惨状である。

2021-05-25 22:51:25
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

本阿弥光遜は当時松平大和守家(前橋松平家)の刀剣の手入れを行っていて、御手杵を持った写真も残している。 しかし、その状態を見た光遜は修復不能と判断した。 #5月25日は御手杵焼失日

2021-05-25 22:49:39
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

空襲の後の御手杵だが、どうやらある程度原型をとどめていたらしい。 記録も根拠書類も分からないが御手杵のイベントの講演会で以下の話がされた。 焼け残りの槍は自転車に乗せられて、当時神奈川県の厚木に疎開していた本阿弥光遜のもとに運ばれた。 #5月25日は御手杵焼失日

2021-05-25 22:45:18
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小さな日本号写しを見たくて横浜高島屋にて開催中のお守り刀展に行ってきた。 写真撮影OKとの事で撮影。 …良き方の所に行けるといいですな。 pic.twitter.com/QVRDXQ5sYJ

2021-03-07 19:17:08
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

#御手杵推しによる御手杵好きのための御手杵 絵は描けんので資料を晒す。 なお、日本刀講座によると、駿河国のページで正誤不明と前置きして「後鳥羽帝の御番鍛冶の則宗の子の五條助宗が官女と駿河に行き、その子孫で島田に住んだ者が義助(御手杵作った鍛冶師)」とあったりするが、さて? pic.twitter.com/zDHU7D4p6q

2021-02-10 22:54:40
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

鶴丸国永は明治34年(1901年)に明治天皇に献上されたはずなのに、と不思議に思ってたけど。 そっか、献上時に別の鞘や柄で贈られて、伊達家の縦三つ引き両紋の刀装が残ってて中身なしで展示されたってことかな?それなら辻褄が合う。 鶴さんの伊達時代の衣装が残っててそれが展示されたってところか。

2020-12-25 21:21:08
Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

伊達家の刀に詳しい方、教えて下さい。 昭和10年の仙台伊達家の刀の絵葉書ゲットしたんだが、伊達家に鶴丸国永以外の五条の刀ってありましたっけ? 下段が五条国永だそうです。 pic.twitter.com/lm021HHI4W

2020-12-24 19:28:05
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Vaiβ_Lasion@備前国 @Vaib_Lasion

話のついでにあまり見られない写真も出しておこうか。 柄があった当時の蜻蛉切の写真(絵葉書)、そして今は見ることができない日本号の茎の写真(沼田鎌次、日本の名槍(S.39))。 pic.twitter.com/RDOOp9jOGx

2020-05-30 18:27:21
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