明治国道東海道歩き
- KumanoBonta
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名前がかわいい善太川を越えて、弥富市に入りました。弥富市といっても、平成までは十四山村でした。 pic.twitter.com/vupBS0DWfn
2022-10-12 14:39:00行けども行けども〇〇新田という地名ばかりなので、江戸時代初期は海だったのは間違いないです。おそらく江戸時代初期の七里の渡しルートとそれほど離れてないんじゃないかなあ。「歩ける七里の渡し」とか銘打って宣伝したらどうかしら。 pic.twitter.com/raULL7tl1y
2022-10-12 15:13:00尾張巡見道と合流して、明治国道東海道ゴール。距離はぴったり20.0 km でした。 pic.twitter.com/kLqArwgjX7
2022-10-12 16:43:00@KumanoBonta おつかれっした~。以前歩かれた弥富から桑名までの巡検道はたぶんそのまま明治国道になっているから(途中に明治国道の標柱があったと思う)、これで宮から桑名まで繋がりましたね。
2022-10-13 10:17:05@maru_ni_no はーい🙋♀️おかげさまで七里の渡しも佐屋街道も明治国道もついでに津島街道も全部繋がりました。 いつか桑名から北上して岐阜へ行く街道名不詳道にも挑戦してみたいと思います (ただし電車がない) pic.twitter.com/GzZjD5HhXC
2022-10-13 10:23:58そういえば、歩いてるあいだ一度も国道1号と鉢合わせしなかった。 駅へ行こうとして嵩上げの国道見て思い出した。 ドラム缶工法でおなじみの国道1号弥富区間。今もドラム缶が埋まってるのかどうか知らないけど、だいたいそのくらい高い位置にあります。 pic.twitter.com/q8Os6M6Hog
2022-10-12 16:50:00ドラム缶工法補足
1959年9月26日の伊勢湾台風によって、鉄道、道路の陸上交通路は冠水、土砂崩壊、橋梁流出等の発生のためにマヒ状態になりました。
建設省名古屋国道工事事務所から検討依頼を受けた日本鋪道(株)では、入手可能であったドラム缶を利用することを提案しました。
この工法は、道路の両側に鉄線で緊結したドラム缶を並べ、それを壁にして中に土砂を投入するもので、この「ドラム缶工法」により11月4日から通行が開始され、被災者の救援などに大きく寄与したとされています。
https://www.cbr.mlit.go.jp/meikoku/route1/atsuta/pdf/temma_kakekae.pdf
PDFの13ページ目 (15枚目)
https://www.ckknet.jp/chosa/chosa/chiiki/ise/isewan/pdf/02-03.pdf
やっとお昼ご飯にありついた。吉野家のハヤシライスめちゃくちゃ美味しい。 pic.twitter.com/V9hqL6Heng
2022-10-12 17:03:00あとがき
東海道の宮〜桑名区間は七里の渡しと佐屋街道しかないと思われがちですが、実際は幕末に作られた新東海道があり、そのルートは江戸時代初期の七里の渡しルートにほぼ沿っているので、もっと旧街道ファンに知られてもいい存在だと思いました。
ゴールの弥富から桑名までは江戸時代からある尾張巡見道もあるので、宮〜桑名区間を旧街道だけでつなぐことは可能です。
東海道を歩く人は、七里の渡し区間が歩けないからと言って電車でスルーするのはとてももったいないし、通しで歩いたことにするのにそれらはうってつけです。
明治国道や佐屋街道も視野に入れて検討してみると、すごく楽しいよ。
おわり