ウォーラーステイン『入門 世界システム分析』を読んで

主に自分用のまとめです。
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孫二郎 @344syuri

「中核的」「周辺的」という言葉は生産過程にかかるため、特定の国や地域を指して「中核地域」「周辺地域」などと呼ぶことも可能になる。そしてその差は、その市場が比較的独占されているか、自由かに左右される。

2022-10-13 05:42:21
孫二郎 @344syuri

ブローデルからは2つの大きな影響を与えられている。一つ目は資本主義=独占市場として自由市場と峻別したこと。二つ目はシステムの長期持続である。 どれだけ強大な支配システムでも必ず始まりがあり、同時に終わりがある。永久不変の真理は存在しない。

2022-10-13 05:42:22
孫二郎 @344syuri

一方、移行問題については辛口とならざるを得ない。どちらの陣営も封建制から資本主義への移行を必然のものとみており、進歩史観に与しない世界システム分析からは懐疑的に見ざるを得ないからだ。ここを退けることで、「アジア的生産様式」もまた退けられる。

2022-10-13 05:42:22
孫二郎 @344syuri

最後に、世界システム分析は歴史・経済・政治の枠を超えて社会科学を横断したトータルな分析を行うことができる。学際的というよりさらに融合的というか、目の付け所自体が社会科学を包括しているのだ。

2022-10-13 05:42:22
孫二郎 @344syuri

引き続き『入門 世界システム分析』を読んでいます。 今回は世界システム分析に対する批判と反論。

2022-10-13 21:48:28
孫二郎 @344syuri

世界システム論に特に激しい反発を見せたのは概ね4つの立場の理論家である。 ①法則定立的な実証主義者。 ②正統派のマルクス主義者。 ③「国家の自律性」学派。 ④文化の固有性を重視する立場。 以上である。

2022-10-13 21:48:29
孫二郎 @344syuri

①の理論家は、可能な限り厳正に科学的方法を用い、現実を法則づけることを目指す。その立場からは、世界システム論は実証されていないし反証性もなく、数量化もきちんと行われていない、要するに科学というよりナラティブでしかないという批判がある。

2022-10-13 21:48:30
孫二郎 @344syuri

これに対する世界システム側の反論は全く批判の裏返しである。社会の実態を分析するために必要なことは、複雑な現実をシンプルな法則に置き換えることではなく、むしろ単純に見える現実をほどき豊かな文脈の中に置き直すことである。この論争は結局のところ、どちらに説得力を感じるか、でしかない。

2022-10-13 21:48:30
孫二郎 @344syuri

②のマルクス主義者にとって、世界システム分析は非賃金労働をいずれ消えゆく存在として「正しく」理解しておらず、「正しい」歴史認識たる階級闘争を無視しているという。 pic.twitter.com/QOsy9jaB6K

2022-10-13 21:48:31
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孫二郎 @344syuri

あやうく一言で終わるところだったが、資本が労働者を搾取しているというものの別に資本にとって賃労働が最も儲かる方法ではない。階級闘争を含む社会闘争の歴史は、世界システムの中に取り込まれることで初めて理解や評価ができるというのが世界システム側の反論である。

2022-10-13 21:48:32
孫二郎 @344syuri

③「国家の自律性」学派からは、世界システムが政治の自由な働きを経済的下部組織による決定論の中に縛り付けているという批判があった。国家あるいは国家間で行われている現象は、その領域を世界=経済として捉えるだけでは説明しきれず、そこには国家の自律的な意思が反映しているというのだ。

2022-10-13 21:48:32
孫二郎 @344syuri

他の3つの批判にも言えることだが、全ての主体は自由に行動できるといっても、それは主体の来歴、およびその主体を一部として含む社会という名の牢獄に制約されている。役者が役でいられるのは舞台の上だけなのだ。

2022-10-13 21:48:33
孫二郎 @344syuri

④文化の固有性を主張する立場からは、文化を上部構造に、下部構造を経済に据えた決定論だという同様の批判が出ている。世界システム分析は経済主義で、異なる諸文化のアイデンティティの自律性を受け入れていないヨーロッパ中心主義だと非難する。

2022-10-13 21:48:33
孫二郎 @344syuri

④の発想は文化中心主義、「経済の代わりに文化を下部組織に据える」という無言の野望を下敷きにしている。よって世界システム分析はこの考え方に与しない。世界システム分析はむしろ、経済的分析様式、政治的分析様式、社会文化的分析様式の間の境界線をなくすことを志向している。

2022-10-13 21:48:34
孫二郎 @344syuri

以上4つの批判に共通の感覚として、世界システム分析には主役がいないように思われている。世界システム分析にとって、確かに主役はシステム内の相互作用であって各主体ではない。だが、このシステム=社会を分析する限りにおいて人は制約から解放されるのだ。

2022-10-13 21:48:34
孫二郎 @344syuri

世界システム分析にとって、時間と空間は不変ではないし永続もしない。もっとダイナミックな、常時更新されている社会的現実である。今この史的システムは時間に晒されつつも同一性を保ち続けている。確かにシステムではあるが、内部的には激しく動き回って結末を歴史として残す。

2022-10-13 21:48:35
孫二郎 @344syuri

世界システム分析とは、この史的システムの中に分け入って史的システムを読み解くことに他ならならないのである。

2022-10-13 21:48:35
孫二郎 @344syuri

引き続き『入門 世界システム分析』を読んでいます。 今回からは第2章、「資本主義的世界=経済としての近代システム」から。

2022-10-14 21:35:59
孫二郎 @344syuri

現在へと続く近代世界システムは、16世紀に始まる。新大陸の発見と入植により、それまでバラバラに存在していた地中海・北海=バルト海・大西洋が一つの海になった。この海を取り巻くヨーロッパとアメリカ東岸が今ある世界システムの母体である。

2022-10-14 21:35:59
孫二郎 @344syuri

この近代世界システムは当時から現代に至るまでずっと世界=経済であり、さらにいえば資本主義的世界=経済であった。 世界=経済という語にはその中の各地域が分業体制を取っているという含意がある。さらにいえば、その中では唯一無二の帝国は存在せず、あまたの政治体制が緩く結びあわされている。

2022-10-14 21:36:00
孫二郎 @344syuri

資本主義の方は、最大限定義を広げれば文明あるところにはすべて存在する。近代的な意味での資本主義は無限の資本蓄積を優先するシステムのことだ。マルクスが示したような、剰余価値の収奪と拡大再生産の限りないスパイラルのイメージである。

2022-10-14 21:36:00
孫二郎 @344syuri

世界=経済システムには資本主義が宿命的に織り込まれている。統一された政治体を持たない世界=経済システムにとっての唯一の紐帯は、国際的な分業体制の中にしか存在しないからである。 逆に資本主義の側でも、強大な帝国に掣肘されずに資本を蓄積していくためにはこのあり方が望ましい。

2022-10-14 21:36:01
孫二郎 @344syuri

近代世界システムは様々な制度の絡まり合いである。それは例えば市場であり、そこで活動する企業であり、国際政治を担う各国家であり、あるいは家計=世帯であり、階級や身分集団でもある。これらは近代世界システムの専売特許ではないが、誤解を防ぐために語義を統一する必要があるだろう。続く。

2022-10-14 21:36:01
孫二郎 @344syuri

引き続き『入門 世界システム分析』を読んでいます。 今回は市場について。

2022-10-15 08:16:18
孫二郎 @344syuri

市場は通常、資本主義システムの中核と考えられているが、理論上で考えられる完全な自由市場は現実には存在しない。政府をはじめとして、市場に隣接する様々な勢力が干渉してくるからだ。何より、市場に参加しようとする売り手にとって完全な自由競争は値引き合戦に陥ってしまうので魅力がない。

2022-10-15 08:16:19
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