ウォーラーステイン『入門 世界システム分析』を読んで

主に自分用のまとめです。
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孫二郎 @344syuri

世界システムの端緒は、19世紀中葉、資本主義と植民地主義が最高潮にならんとしていた時期である。急速に高度化する技術と広がる世界に宗教学では追い付けない。この隙間を埋めるため、まず近代哲学が生まれた。次に地に足のついていない学問である哲学を見限り、経験的分析を旨とする科学が誕生した。

2022-10-09 22:36:02
孫二郎 @344syuri

18世紀後半から哲学と科学の関係は抜き差しならぬものとなり、両者は「離婚」した。近代的な大学が生まれたのもこのころである。旧大学は神学・医学・法学・哲学を教えていたが、哲学から科学が分かれたため、5科目制に変化した。この時哲学側に残された「人文学」が社会科学の源流である。

2022-10-09 22:36:02
孫二郎 @344syuri

19世紀、人文学も科学も分野ごとに細分化されていった。その中で身の置き所に困っていたのが、社会的現実に関する研究である。フランス革命などの社会の大変動の中、この分野の研究は切実なものとなっていたが、大学の中では「純粋科学」と「人文学」の間のわずかな隙間に身をねじ込む他なかった。

2022-10-09 22:36:03
孫二郎 @344syuri

ところで、最古の社会科学は歴史学であるが、歴史学者は決して「科学者」と名乗ることはない。人間の営みに純粋科学のような物理法則は適用しえないという自負があるからである。人間は主体性を持った存在で、おのずから個性的であるからである。

2022-10-09 22:36:03
孫二郎 @344syuri

ところが、これは学問としてはともかく実学としては成り立ちがたい。歴史学は過去を対象とし、現在を生きる我々には薄い恩恵しかもたらさないからだ。 そこで社会科学は、新しく3つの分流を生み出した。経済学、政治学、社会学である。これは文字通り経済・政府・市民社会を題材とする実学である。

2022-10-09 22:36:04
孫二郎 @344syuri

だが、これらの問題に対していかに科学的客観性を持たせることができようか。祖を同じくする歴史学は、科学的厳密さを取り入れながら科学と呼ばれることを拒絶した。残りの3学科は、大量のデータの山に依拠することで何らかの法則を発見できると考えた。 社会科学の科学への再帰であった。

2022-10-09 22:36:04
孫二郎 @344syuri

『入門 世界システム分析』を読んでいます。 今回は社会科学の射程。

2022-10-10 12:41:21
孫二郎 @344syuri

以前の4学部制にせよ近代の学科制にせよ、研究者は欧米の先進5カ国のことを考えていればよかった。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカである。それ以外の国は未開で分析するに及ばなかった。問題は、中国やインドのような明らかに発展した社会で、しかし先進国とは言えない国々だった。

2022-10-10 12:41:22
孫二郎 @344syuri

そして生まれたのが、「未開人」を通じて人の本来の在り方を探る「人類学」と、かつて強大でありながら西洋人に追い越された東方帝国の謎を探す「東洋学」である。人類学者は史料をあてにできないのでフィールドワークを発達させた。東洋学者はふんだんな文献を読み解いて民俗誌を書くことができた。

2022-10-10 12:41:22
孫二郎 @344syuri

社会科学の拡大は一応これで一段落する。しかしながら高等養育は、1945年に深刻な挑戦を受けることになる。一つ目はアメリカが圧倒的な覇権国となったため、大学システムも米国流が主流になったこと。二つ目は第三世界が政治的騒乱と地政学上の自己主張の場となったこと。三つめが大学の急拡大である。

2022-10-10 12:41:23
孫二郎 @344syuri

アメリカ覇権と第三世界の独立は、歴史学・経済学・社会学・政治学・人類学・東洋学という6学科体制を急激に陳腐化させた。そこでアメリカは、浮き上がってしまった人材を使い、訓練して世界各地のスペシャリストに仕立て直した。これがエリア・スタディーズの始まりである。

2022-10-10 12:41:23
孫二郎 @344syuri

そして、これまで大学が育んできた「普遍的法則」の探求と、エリアごとにまとめられた知識が化学反応を起こした。「開発」(もしくは「段階論」)である。その意味するところは、すべての人類集団は同じ方向へと進んでいるが、その速さは社会により異なるということである。

2022-10-10 12:41:24
孫二郎 @344syuri

この考え方はすぐにソビエト連邦に取り入れられた。ただし「共産主義に資本主義より一歩前の位置を与えながら」ではあるが。そんな社会変動の中で、東洋学者は歴史家に看板を掛け代え、人類学は欧米自身に再度その目を向けた。学科同士を隔てる壁は崩れ、学際的な研究が始まった。

2022-10-10 12:41:24
孫二郎 @344syuri

これは質量ともに増大を迫られている大学のニーズにも合致した。学問の場は個性において飽和状態だったが、他分野と交錯させる(例えば国際/政治学)ことで劇的に地平が広がった。そしてそれぞれの国のネイティブな学者や、地域研究の畑で育ってきた学者らが、世界システム論を準備していった。

2022-10-10 12:41:24
孫二郎 @344syuri

引き続き『入門 世界システム分析』を読んでいます。 今回は「4つの論争」について。

2022-10-11 18:44:10
孫二郎 @344syuri

従来の制度が境界線を失っていく中、社会科学の分野では新しいジャンルの議論が戦わされていた。そのうち、世界システム分析の出現の背景となったものは主に4つ。 ①従属理論。 ②「アジア式生産様式」についての議論。 ③移行論争。 ④アナール学派史学の勝利。 以上である。

2022-10-11 18:44:11
孫二郎 @344syuri

①従属理論は、国家の発展は従来考えられていた途上国から先進国への一本道ではなく、途上国は先進国に原料や市場を提供するのに最適化されていく、いわゆる「低開発の開発」を強いられているという、途上国にとっては夢も希望もない理論である。この状態から政治は何ができるかが語られた。

2022-10-11 18:44:11
孫二郎 @344syuri

②アジア式生産様式とは、市民革命を経ずに「高等文明」化した中国やインドを説明するためだけに設けられた用語である。スターリンはこの不合理な用語をマルクス主義から排除したが、その結果マルクスの理論全体が歪みに晒された。スターリン死後この用語を再考する動きが出たのがこの時期である。

2022-10-11 18:44:12
孫二郎 @344syuri

③移行論争とは、封建制から資本主義への移行は各国の内的な要素か、それともヨーロッパ全体を視野に入れたもっと大きなものかが争われた。ここで何らかの結論が出れば、将来あるはずの資本主義から社会主義への移行について何らかの示唆を得る可能性があった。

2022-10-11 18:44:12
孫二郎 @344syuri

④アナール派とは、主にフランスで展開された歴史学派である。この時期はブローデルがこの学派を牽引している。彼は経験主義的で政治史偏重の歴史学を批判したが、同時に永遠不変の真理や法則とかいったものも攻撃した。前者は時間を過度に強調し、後者は時間をまるきり無視しているというのである。

2022-10-11 18:44:13
孫二郎 @344syuri

これらの論争は各々ばらばらに戦われたものであったが、全体的に見ると既存の知の構造への異議申し立てであるといえた。その中で、今まで国民国家という枠の中で展開してきた社会科学を、それぞれの国際的なネットワークの中に置き直すことを提起したのが世界システム分析であった。

2022-10-11 18:44:13
孫二郎 @344syuri

引き続き『入門 世界システム分析』を読んでいます。 今回は世界システムの誕生です。

2022-10-13 05:42:19
孫二郎 @344syuri

4つの論争は全て1950~1960年代における論争であり、1968年のフランス五月革命を機に世界中を席巻した。革命勢力は大学にも強力な拠点を持ち、知の構造に異議申し立てを行い始めた。世界システム分析は、分野横断的な新しい知のツールとして時流に乗ったのだ。

2022-10-13 05:42:20
孫二郎 @344syuri

世界史システム分析の第一の特徴は、これまで国民国家を分析単位としていたところから「史的システム」を分析単位にしたところにある。これは人類史にはミニシステム・世界=帝国・世界=経済の3種類しかなかったという説である。この場合の世界とはその中でモノやコトをやり取りする小世界である。

2022-10-13 05:42:20
孫二郎 @344syuri

これはかつてポランニーが提唱した経済的統合のあり方に対応する。ミニシステムは互酬、世界=帝国は再分配、世界=経済は市場の役割を果たす。 また、従属理論のエッセンスも取り入れられた。資本主義的な世界=経済は、中核的生産過程と周辺的生産過程との間の垂直的分業を特徴としている。

2022-10-13 05:42:21
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